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一本の電話  作者: 小石沢英一
4/7

無情

啓太は高い壁を見つめた。もう二度とここに戻ることのないようにと、しっかりと凝視した。


 誰も迎えに来ていなかった。


 啓太の人生の歯車が狂ったのが利久の万引き事件だった。その事がきっかけで利久は退学し、啓太も居場所をなくし、退学して家を出た。職も転々とし、心身共に荒れていた。傷害や窃盗を繰り返し、二十歳で行く着く場所は刑務所だった。


 母親は一度も面会に来なかった。その事で恨んでいない。むしろ迷惑をかけた事に心苦しかった。


 模範的だったので、啓太は刑期が短縮された。


 外の景色が十代の頃とは違うように見えた。やり直しは難しいが逃げてはならない事を学んだ。


 母親に会うのが先決だ。だが、気が進まない。拒否されたら困惑しかないので、怖いのだ。


 電車は通勤時間外だったので、空いていた。


乗り換えなので、ホームに降りた。


 啓太の足は重かった。ベンチに腰かけた。まだ、母親に会うべきか迷っていた。


 電車は数本通り過ぎていた。


 怒号が啓太の耳に入って来た。耳をすました。


「痴漢!」


 と、女性の叫び声だった。


 三十代後半のサラリーマン風の男が走っていた。


 啓太の前に向かっていた。


 男は無表情で顔面蒼白だ。


 啓太の前を通り過ぎた。小柄だし、吹けば飛ぶような身体だったので、追いつくのは簡単だった。背後から腰に抱きつくようにしがみついた。


 その勢いで二人とも前のめりに倒れた。


「こら! 離せ!」


 男は威勢よく暴れた。


「静かにしろ!」


 啓太が強い口調で言うと、男は威圧感に負けたのか動くのを止めた。


「違うんです。痴漢なんてしてません。これはえん罪です」


 と、男がしんみりと言うので、啓太は掴んでいた手を離した。


「それなら、痴漢をやってないって言えばいいだろう」


「そんなの無理!」


 と、男は言った。


「その人、痴漢です」


 女性が近くに来たので改めて言った。


 啓太と男はホームに横たわっていたので、どちらが痴漢犯か判別は出来ない状態だ。


 周囲にいた人々が寄って来た。


 男はほふく前進で離れて行った。


 啓太も逃げないと安心しきっていたので、身体は動かなかった。


 場内のアナウンスは電車が到着する事を告げた。


 男はむっくりと立ち上がった。啓太が足の上に乗っていたので、痺れていた。フラフラとバランスの悪い歩き方だ。強引に足を動かしているので、思うよう歩けない。逃げる事しか考えていないので、立ち止まる事はしなかった。


 倒れた。


 運悪く、ホーム下の線路上に落ちた。


 啓太の周りにも人が集まっていた。


「痴漢はあいつだ!」


 と、啓太は言ってさっと立ち上がり、男の後を追った。


 男は線路上にうつ伏せに倒れていた。


「おい!」


 と、啓太が問いかけた。返事がない。


 男が落ちた線路はもうすぐ電車が到着する。このままでは男は轢かれる。


 啓太の呼びかけに男は反応しない。


「誰か!」


 と、啓太が叫んでも誰も助けに入ってくれる者はいなかった。電車が迫っているだけに、怖くて身動きさえ出来ないのだ。


 正面に電車が見えた。


 啓太は線路上に降りた。男の腕をつかみ、線路から引きずる降ろそうとした。汗が額から流れ落ちるのがわかった。


 邪魔だ。今、その事にかまっている暇はない。目の前がぼやけていた。


 大きな警笛音が響いた。


 運転手も線路に人がいるのを発見したのだろう。


 啓太は力を振り絞った。


 電車は急ブレーキをかけた。とはいえすぐに停まるわけではない。


 啓太に迫って来る電車が段々と大きくなった。


 急ブレーキする摩擦音が警笛音と重り、爆音となって耳に響いている。


 啓太は少しずつであるが男を線路から引っ張り出していた。


 電車は停まった。


 啓太と男がいた辺りを数メートルオーバーしてである。


 あれほど爆音も一瞬は静かになっていたが、すぐに駅構内は喧騒にあふれた。


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