唯一選んだもの
頭の奥が急に熱くなる。震える肩に強ばる体。抱き上げた手から伝わる隠しきれなかった恐怖。
あぁ、そうだよな。
そりゃそうだ。当たり前だ。
気が付けば剣で叩き伏せた。むこうは剣を抜いた訳じゃない。それがすんでのところで鞘から抜く事を止めたんだろうと他人事の様に見下ろす。
剣を叩き込む瞬間にミルーシェ様が俺の名を叫んだのがわかった。喉が弱いから叫びも普通の人間より小さいものだったが。
「調子づいてんじゃねぇぞ、殺したくなるだろぉが」
「だ、んちょ…」
唸るような低い自分の声に、心底呆れる。こんなにも過剰に反応してしまうとは思わなかった。こんなにも、ミルーシェ様が見下されるのが不快だとは知らなかった。
「ディラン、落ち着いて、大丈夫だから」
ぎゅっと首元に抱き付かれて、ぐっと体に力が入る。吐き出せなかった怒りに歯を食いしばる。
「お前らのそういうとこマジでうぜぇんだよ」
捨てられたのだと、絶望する視線を俺に向けてくる元部下達に吐き気がする。ああ、気持ち悪ぃなぁ。
「なんで、っすか?」
長い間俺の後ろを勝手についてまわってた副団長のクワロが俺を睨みつける。
「“あの日”までは俺達の団長だった! 今まで積み上げたもの捨ててまでその娘を…まるで狂ったみたいだ!!」
「……て」
クワロの言葉に言い返す為に開きかけた口を閉じる。いや、閉じさせられた。首に回された腕に力が篭もるのがわかったからだ。
「黙って」
ひんやりとした声だ。聞いたことがない。いつも能天気に笑いながら話していたってのに、どこから声出してるのか、まるで別人のような声色だ。
クワロも口を閉じ、唖然とミルーシェ様を見る。パサりとフードが落ちて、ミルーシェ様の顔が顕になり、唯一見える片目で、クワロを見ているんだろーな。
「…っ」
「聞くに耐えない、ディランの元職場だからと見に来たけれど…まさかこんな人達とは」
「お前に、お前には言われたくない! 穢れたグレンダル家のものが!!」
また頭の中が熱くなるのを冷ややかなミルーシェ様の声が落ち着かせてきやがる。
「ああ、穢れているのは認めましょう、グレンダルの家は…でも忘れてもらっては困るのだけど」
「私は侯爵よ、成り行きではあるけれど、貴方はそんな私に口を出せる程の偉業を生したの?」
血だけは尊いものが流れている。と言われていたからこそ、グレンダル家は潰れなかった。現王の妹がいる。その子がいる。それに剣を向けることの意味は分からねぇはずがねぇ。こいつらは良くも悪くも“騎士”だからな。
「私に文句を言うのはわかるわ、見下してくるのもいいでしょう、でもそれを言葉にする、行動に起こす、それを人前でやることこそ自分の首を絞めるとなぜ分からないの?」
「…はぁ」
思わず出たため息が聞こえてないのかミルーシェ様は身を乗り出しアホ共を一瞥する。
「ディランが狂って、私に従っていると?そう言ったわね?」
「あ…」
「貴方の知るディランは、狂って従いたくない相手に従う存在なの? 」
いい年こいた男がこんな小さく弱い娘に言い負かされてやがる。さっきまで沸いていた怒りはとっくに消えちまった。
「ディランは、頼りになったでしょう? それは私がよく分かるわ! でも貴方達は本当にディランを見ていたの? ディランといたの? いたなら何故、ディランへ騎士を押し付けるの?」
騎士を押し付ける。確かにそうだ。こいつらは自分の理想の騎士を俺に押し付けていた。俺なら何とかしてくれる、俺なら負けないと、俺の影で胡座をかき褒め称える。
「貴方には立派な足と目があるのだから、自分で立って真実を見なさい、ディランに頼らずとも騎士であることに誇りを持ちなさい」
唖然とミルーシェ様のことを見る馬鹿どもは分かってねぇんだろうな。ミルーシェ様自身がグレンダルの名を恥じていても手放さなかったことを。
「ディランが有能だからと、ディランの自由を奪うことは絶対に私が許さないわ」
初めて怒ったんじゃねーかってほど顔を赤くして怒るミルーシェ様にもう我慢が利かねぇ笑いがこぼれる。
ああ、そうだ、そういう事なんだろう。
だから“ここ”は居心地がいい。