強欲な元騎士の夜
「私はあの人達の家族であった未来よりあなた達の友となれた方がずっと幸せだと思うし、今だって私は幸せよ」
アルジサマの声が深い眠りの中で聞こえる。幸せとは程遠い生活をしてきたあの娘が、幸せそうに微笑むのがなぜか勝手に浮かんだ。
────目が覚めると、隣で静かにアルジサマが眠っている。隣で男が寝てるってのにだらしなく安心しきった顔で。
紫の入った水気の少ない青い髪に、伏せられた瞳は金色と精霊石の瑠璃色。細く窶れ、美しいとは言えない手入れのされてない髪や肌。
だが、そんなもん今からでもどうとでもなる。
アルジサマの口に入るもの全ては俺が作る。手入れだって俺ならば完璧にこなせるだろう。騎士を捨てた身だ。いっそこの無防備すぎるアルジサマの執事とやらも楽しそうだが。
「…幸せだとかばっかみてぇ」
あの屋根裏部屋は到底人の住む部屋ではなかった。鼻を突く汗の匂いに、こびりついた血の跡のある床。高いところに作られた窓に、質素でボロボロの椅子がひとつ。寝床などなく、食事もまともに貰えていなかったんだろうことはこの細さから分かっていた。
「お前が幸せなはずねぇだろ」
俺に殺せと両手を広げ迎える幸せな娘が何処にいる。俺の顔に酔いしれている女共でも悲鳴をあげて逃げ出すだろう。
だがこの娘は迷わず微笑んだ。まるで嫁に行く娘のように頬を少し赤らめて幸せそうに。
馬鹿なアルジサマ。
それが不幸とも気付きもしないで小さな幸せを必死に守る。
「…知らなかったんだぞ、本当に」
クソ野郎からはグレンダル侯爵家には二人の娘がいた事は聞かされた。王家の美しい金の髪と赤い目を持って生まれた次女と、生まれて直ぐに死んだ長女。
それがまさか生きている上にこんな存在だったとは知らされていなかった。
いくら幽閉されていたとはいえ貴族の娘。王の血を濃く引く娘にあんな扱いをできる貴族は何人いるんだろうか。大抵の貴族は王からの報復を恐れてそんなことはしねぇだろう。ましてや、もうミルーシェは死んだと報告まであげていやがった。
あのクソ野郎に唾を吐くようなことをよくもまあ出来たもんだ。そんでもってきっと性格の悪いクソ野郎はアルジサマが生きていたことは知っていた筈だ。
そしてあえて助けず見捨てたのだろう。
虫唾が走る話だが。
「お前は…なんも知らねぇんだぞ」
馬ではしゃいでいた。通る草木に目を輝かせ、香る土と川の匂いに幸せそうに微笑む。小さな花を見つけては俺に報告をしてくるし、顔に見える木の幹に驚きもせず興味深く見つめた。
歩けないことなど気にも止めず、早く早くと急かし…領地の現実に顔を引き締めて。
「沢山の、明かりか」
何人も死んだと、書類上でのみ知っていた。よくある話だとどうでもいいと書類を部下に投げ捨てた。
よくある話だ。糞共に淘汰されるのはいつだって弱い貧民たちだった。それを俺が助けようとしたところで意味などない。全て救う気がないのなら半端に光を見せるだけで無意味だと知っている。
そして期待を持たせることがどんなに悲劇なのかも。
「人ならざるもの…」
人ならざるものに体を変えても俺のアルジサマは自分の家族とその家臣を殺すつもりだったとクソ野郎の前で言い切った。
血だらけの屋敷はまるで自分に相応しいと当たり前の顔で受け入れて、マーリンが来た時だって。
恥ずかしそうにはしていたが足をみせ、歩けないであろうことを聞いても動揺せず、当主として行動する術を聞いた。
精霊ってのは勉強を教えられるのか?と馬鹿な考えが浮かんだが、すぐに飲み込んだ。賢くなければきっとこの娘は生きてはいない。
うっすらと見えるアルジサマに寄り添う光達をそっと指で撫でるが、当然のように触れない。むしろ嫌がるように逃げやがる。それを冷やかすように触れないなりにつつく。
「なんでおめぇら教えてやんなかったんだよ」
幻想上の存在だとされていた精霊達に礼を欠くだろう言葉だがそれでも思わずにはいられない。
「おめぇらの守るアルジサマが背負う責務なんて全くなくて、逃げてよかったんだってことを」
その発言を聞いたのか、それともつつかれたことに腹を立てたのか光が体当たりをかましてくる。
それを指で弾く。不思議と俺は殺されないとわかっていた。
「馬鹿だよなぁ、おめぇらもアルジサマも…俺もさ」
ふっと力を抜いて倒れ込み横ですやすや寝息を立てているアルジサマを抱き寄せる。
細く棒のような体はちっとも抱き心地は良くねぇ。湯浴みだってまださせれてねぇから新しい服に身を包んでいても汗っぽい匂いがする。
楽しみだぜ、俺は。
例えどんな結末になろうが、俺は笑う自信がある。
ゆっくりと目を閉じ。深く息を吐いた。
唸るように寝苦しそうに身じろぐアルジサマをより強く抱き締めながら漸く意識を俺は手放した。
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