王宮の夜
マーリンは深くため息をこぼした。それを咎める様子もなくにこやかに椅子に腰かけ見つめる男は美しい口元をゆっくりと弛めた。
「で?」
「…っミルーシェ様の足は元には戻らないと思われます」
「そんな事は分かっている、はぐらかすほど気に入ったかい?」
「……片目が見えないそうです、見せてはいただけませんでしたが、ディランはそれを聞いてもなんの反応もみせませんでした、恐らく彼には話しているのではと」
「じゃあ、あの左目の下か…なるほどねぇ」
くすくすと笑う男にマーリンの背筋が冷える。それでも脳裏にあるミルーシェの柔らかな笑みがその恐怖を溶かすようだった。
────優しい笑みだった。
まるで全てを許すかのようで、まるで母の元に帰ったかのような安心感を与えて、まるで大切な存在だと愛されているように感じる。
危険な程に魅力的な笑顔で、それを一目見るだけで勝手に警戒心が奪われる。
「あの足は恐らく事故などで折れたものではありませんでした」
「…」
「潰すようにおられている、それが無理やり直された…ミルーシェ様はっ」
ミルーシェはその話を世間話のように受け取り微笑んだ。ダンスは踊れないし、常に誰かの手を借りなければ生活ができない、それは女としてのプライドを全て壊されるようなものだ。
「あの子の心の心配は要らないよ、ディランが居るからね」
「何故そのようなお考えになるのです!? ミルーシェ様は女性です! だと言うのに一番近くでお世話をするのが下賎な男など!」
思わず声を荒らげるマーリンを眩しいものを見るかのように目を細め男はクスリと小さく笑った。
「マーリン、ディランはね僕が唯一欲した人間なんだよ」
「…は、い」
「僕がどれだけ口説いてもディランは頷かなかった、名誉、地位、金品、女…僕は不思議だよ、何故虐げられ幽閉されていた娘があの男を手にしたのか」
ディランという男は有名だった。飾らない様子も、騎士としての矜恃を持たない行動も。
「信じられるかい? 我が姪の為にディランは迷わず騎士を辞めたんだ」
「っ」
「僕の許可など要らぬというかのように勝手にね? あの男が焦っていたんだよ」
ミルーシェの両親は既になく、あるのは血塗られた屋敷と地位、そして悪評高いグレンダルの名前。
ミルーシェ本人は片目が見えず歩くこともままならない。確かに美しい顔の作りはしているだろうが、体はやせ細っていて女性的な魅力がある訳でもない。
心底不思議そうに、けれど楽しそうに男は指遊びをする。
「我が姪はディランにとって全てを捨ててもいいものらしい。何がそう、駆り立てるのか不思議でね…君はなぜあの子が気に入ったんだい?」
マーリンは震えながらも言葉を紡ぐ。無言は許されないと分かっていた。この国で最上の地位を持つこの男は柔らかい物腰な見た目に反した中身を持っていることは裏では有名だった。
「…故郷、のような」
「故郷?」
「安心感があるのです、ミルーシェ様の傍は…長く会えていなかった母にあったかのような…可笑しいとは分かっていてもっ」
ディランに悪態をつき、王の姪だからとわざわざなぜディランの元に行かねばならないのかと一目見るまで苛立ちがあった。
マーリンはディランをそれほどまでに嫌っていた。
けれどそれすら吹き飛ばし、もっと傍にいたいのだと不思議とミルーシェは思わせる。
「ディランは彼女を甲斐甲斐しく世話しておりました、常に傍に立ち、少しの異変も見落とさないように」
「…ディランが」
「そして、それを横で見て私はディランに嫉妬してしまいました…なんて羨ましいと…ミルーシェ様に気を許し、お世話をする事の許される事が心底」
ぎゅっと合わせた手を握りしめる。そんな事は初めてだった。勉強で躓いたこともなく、流れるように医師になり、名誉を欲しいままにしてきたマーリンは嫉妬をしたことは無い。いつだってされる側だった。
「許されるのであればきっと私も地位を捨ててもミルーシェ様の元にと行ってしまったでしょう…けれど私は王宮医師の誇りがありますし、診ている患者もいます、そうは出来ませんが」
「それでも我が姪の傍にいきたくなる…ねぇ、分からないなぁ」
心底不思議そうに男は深く息をついた。マーリンは目の前の男の理解が及ばぬ事があるのが意外だった。全ての賞賛を欲しいままにするこの王がそのような砕けたような言葉を発することが。
「あの子の母であり僕の妹であった女は酷く愚かでね? いつも脅えて過ごしていたよ、頭も悪い、見た目しかない愚かな女は愚かな父により愚かな男に嫁いだ」
確かにこの王の父である前王は決して賢王とは呼べないものだった。私利私欲で金を動かし、何人もの王族が売られるように嫁ぎ婿に行った。唯一王妃の血を引くこの王は王妃により正当な知識を与えられていた。元からの気質はあったが、だからこそこの男は賢王と呼ばれるのだろう。
けれど、ミルーシェは。
「君が魔力の影響を受けないことは知っていた。だから魔法では無いだろうね」
「…はい、その様子はありませんでした」
「ならますます分からない、言ってはなんだが、僕は魅力的だろう? その僕が姪に負けたんだ」
クスクスと楽しげに男は笑を零し、まぁいいかと話を切った。
「ご苦労だったね、マーリン」
「はい」
退出を促されマーリンが部屋から出ていったあと。静かに笑みを浮かべる男だけがその部屋に残り、夜が更けていった。