研究員
二人の研究員は大きなガラス張りの先をぼんやりと眺め、あの紐で繋げてしまおうだとか、いや切ってみようだとか、違う紐にしてしまおうだとか、位置が悪いだとか、そろそろ太いものに変えたほうがいいのではないかなど、大きな機械のボタンをカチャカチャといじくり回しながら、呟いていた。
彼らがしきりに言葉を交わすガラス張りの向こうには、数えきれぬほどのマネキンが多彩な紐で吊るされ、額には番号が彫り込まれているようだった。マネキンらは紐が一本で固定されているものもあれば、ぐるぐる巻きに幾重の紐が結びついているものもあり、どれもこれも不安定な様相を呈していた。
「何をなさっているのですか?」
見学者の僕が、少し頭のてっぺんが禿げかけた研究員(以後研究員Aと呼称する)に話しかけると、研究員Aはもう何度もこの質問に答えてきたという感じで、抑揚のない声で説明する。
「―ああ、そうですね。調整ですよ。我々が担当するこの部署は調整が専ら仕事な訳でして、特にこの課は人間の調整を専門としている訳なのです。当然人間以外にも課によっては動物や昆虫、植物の課もあるのですが、人間課はその中でも難しいと言えるでしょう。どうも考え過ぎてしまう気質があるのです、この生物は。結果、こちらの予想しない結末を迎えることも珍しくなく、未だに謎も多く、有害指定種かつ重要なサンプルでもあるので、一定の数を確保しておく必要もあるのです。個人的には死滅してくれることを願っているのですが、まぁ、そう言ってもいられないのです。我々の仕事はご覧の通り、そんな彼らに適切だと思われる紐を結ばせ、生活環境を整え、時には戒め、または希望などという夢を抱かせてやるのです。ですがエラーも頻繁に起こるものでして……」
「―おい、エラーだ。394671が落ちたぞ」
そう研究員Aの説明を捕捉するように、もう一人の研究員、こちらはメガネをかけた神経質そうな男(研究員Bと呼称する)が口を開いた。
「自殺か?」
「そうだ。付け足した紐との相性が悪かったらしい」
「全く困ったものです。繋いだ紐の相性が悪ければすべてでダメになってしまう。ほら、あれをご覧ください。5分前に紐を取り替えたばかりなのですが、まるで腐った林檎のように紐が変色してしまっているでしょう? ああなってしまうと紐の耐久性は落ち、それは他の紐にも伝播します。そうしてバランス感覚を失ったマネキンはこぼれ落ちるのです。対処として変色した数本を取り替えてしまうか、あるいは一本でも足すか、切る必要があるのですが、どれも慎重に行わなくてはなりません。上手くいけば元の色に戻る可能性もあるのですが、ほとんどが上手い具合にはいきません。そして次から次へとこのような事態は発生するので、正直に申し上げますと、我々二人だけでは回りきらないのです。当然上もそのことは承知で敢えてそうしているらしいのですが」
そう、研究員Aが話しているうちに、真っ白な空間からマネキンが二体ほど降ってきた。一体目は淡いピンク色の紐で、もう一方は黒ずんだピンク色に結ばれている。マネキンが吊るされている先を見上げると、天井は存在せず、ただ先の見えない闇と無数の星が広がっているばかりであった。
「おめでたいね。もう一体は面倒ごとだが」
研究員Bは薄い笑みを浮かべ、彼の意を説明しようと研究員Aが口にする。
「これは二人の人間が今この時生まれたのですよ。しかし、黒ずんだピンクの紐の方、つまり色の濃度が人と社会の関係値を示すものになりますが、あれは望まれた子供ではないという指標を指すのです。あのまま行けば遠からず死んでしまうでしょう。一応手を加えてみますが、あの色だと望みは薄いでしょうね」
そう言って研究員AはBと二、三言葉を交わしたのち、機械をいじくり始めた。
「人間課所属、労働人の研究員はどうだったかね?」
僕が人間課の視察を終え、持ち場の研究室へ戻ると、上司が胡座をかいて椅子に腰掛けていた。
「―はい、製造ナンバーA型2887号とB型438号は気乗りしていませんが、業務は滞りなくこなしているといえるでしょう。しかし、あの様子だと近いうちに深刻なエラーを起こします」
「それが君の所見かね?」
「ええ、そうですね」
「そうか。ではあとは君の仕事だ。任せることにしよう」
「かしこまりました。適切な処理を致します」
上司が去り、僕は大きな機械を前にしてボタンやレバーをカチカチと操作する。ガラス張りの向こうに広がる無数のマネキンのうち二体の紐がぷつんと切れ、虚空へ落ちた。
久しぶりの投稿です。
はたして腕が落ちたのか、上がったのかよく分かりません(笑)