十一話目
ちょうど正午、普段ならこのザルツでは昼食をとる者も多いだろう。大通りは屋台や食事処、大衆食堂などから聞こえる客引きの声で賑わい、店内は休息を取っている冒険者や兵士達などでいっぱいになるはずだった。
しかし、この日のザルツは何処に行っても人の姿が見えず、皆が家屋に閉じこもっているか、この街から逃げ出したかのどちらかというまさに閑散とした状態にあった。
何故か、それは超大型の魔獣の群れ、軍勢と呼んでも違和感がないほど多数の魔獣がザルツを襲わんとしているからだ。
本来ならば冒険者や兵士達で以外の全ての住民はザルツ外へ逃がす予定だった。しかし、予想以上に住民達のザルツへの愛着が強かった。だから自分達は闘えないが、それでもザルツに残り運命を共にする、という選択をしたのだ。
これは普段なら喜ぶべきものなのだろう。しかし、今は平時ではない。護るべき者達がすぐ後ろにいる。この事実に冒険者と兵士達は奮い立つとともにかつてないほどのプレッシャーを感じざるを得なかった。
さて、その冒険者や兵士達はというと、ザルツの門の前に陣取っていた。籠城し、外壁が突破された後の市街戦を恐れたためであり、また、ザルツは籠城には不向きな平地に位置している。
さらには現在外壁の強化作業中ということもあり、そもそも籠城ができないという不幸の三段重ねが起こったのだ。
そのようなこともあってここザルツでは非常に緊迫した空気が充満していた。
しかし、そんな中でも男は変わらなかった。いや、少し違う。変わらないのではなく、いつも魔獣と戦闘する緊張感ほどしか抱いていなかった。
これは決して驕りや油断、慢心の類いではない。むしろ逆であろう。いつも以上に張り詰めた空気だからこそ、努めて平時と同じように振る舞おうとしているのだ。しかし、心中では沸々と闘争心を高めていた。
男の姿ははたから見れば落ち着いており、とても緊張しているようには見えない。
だが、それとは裏腹にこれから始まるであろう大規模な闘争に想いを馳せていた。昂り、高揚し、頬が火照り胸が弾むようですらあった。
男の性と言うべきだろうか、それとも冒険者としての矜持と呼ぶべきだろうか、なんとも言えない感情が男の身体を、つま先から頭のてっぺんまでを覆い尽くしていた。
幼い頃寝物語として聞かされた英雄譚、一騎当千の活躍をする英雄達の姿に憧れた己を思い出していた。
そうしているうちに何処からともなく男にとっては待ち望んだ声が聞こえた。
「魔獣が来たぞー!」
多くの者にとっては聞きたくなかった声。己を死へと誘う死神の声のように聞こえたのだろうか、殆どの者が青ざめている。
一体この闘いを誰が望んだというのか、望んだ者はおそらく少ないだろう。しかし、多くが望まず、少なきが歓喜に沸く闘いは、そんな理不尽と共に幕を上げた。
命を溶かす音が聞こえる。剣を振り魔獣の身体を切り裂く。己と同じ赤い血が流れ落ちる。
先ほどまであったはずの昂りが消えている。氷のように冷たい思考が男を支配する。
目の前にいる敵総てを殺す。それだけに己の総てを捧げる。
構うものか、俺が只人でなくなることなど。それで求めた闘争が得られるのなら、喜んで修羅の道を進もう。
俺は愚者なのだから。
開戦、その合図は一本の矢によって知らされることとなった。
はやった冒険者の一人が魔獣の姿を捉えるや否や弓を射かけたのだ。
その矢は魔獣の頭を掠め大地を射抜くことになったが、攻撃されたことを察知した魔獣は冒険者と兵士達が陣を構えている場所へ目掛けて突進するように駆けた。
その魔獣達の姿を見た冒険者と兵士達は「ザルツ兵団」団長のサーシャ・クレイドルの指揮のもと死地へと走った。
どれほどの数の者達が死ぬか分からない。分かるのは今自分の隣にいる奴等の大半がこの草原の肥料となることだけ。そして自分もまたそうなるのだろうか。
それでも戦う、求めるもののために。それは名声か、金か、それとも家族か、それは分からない。
だが、ここにいる者達はおそらくは何かしら己の大切なもののために戦うのだ。
怒号が、悲鳴が、矢が、剣が、槍が、斧が、石が、血が、あらゆるものが飛んでいる。
もはやこの場に正気でいられる者などおるまい。皆が皆、この凄惨で残酷な光景から眼を逸らすために昂り、血に酔っている。
そうでもなければ立つことさえままならないのだ。
怒号も、悲鳴も、人が死ぬ音も何も聞きたくない。そんなことをいつのまにか願ってしまう。
しかし、戦場でそのようなことなど到底叶わない。右を向けば人が死に、左を向けば魔獣が息絶えている。
この世界で最も狂った場所、戦場。ここでは正気を保つことが苦痛にすら感じてくる。
だから狂うのだ。血に酔うのだ。そうして己の精神を守り、死からも守っているのだ。
戦場はまだ始まったばかりである。
さあ、武器を取れ。




