一話目
ここは文明が止まった世界。科学が衰退し、魔法が生まれ、育まれた世界。
季節も星も、ただの一度も止まることなく正常に回り続けている。
記録にある限り人類は約2500年前に誕生し、その種の連鎖を止めてはいない。
古くは狩猟、それが原点であった。獣を狩り、火を起こし、己が糧にする。
そんな生活を100年か200年か続けていたという。しかし、突如として現れた女性によって伝えられた農耕、牧畜。
これは当時の人々にはなかなか受け入れられなかった。成果が出るのが短くても月の形が数周するまでかかる、ということが原因だったのだろうか。
だが、そんななかでも腐らずにその技術を伝え続けた。それが人類を前進させる一助になると確信していたから。
そして女性が伝え始めてどれ程の月日が経ったのだろうか。それは定かではないがいつしか女性は豊穣の女神、月の化身と称されるようになった。
それから人類は緩やかに発展していった。赤ん坊が歩き方を覚えるかのように。躓き、転び、失敗を繰り返し、ようやく自らの足で立ち上がり歩行するまでに至った。
ある日錬金術なるものが生まれた。ただの石を黄金に変えると嘯き、事実そうしてみせた。
ある日錬金術が科学に変化した。理由はわからない。
それは世界の自称を解き明かすと嘯ぶいた。何故かこれは受け入れられなかった。
そうして科学は淘汰された。その後すぐに、魔法が生まれた。
神の力のその一端を使える。誰かがそんなことを嘯いた。
人々はその力に溺れた。限られた者にしか扱えなかったからなのだろう。
魔法を信仰し、様々な事に使うようになった。
そうして、争いに魔法が使われるようになり、多くの人類の命を奪い去った。
すると「魔獣」という生き物が突如産まれた。人類を襲うそれには魔法の一切が効果を示さなかった。
人々は神の怒りに触れたと絶望した。
そんななかでも武器を取り、魔獣に抗おうとせん者達が現れた。
それが「冒険者」である。
草原に男が一人佇んでいた。腰に下げている剣から察するに、冒険者なのだろう。
無精髭を生やし、険しい表情をしながら辺りを見回しているその顔からおおよそ30歳後半と推測される。
男は腰を落とし剣に手をかけた。
次の瞬間、唸り声をあげながらどこからともなく狼の姿をした魔獣が男の背後に向かって襲いかかってきた。
「フッ!」
それを予期していたのだろうか、左脚を軸として、右脚を円を描くように後ろへ回す。
脚の動きと同時にいつのまにか抜いていた剣を身体の流れに逆らわず振り抜いた。
「キャイン!」
魔獣がそう悲鳴のようなものを上げるのが速いか、正確にその鋭い刃が首を切り裂いた。
「ーーー」
倒れ臥す魔獣の姿を油断なく見つめた男は剣を逆手に持ち替え、眼にねじ込んだ。
光を持つあらゆる生命の共通した弱点であろう場所を淡々と攻撃するその姿は、いっそのこと冷酷にさえ見える印象を与えることだろう。
「………………」
男は無言で剣を抜き、刃に付いていた生命活動の証とも言えるものを布で拭き取った。その後に剣を鞘に戻し、魔獣をちらりと見やった。
するといつのまにか魔獣はその姿を消しており、その代わりに拳程の紫色に輝く鉱石のようなものが転がっていた。
魔石、そう呼ばれる。その石は魔獣しか持たず、魔獣を殺すことでしか体外に取り出すことができない。
これは現代の魔法に依存した世界において無くてはならない存在であり、それを採取することが冒険者の仕事の一つとなっている。
「小さいな、やはり小物か」
男はそうぼやいた。このままでは今日の魔石の換金目標額に達しないと考えたのだ。
しかし、周りを見渡しても獲物となる魔獣はいない。それに空は赤く染まっており、まもなく日が沈み夜が顔を出す頃になってくる。
「……仕方ない、帰るか」
口惜しいと感じながらもこれ以上の活動は危険だと判断し、魔石を拾ってから自分の拠点へと歩き出した。
「おう、やーっと帰って来たか!いつもいつもお前は日が落ちるギリギリまで帰って来やしねぇ。もちっと何とかならねぇのか?お前だってそう若くはないんだからよ」
男の拠点であるガラン、そう呼ばれる街の門に到着するや否や兵士風の男はそう声をかけて来た。
まるで山賊かと見間違える程に凶悪なその顔を笑顔で歪ませていた。傍目には何か悪巧みでもしているのかと思われるくらいの顔は、よく子供から怖いと泣かれることでこの街では有名だ。
「うっせ、俺にも色々あんだよ。それよりも、ザルツ。相変わらずお前は悪い顔をしてやがるな。どうにかした方が良いぞ」
男が肩をすくめながら自らがザルツと呼んだ男を見やる。
するとザルツは心底嫌だという感情を隠すことなく顔を更に歪めた。その顔はまるで噂に聞くオーガの風貌かと勘違いしてしまいそうだった。
「顔はやめてくれ。そんなこと言われても、顔の骨格ごと弄らなきゃならんくなる」
「そりゃあいい。やってもらったらどうだ?」
余程仲がいいのだろう。このような会話をしても険悪な空気になることもなく二人は笑顔で話していた。事実、この二人にとっては毎日の挨拶のようなものだった。
この後二言三言言葉を交わしたところでザルツの同僚が男を早く通せと言わんばかりにこちらを見てきたので、男はそそくさと門を通り街の中へ入って行った。
これは決して英雄にはなれないとされた男の物語。