5 拳
ケイと出会ったのはナイトクラブだ。
今考えれば、行かなきゃ良かった、と思うが、後の祭り。コスプレにも慣れ、普通に電車に乗れるようになったので、何処かに行きたくなったのだ。コンビニや喫茶店は、すぐにクリアできたので、レベルを上げた、というわけ。
とにかく静かそうな店を選び、出かける。が、ナイトクラブと静けさは矛盾する。
因みに、店が客に飲食物を提供でき、客が店の者ではない女性を同伴できる夜間営業の店がナイトクラブで、それができない店がキャバレー、という分類だ。
友だちと行けば良かったが、コスプレを打ち明けた少数の中には近くに住む者がいない。
それで一人で出かける。
慣れない雰囲気に戸惑っていると、若い男に声をかけられる。顔面を髭で覆った濃い男だ。筋肉質でもある。
「ここは初めて……」
「はい」
「一人……」
「はい」
「可愛いね」
「ありがとう」
「何か飲まないの」
「勝手がわからなくて……」
「じゃ、メニューを持ってこよう」
店員なのか、それとも客なのか、と、わたしが戸惑っていると、
「ハーイ、一人……」
別の若い男が、わたしに声をかける。今度の男は前の男と比べると顔が薄い。
「とりあえず一人だけど、今、メニューを待ってるの」
「意味がわからないな」
「さっき、別の男の人に声をかけられて……。でも店員さんだか、お客さんだか、わからなくて……」
バンドが大音響で演奏しているので、わたしの小さな声は伝わり辛いようだ。男が顔を近づけてくる。そこに、前の男が戻ってくる。
「はい、メニュー」
「ありがとう」
「で、そちらさんは……」
「えっと、今、声をかけられた人で……」
自分では、そう話しているつもりだが、上手く伝わっているかどうか、心許ない。
すると、二人の男の雰囲気が少し険悪になる。
「お嬢さん、どっちと付き合いたいの……」
後の男が言い、
「後から誘ったやつが何言ってんだよ」
前の男が語気を荒らげる。
「いえ、わたしはどちらとも……」
咄嗟に放った、わたしの一言が後の男を怒らせたようだ。
「何、お高く留まってんだよ」
後の男が苛々した口調で、わたしに言う。まだ手を出しそうな気配はないが、顔は笑っていない。
「いいから、お前は引っ込んでろよ」
すると前の男が、後の男に言い放つ。今にも手を出しそうだ。
「うるさい奴だな」
「いいから、こんな奴は放っといて、いいことしよう」
「こんな奴だと……。ふざけやがって……」
「じゃ、やるか」
前の男の顔が凄む。
それを見た途端、後の男が急に狼狽え始める。つまり、それだけ凶暴な顔つきだったわけだ。
捨て台詞も舌打ちもなく、後の男が去って行く。
「興ざめちゃったよね。で、何を飲む。それとも、いいことする」
今や一人となった男が、わたしの所有権を主張するかのように猫撫声で言い、目を見開く。
怖い!
「あの、やっぱり、わたし、いいです」
恐怖心から、わたしは咄嗟にテーブル席から立ち上がり、男から逃げようとする。が、男は、わたしの左腕を掴み、逃がさない。
「往生際が悪いよ。座ったら……」
わたしの頭の中はパニック状態だ。が、仕方なく腰を下ろす。男はまだ、わたしの腕を掴んだままだ。わたしの胃が痛くなる。
そこに現れたのがケイだ。
「この人、嫌がってるから……」
まだ名前を知らないケイの方を見ると身体が細い。わたしの所有権を主張する男と殴り合ったら一発で壁まで吹っ飛びそうだ。
「何だ、やるのか」
と、再び、男が凄む。
余程、喧嘩に自信があるのだろうか。凶暴そうな顔面を、わたしの救い主にぬっと向ける。が、救い主は怯えない。それが男を怒らせたようだ。右掌で救い主の左胸をドンと押す。単にそれだけで、わたしの救い主が思わず後ろに倒れそうになる。その姿を見、男が顔面をにやつかせる。それを見た瞬間、救い主がキレたようだ。
目にも止まらぬ右ストレートを男の顔面に炸裂させる。決して大きいとはいえない救い主の右拳が男を仰け反らせ、数メートルも後ろに吹っ飛ばす。
が、倒れはしない。男は頭を左右に振っているだけだ。
その瞬間、
「逃げるから……」
一瞬でキレ状態から醒めたらしいわたしの救い主が、わたしの耳許で素早く囁く。ついで、わたしの左手を握り締める。次の瞬間、わたしを引き摺るように猛ダッシュだ。
店の中が騒然とする。
当然のように男が追いかけ、わたしたちが混雑した人の間を縫うように逃げる。
が、救い主のストレートが思ったより利いたようで、男の足取りが乱れる。それで、わたしたち二人が無事にナイトクラブBを脱出する。
けれども、それから数分以上、走り続ける。