12 心
「この公園、広くない……」
蛍の鑑賞地を抜け、一旦丘の上に上がり、ついで板の階段もある長い下り道を降りつつ、ケイが言う。
「しっかりと管理されている割には広いと思うよ」
ハイヒールだったら歩けない道だ、と思いつつ、わたしが答える。
「でも、いいコースでしょ」
「身体を鍛えるにはね」
「近くに越したら……」
「会社が遠くなる」
「だけど、健康第一……」
「考えとくよ」
ケイの『考えとく』は、今は考えない、の意味だ。あるいは単なる会話の返し言葉。
そう思いつつ、今日、ケイが公園に行こうとわたしを誘ったのは、わたしの靴を見てのことだろうか、と考える。ケイは気遣いができる人間だ。だから、今日のわたしが女子高生ではなく、ハイヒールを履いた女性だったら、きっと公園には誘わなかっただろう。確信はないが、そう思う。おそらくケイは誰にでも、そんなふうに気を遣うのだろう。
あるいは意識せず、そうしているのだろうか。……だとすれば、ケイは素敵な育てられ方をしたのかもしれない。
が、ケイは自分の家族のことを、わたしに話さない。もしかしらた、それは会社の同僚でも同じかもしれないが……。
ケイが話さないから、わたしもケイに彼の家族のことを訊ねない。頭の可笑しなわたしに気遣いの心があるとすれば、それくらいだ。
「やっと地面だ」
丘の階段を降り切り、ケイが叫ぶ。
「大きな池があるな。夏だと蚊に刺されそうだ」
「だから蚊がいる季節には防虫スプレーがいるよ」
「メグは刺される部分が多いからな」
「夏本番の蚊は服を通しても刺すから始末が悪い」
「防虫スプレーをすると本当に蚊に刺されなくなるわけ……」
「製品によって違いはあるけど、基本的にはそう。でもスプレーの隙間があると、そこを集中的に刺される」
「なるほど……」
「その場合は悲惨……」
「だろうね」
「でさ、奥に美術館があるんだけど、寄ってかない」
わたしがケイを公園付属の美術館に誘う。これまで数回、入館したことがあるが、いつも一人だ。
「上から見えたあのヘンな形の像は美術館のだったか。納得……」
目敏く、ケイが自分の考えを述べる。
「上では、そんなこと一言も話さなかったじゃない」
「何でもかんでも言わないよ。子供じゃないし……」
「攻めてないよ」
「わかってる」
「で、寄るの。それとも止めとく……」
「せっかくだから寄ろうか」
……というわけでT美術館に入る。入館料は五百円だ。
「わたしが奢るよ」
「さっき、飲み物代も出させちゃったし……」
「誰かと来てみたかったという願いが叶ったと思えば安いモノよ」
……という流れで、わたしが二人分の入館料を払う。
この美術間に誰かと来たかったのは本当だが、わたしが想定していたのは、もっと色っぽい話だ。
そのとき、ケイと手を繋いでいなかったので、わたしはケイの手ではなく、右腕に自分の左腕を絡ませる。するとケイは一瞬、おやっ、という表情を見せるが何も口にしない。
T美術館は個人の美術館なので、Tという芸術家の作品が収集されている。季節毎に内容が変わる特別展示では、生前Tと関わりがあった芸術家や、その他の有名人の作品や日記が公開される。が、今は間氷期ならぬ間特別展示期だ。特別展示が始まるのは来週の土曜日から……。
特別展示があろうが、なかろうが、入館料が変わらないので、わたしは少し損をした気分になる。が、それを顔には出さない。出せば、またケイが気を遣うからだ。
最近、ケイのことを考えると、わたしは少し妙な気分になる。ケイの心は男性だから、わたしを好きになる気遣いはない。が、わたしの場合は微妙なのだ。つまりケイの身体は女性で、わたしの身体と心は男性だ、ということ。
……だからといって、わたしは自分がケイに恋をしているとは思わない。その辺りの自覚はある。それにケイの気持ちを考えれば、縦しんば、そのような状況が訪れようと、口が裂けても、わたしはケイに自分の気持ちを告げないだろう。仲が良い友だちとしての関係を続けようとするだろう。
けれども、人の気持ちは変わるのだ。
この先十年、ケイと付き合い続けたとして、双方の気持ちに変化がないとは限らない。当然、わたしはケイや自分の心変わりを望まない。が、先のことなど、誰にもわからないのだ。
「あの、おねえさん、どこかヘン……」
近くで子供が、わたしを指差し、母親に告げる。それで子供の母親が怪訝な表情でわたしを見る。
が、それも一瞬のことだ。すぐに異常な日常が戻ってくる。
こんなふうに、わたしは時折、勘の鋭い子供に正体を見破られる。が、不思議とケイがそのような状況に陥ったことを、わたしは見たことがない。
つまり、それくらいケイは男である、ということだ。
その事実を認識したとき、わたしにできたのは、やれやれ、と首を竦め、小さな溜息を吐けたことだけだ。(了)
最初にも書きましたが、具体的には、この小説は『白い衣装の人』https://ncode.syosetu.com/n7557dp/の姉妹編です。テーマ的には一段階、ややこしくなっていますが……。




