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古本屋―雪椿―  作者: 秋月雅哉
7/9

21:00 追想・ミコト

昨日は珍しく客で賑わっていた雪椿だが、今日はいつものように閑古鳥のなく夜となりそうだった。

もっとも夕方付近に世界を渡ってやってきて、一時的に定住している龍人がかなり大口の買取を行ってくれたし、新しく本を差すための魔導書も持ってきてくれた。

もともと贅沢をしないミコトとサクラの二人なら、数か月くらいなら客が来なくてもやっていけるだろう。

久しぶりに少し店を閉めて本の仕入れに行くのもいいかもしれない。異世界で巡り合う本は珍品として好事家に、新しい文字の習得として学者や研究科に、そして時々故郷の本だ、と懐かしがった文学者に買われていく。

ミコトは聖金貨を金庫に入れると厳重に鍵をかけ、そのうえで魔術によって封印を施す。大金だし、管理は厳重にするべきだろう。もし自分に何かあったときにサクラが暮らしていくうえで、雪椿という拠点と他ではあまり取り扱わない本の数々、そして金銭や法具、呪物の類は役に立つはずだ。

(もっとも……呪いにはあまり手を染めてほしくないが。白百合は虚ろ故、呪詛を繰り返すうちに心がまた壊れてしまうやもしれぬ。陰陽師としての在り様は教えたし、俺よりよほど才能があるが……天使という穢れなき魂は呪詛によって曇ってしまうかもしれない)

親としては半人前どころか失格なほど不器用で、口下手で。表情に出すことも苦手だがミコトは誰より近くでサクラを見てきた。

血の繋がりはない。親子らしい会話も少ない。種族だって違う。性別も違うし、朴念仁なミコトは女性特有の悩みに気づくことも自分ではできないだろう。

それでもミコトがまず優先するのは自分のことではなくサクラのことなのだ。

他のすべての気遣いが足りない、至らないと自分を責めるからこそ、自分にできる最大の心配りで龍人は天使を見守ってきた。

本だけと向き合ってきた二人。本を通じてしか他人と接することのできない不器用な二人。

しかし向ける思いはきちんと相手に届いている。至らないと自分を責めている部分まで届いている。

だからサクラはミコトを「貴き龍の方」と呼んで敬意を示す。生きるのが下手な父親代わりの苦手な部分を引き受け、彼が自信を持ってくれるように自分が苦手な部分の教えを乞い、ミコトの博識さを素直に称賛する。

サクラの本質は確かに虚ろなのだろう。虚ろだが、心神喪失していたころの、何もしゃべらず、自分からは動こうとせず、笑ったり泣いたり怒ったりもしない。そんな人形のような状態から経営者の一人として、そしてミコトよりうまく客の要望を聞き出し、押し売りでない程度に商品を進められるようになったのは、育てたのが他の誰でもなくミコトだったからなのだ。

サクラにはミコトが必要だった。そしてミコトにもサクラが必要だった。伴侶として、や、恋人として、ではなく一人のヒトとしてお互いが必要だった。

「貴き龍の方は、趣味ではどのような話を読むのですか?」

魔導書を改めていたサクラがそっと夜の静寂を声で震わせる。

「趣味でか?ふむ……最近は、童話を読んでいることが多い気がする」

「童話、ですか?」

いつも険しい顔をしているミコトが童話を読むことが意外だったのだろう、サクラが顔を上げて軽く首をかしげた。

「俺は心身ともに武骨な男だ。子連れの客に泣かれることも多い。だから、子供の心に寄り添えるように、童話を読んでいる」

優しく在りたいと、思う。勁く在りたいとも、思う。小さな命に、まっさらな心に寄り添えるように。その夢路すら守れるように。

攻撃より防御や加護、守護のまじないや護符を作ることが得意なミコトが願うのは持てる力の限りをもって護ること。

先に生まれたものとして、様々な苦労をして人生に絶望しかけた時に出会った希望であるサクラを護ること。

本当はもう、守護など必要のないくらい立派に育っていることを知っている。

いつかこの手を離さなければいけないことだって、わかっている。

それでももう少し護っていたいと思うのは、その魂があまりに無垢だから。

人を信じることを良しとする。たとえ裏切られたとしても、それは自分の配慮が至らなかっただけで、裏切った人の品格が落ちるだけで、自分が人を信じなくていい理由にはならないとサクラは笑う。

情けは人の為ならずというから、人を信じていれば自分を信じてくれる人が集まってくる。そういってサクラは笑う。

それでも裏切られれば繊細な少女は傷つくだろう。その時、サクラはその人を赦すだろう。

――しかし、自分はその相手を赦せるだろうか?

是、といえる自信がミコトにはない。

ミコトがサクラを傷つけたことを赦せないことを、サクラは察するだろう。そして傷つくだろう。どうか自分のために心を乱さないで下さいと願うだろう。

それでも、それでも、それでも。

自分に残された最後の希望はサクラが幸せに暮らすことだから。自分に残された最後の誇りはサクラを護ることだから。

サクラが傷つくことが恐ろしい。傷つけた相手に自分が何をするか、どこまでしたら止まれるのかわからないことが恐ろしい。

(……あぁ、だからきっと)

サクラは自分のそばにいてくれるのだろう。もう大丈夫だ、とミコトが安心するまで、そばでミコトの心を支えようとしてくれるのだろう。

それがサクラ自身の望みでもあるから。サクラもサクラで、ミコトを護りたいと願っているから。

「貴き龍の方。よければ童話をいくつか、見繕っていただけますか?私も貴き龍の方が読む話を読んでみたいのです」

「あぁ、わかった。今日は客が来ない予感がするから、一通り雑務を終えたら本を読んで明け方まで時間をつぶすとしよう」

「はい」

サクラが嬉しそうに微笑む。

いつかサクラが誰かと結婚して、子供が生まれたら。自分が勧めた童話を、子供に読み聞かせるのだろうか。

その時自分はどんな気持ちでいて、どこで何をしているのだろうか。

きっとそれはくるとしてもまだまだずっと先の未来の話。

来ない可能性だって低くはない話。それでも、きたらいいと思うし、同じくらい来なければいいとも思う。

サクラが幸せになることが何よりの喜びで、誇りだから伴侶にふさわしい相手がいるなら、そして相思相愛なら嫁に行って健やかに過ごしてほしい。

けれど不器用な二人同士、この本の墓場のような静かな雪椿で、雨音を聞きながら、時折訪れる客人の相手をしたり、本の手入れをしたり、旅の安全を願う護符や、読書のお供になる、栞やブックカバーを作ったりという、墓守のように静かな暮らしを二人で一秒でも長く続けたい気もする。

(すべては白百合の意思次第だが……それでも、俺は……)

その人生が穏やかであれ、とやはり願ってしまうのだろう。半人前の、親として。

今日も色あせた表紙の中、書き綴られた文字たちは読み手を待っている。

紙と、インクや墨と雨の匂い。太陽がなくても不思議と芽吹き、根腐れしない樹木や家屋を叩く雨の音。

そんな静かに停滞しているような、けれど確かに動いている世界で、ミコトはサクラに勧める本はどれがいいだろう、と今まで読んだ本に思いを巡らせるのだった。

深く熟考を始めたミコトを見て、サクラが微笑ましいものを見た、というように柔らかく微笑んで初夏の整理に向かったことに、気づかないままで。

時刻は21時。雨が降り続けているのに白茶けた雰囲気を持つ、骨董品のような街に落ちる夜のとばりは深く重いけれど、その分人々の心を温める何かがある。そんな街には、一軒の古本屋があるのだ。

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