17:30 焔華紅の龍人
壊レタ世界ノ唄ウ詩とコラボさせてみました
雪椿のある白茶けた街には今日も霧雨が降り続く。
明け方閉店作業を終え、果物をいくらか食べて床についた二人は、昼過ぎに起床した。
家の掃除や食事の支度、洗濯などはサクラの仕事だ。
ミコトも手伝おうとはするのだが料理の腕は壊滅的、掃除をさせれば余計に散らかり、洗濯をさせれば力を込めすぎて布が駄目になる。
控えめにいって生活にも接客にも向いていない男やもめに育てられたサクラは、何故か家事全般が得意である。
度重なる失敗を見て自分なりに効率を考え、駄目になった布を再利用するためにやりくりしているうちに家事技術が磨かれたのだろうか。
それとも虚ろではあるがきめ細やかな性格のお陰か。
雪椿の小さな七不思議を知るものは、しかしあまりいないのはミコトにとって幸いだろう。
(仮にも義父で師匠だというのにこのままでは面目が立たんな……)
しかし五十余年生きて全く身に付かなかった技能が一日二日で身に付くはずもなく。食材や布地を無駄にしないためにはサクラに任せるのが一番ではある。
稀少な古書や珍本を必要な人が手に取りやすい価格で販売しているので、固定客がなにかと生活用品や雑貨の材料を融通してくれるが、雪椿の経営状態は決していいとはいいがたい。
どちらかといえば陰陽師として二人がまじないをしたり、憑き物を退けたり、護符を作ったり。
そんな副業の方で生活は支えられていた。
陰陽師として二人に依頼する場合、定まった料金というのはない。
「このお陰でいいことがある、悪いことが退けられる。そのために自分が払ってもいいと思う額」というのが二人の方針だからだ。
意に沿わないほど高い料金を請求されて効き目がなかったと難癖をつけられるよりは、何かしてもらったらお礼をする、そんな在り方のほうがサクラとミコトにとっては性にあう。
そしてこの街の人々はそんな陰陽師を軽んじることなく、自分が適正だと思える料金や、二人が役立てることのできるものを納め、思った以上に加護があったときはお礼として本を買っていく。
そして異世界の旅人にさりげなく雪椿のことを宣伝し、新しい顧客を巡らせてやっているのだ。
古本屋にとっていい客というのは本を買っていく人だけではない。
ジャンルはどうであれ珍しい本、手に入りにくい本を売りにくる人もまた、いいお客さんなのである。
新しい本を取り扱う店ならば出版されたものを見定めて売れ筋が良さそうなものを仕入れることができる。
しかし古本屋というのは巡り合わせでしか新しい目玉商品はやってこない。
そんな関係から、今日訪れる、と飛竜が使いを寄越した一族は乗客と言えた。
17時半、大口の買い取りにあわせてすこし早めに店を開けておくと大柄な男がやってきた。
タオルで体を拭くことなく一つ息を吐くと水滴は蒸発する。
「よぉ、すこし久しぶりかね。今回もよろしく頼む」
ミコトの、濁った赤い髪とは違い鮮やかな赤毛は肘まで伸びているが首の後ろで括っているためその長さには気づきにくい。
涼しげで切れ長の瑠璃の双眸、よく日に焼けた鍛え上げられた体は大型の猫科の動物のよう。
着崩した軍服に身を包む男もまた、ミコトとは別の血族の龍人である。
異世界では王家として国を統べていた、従弟と世界を滅ぼすと予言された下の従弟とともにこの世界へと渡ってきた。
従騎士という立場ではあるが兄のほうが弟を大事に思うあまり暴走したり、地獄の炎で補った正気が危ういときのストッパーをしているのが、この赤毛の青年である。
弟の魂に刻まれた世界を滅ぼす呪いが発動しかけたとき、鹵獲術師である兄は月に魅入られた。
『弟を殺さなければ続いていかない世界など、滅んでしまえばいい』
失われた正気は従騎士の操る浄化の炎と、罪を灼く地獄の業火で補完され、その代償に従騎士は翼と心臓を捧げた。今も彼が生きているのはそれを焔で補っているからだ。
世界の運命を振り換え、滅ぶ世界、死ぬ弟を切り離し、三人は流離人となって、今はこの世界に滞在している。
「お久しぶりです、焔華紅のかた」
「ここは変わらないな。美人がいるのはいいことだ」
サクラに呼び掛けられた男がにやりと笑う。
社交辞令だとはわかっているが自分と少し似た男が義理の娘を口説く様をみるのがミコトは落ち着かなくて仕方ない。
「水雫石の方と深艶蒼のかたはおかわりなく?」
「相変わらず研究三昧だなぁ。で、これが今回編み出した魔導書の写本。原本は要りようなら次持ってくるわ」
革の表紙の本には魔術で封印がされている。
「魔導書を書き綴ることによる精神汚染は、適性と修行、日々の生活によって侵食度をある程度押さえられますが…あのお二人の才能は凄まじいですね」
「神龍と聖龍が魂と体を作ってるからな。弟には邪龍の呪いもくっついてるが」
歌詞のおまけのように世界創世で悪とされた龍の呪いを語り、本を並べる。
十数冊の魔導書が静かな水の波動と風の波動を放っていた。
「今回は風の魔導書か」
「雨雲を一時的に退ける魔術を組んでみたらしいぜ。月の加護や太陽の加護がいる場合に使えるようにって」
世界を渡るうちに取り込んだ魔術から新しい術式を編みだし、魔導書として綴り、従騎士に持たせて雪椿に卸す。
三人はそうして生計を立てていた。もっとも鹵獲した魔術の中に空気中から世界に影響を与えない程度のものを作り出す魔術があるとかで、食事や衣服には困っていないらしい。
「お題はいつものように神水と、鉱石を砕いて作ったインクと魔導書を書くためにすいた紙でいいのでしょうか?」
「あぁ、あと魔力を押さえ込む、表紙に使えそうなものと本を綴じる糸かね、あの二人からの注文は」
陰陽師をやっている二人も呪術書を書き綴ったりするため、それが資格ないものに悪用されないように道具から誂えている。
鹵獲術師の兄弟はそれを少し分けてもらうことを代金の代わりに求めるのが常だった。
「あと、魔方陣を書くために質のいい星屑があれば欲しいといっていたな。インクの代わりにするんだと」
星屑には宇宙の歴史とこの世界にない魔力が宿っている。
めったに降ってくるものではなく稀少品とされていた。
もっとも、星屑を使う者は限られているため売る場所を知っていれば財布は寒くはなるが入手はできることが多い。
「星屑で魔方陣ですか…鉱石を使うのではたりないとすると、かなり大がかりな術式ですね」
「俺たちの故郷、落ち人に偏見が多いし、予言に縛られてるからなぁ。予言の精度を少しずつ落として、自分達で考えられる頭を持って欲しいんだと、俺の主君は」
そのために惑星ドラスを作り出した創世主の定めた天命を覆す術式を編むのだという。
「ならばあちこちの世界で入手した星屑のほうがいいな。世界の命運を振り換えるには莫大な魔力と、欠けたものを補う惑星の命が必要だ」
そして命とは続いていくもの、単一ではなく混ざりあっていくもの。
だからこそ、一つの世界でとれた星屑ではなくありとあらゆる世界に落ちた星の欠片を用意する、とミコトは告げる。
「わりぃな、無理いって。代金はこれで足りるかね」
買い取りは雪椿へかける負担のお礼も兼ねていて、インクと紙と糸を買えばあとはさほど残らない。
従騎士が取り出したのはこの世界でもっとも価値があるとされている聖金貨が大きめの皮袋にぎっしりと。
「これだけの枚数の聖金貨、よく集めたものだな」
「金払ってでも魔術師をやめたいやつとか、陰陽師より鹵獲術師に向いてる仕事とか、俺が武術の指南やったりとかな。あとは原典は高値で買ってくれるからその貯金だ。まぁ、俺ら生活費は必要ねぇからなぁ」
サクラが取引の帳簿をつけている間にミコトが葛籠にいれた星屑を背負子にのせて持ってくる。魔導書の写本の代金がわりの品も油紙で包んでいれた。
「返しにくるときは従弟のどっちかが魔術書買いにくると思うわ。そんときはよろしく」
従騎士なのに護衛にはこなそうな口ぶりの男に、深くは問いたださず雪椿の二人は頷く。
「龍の旦那、これで蛇の長者に輿入れしなきゃいけない理由は一つ減ったかい?」
「むぐ」
「それは、いったい…?」
焔華紅の男はカカと笑う。
「白百合の嬢ちゃんに店を譲るとき、赤字経営じゃ困るから蛇の長者に婿入りしてスポンサーになってもらおうか悩んでる。弟がそんな夢を見たらしくてね」
苦労を掛けている娘に辛い思いをさせるくらいなら、と思い込んだら一直線なところのあるミコトは思い悩んでいて、それは夢という形で鹵獲術師に伝わったらしい。
宿星を振り換えるという目的に嘘はないだろうが、スポンサーならここにもいるぞ、という意思表示もあったのかもしれない。
ミコトは苦虫を噛み潰したような顔で、それでも好意に礼をいったのだった。
有り難いのだ。結婚は、まだ考えていないし、義務で伴侶とするのは申し訳がないとは思っていたから。
だがサクラに知らせることで同じ作戦を二度ととらせないよう、サクラからお説教をさせる気満々の、この異世界出身の火龍の化身がミコトはどうも苦手なのだった。
「……配慮、痛み入ると伝えてくれ」
「おぅ、じゃあ、いい夜をな」
嵐のように赤い男は去っていった。
もうじき、本格的に夜の帳が落ちようとしていた。