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古本屋―雪椿―  作者: 秋月雅哉
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0:30 狸の呪術師

犬神の青年が去ってから、さらにしばしの時間が経過して日付が変わるころ。

閑古鳥のなく雪椿にしては珍しく三人目の客があった。

狸の呪術師である。

網代傘をかぶり、縞染めの着物に身を包んだ男は年のころは四十半ばに見えた。

だが、雪椿を訪れる多くの客は外見と中身の年は一致しない。

世界を渡っていくうちに徐々に肉体が年を取ることを忘れたり、まじないの書物によって若い命が三十も老け込んで見えるようになることが多いからだ。

そして人間と違って異形の者は実に長い時間をゆるりゆるりと生きていく。サクラやミコトも、体感としては外見と同じ程度の年のつもりだが異郷のはざまにおいて体感というのは当てにならない。

自覚しないままに数百年の時がたっているかもしれないし、二十年生きたつもりが数年しかたっていないのかもしれない。

異形の中でも特に冷覚が高いとされる天界の種族であるサクラと伝説にしばしば登場する竜の血脈を継ぐミコトにとって、時間はそれほど大きな意味を持ってはいなかった。

何年生きたかが大事なのではなく、生きた時間の中で何を成し、何を遺すかが大事なのだと二人はすでに知っている。

そして狸の呪術師はそんな二人にとってなじみの客だった。客の中では一番足しげく雪椿に通っているといってもいいだろうと思われる。

異界からやってきた書物は多かれ少なかれこの世界にとっては奇書で、奇書の中には読み解けば呪術に反映や衰退を齎すもの、そして世界に祝福や災いをもたらすものなど大きな節目の役目を持っている力ある書なのだ。

雪椿の二人は渡ってくる書物を精査し、旅に送り出す書が悪用されることがないようにまじないや封緘を施して世界の均衡を担う呪術師でもある。

否、呪術師だからこそ関所のようにこの場所に古本屋というもっとも人の念が集まるものを売り買いする店を開いたといってもいい。

呪術師とは識る者であり、報せる者であり、求めるものである。

故に呪術師は雪椿を重用し、行商人は雪椿の店主二人を経て有益なものになったものを世界に流通させる。

あるいはサクラやミコトといったたぐいまれなる力を血脈に取り込むことで一族の衰退を退け、繁栄を齎そうとする。

陰陽師は呪うものであると同時にことほぐものでもあるため、種族の違いによる反発が少ないというのもあるのかもしれない。

「禁書をいくつか仕入れましてね。この世界から離した方がいいようだから、どこかご縁があれば送っていただきたいのですよ」

風呂敷包みから古びた、鍵のかかった本を取り出す呪術師。ミコトが本に手をかざし、力の波動を探る。

「拷問や処刑、為政者の悪逆を、犠牲者の血をもって書いた呪本に思えますが」

口を挟んだのはお茶の支度をしていたサクラのほうだった。ミコトも同じものを読み取ったらしく僅かに顔をしかめている。

「サクラ様は相変わらず霊的感応力がずば抜けていらっしゃいますな。触れることなく解き明かしますか。……お体に変調は?」

「大丈夫です。ただ、入念に封印をした方がいいかもしれません。ここは龍脈の上にありますから、怨嗟の念が具現化してしまうかも。鍵は強いものですがはじけ飛んでは龍脈がけがれてしまい、里に災いが起きます」

人と天の架け橋となる種族だからか、それとも心が虚ろで、だからこそ多くのものが反響する魂となってしまっているからか。

サクラの忠告に呪術師もミコトも難しい顔で同意を示す。

「結界の類は私より貴き龍の方のほうがお得意ですから、封じの籠目に盛り塩をして、魔除けの水晶をおいてはどうでしょうか」

「そうだな。これは売りに出すまでにかなり時間をかけて封印と浄化をしないと、どこの世界に行っても災いとなるだろう。あるいは魂を捕食する種族の臨時の糧にするくらいか」

人の魂を食らう種族はそれゆえに忌み嫌われるが、多くは生命の危機でもなければ大気中に漏れ出る生気を取り込むことで空腹を紛らわせ、世界にひっそりと点在して生きている。

種族というよりは先天的な病に近く、何の理由もなくそう変質してしまうケースが多い。

発症したての頃は力のコントロールが効かず意に添わぬ殺人を行ってしまい、その結果追放者となることも少なくない。

「それがいいかもしれませんな。行き場をなくして封じ込められた魂も、糧として取り込まれて消化され、輪廻の輪に戻れるし無益な殺生も防げる。魂というよりは……魂となり得るほどの大量の、無念ですか」

「こういった呪本は、どうしてもいつの時代も好事家が好んで秘密裏に取り寄せて、その結果悲劇を呼ぶのですよねぇ……」

三人の術師は世の残酷さを嘆いて一様に嘆息し、書物を鶴久うえで犠牲になった人たちへ鎮魂の黙とうをささげる。

血をインクのかわりにするだけでは飽き足らず、皮膚を使ってページと表紙とし、髪の毛を使って綴じた本には深い恨みつらみが宿っているのが感じ取れたが、力ある者たちの黙祷によって彼らはほんの少しだけ怒りを収めたらしい。

「ところで、犬神家の若君がサクラ様に求婚されるとか」

「さきほどお断りしましたよ」

広いようで狭い世界だ、誰が誰に求婚しようという画策はほかの求婚者がいないか探り合いをするうえでも意図的に流れる類のものである。狸もそれをいずこかで聞きつけたのだろう。

「蛇の長者が、ミコト様を婿に、とお考えの様ですよ」

「むぐ……」

義理の娘の縁談を退けて複雑な心境をしていたミコトに、その言葉はまさしく寝耳に水だったのだろう。唇から腹を踏まれたような奇怪なうめき声が漏れた。

「俺は婿にするにはいささか薹が立ちすぎているように思えるが」

「向こうの姫君は二百年かけて成長した方ですから、ミコト様は実年齢でいえば四分の一。薹が立っているというほどでもございますまい。蛇と龍は血脈的にも相性がよろしい。縁起の良い白蛇の姫君だそうですよ」

「……………どう断るべきか」

サクラを理由にすればでは養子としてサクラも来ればいい、ということになりそうなのが親の再婚の恐ろしいところである。

「結婚する、という考えは全くないのですか。親子そろって何が不満なのやら」

「「結婚するには我が身はあまりにも未熟に過ぎて……」」

計らずしも親子そろって一言一句同じことを、まったく同じタイミングで口にしたせいで狸の呪術者はしばらく笑いの発作に襲われた。

雪椿がなくなれば不便ではあるが、おそらく通いでこの店は続くだろうから、求婚者と求婚される二人以外にとってはくっつこうが別れようが茶飲み話の話題の一つに過ぎないのだ。

不器用な親子が他の人と交わって生きていくことができるならめでたく、まだ二人だけで寄り添って生きていたいというなら見守る、という懐の広さが根底にあるのだが、不器用な二人にそれが伝わるのは、果たして何十年後のことか。

あと数時間で、今日の商いも終わるころ合い。いろいろな意味で密な一日となったのだった。

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