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古本屋―雪椿―  作者: 秋月雅哉
3/9

22:15 犬神の青年

涙雨のような降り方をする雨はまだ続く。雪椿では狐の行商人を見送ってから半刻ほど時間が経過していた。

「貴き龍の方。行商人さんから買い上げた糸に勾玉や菅玉や丸玉を通して、旅の安全を祈る玉飾りを作ろうと思うのですが」

「うむ。ここは扉に近いせいか、異世界に赴くものや異世界から渡ってきたものが多くよるからな。きっと喜ばれるだろう」

はい、皆様の旅の無事を祈願して作りましょうね、とたおやかに微笑むサクラ。

ミコトはそんな少女の笑顔を見るともなしに見た後、糸を数本選んだ。

「……貴き龍の方」

「なんだ、白百合」

「糸をより合わせるのは私が行ってもよろしいですか?失礼ながら、その色目はあまりよろしくないかと」

紫と黄色と水色と赤と茶色を選んだミコトのセンスにサクラが物申す。

「む……すまんな。では俺は書架の整理でもしておこう。新しく仕入れた本と、長く棚に置いている本を差し替えるのは白百合には荷が重いだろうからな」

「はい、よろしくお願いいたします」

「うむ」

小さい頃は何もしゃべらずただ黙々とこれをしなさい、といったことをし続ける、人形の様だったサクラが自分に対してそれはよくない、というほどに内面的に成長したことをミコトは喜びながらも、よくいってくれた、とほめるのは自分が変な色合いをわざと選んだようで言いにくいし、かといって成長したな、というのも違う気がする。といつものように悶々と悩んでいる間に褒めるタイミングを逃しているのだが、サクラはそんなミコトと長い付き合い、しっかり師が自分の成長を悦んでいることはお見通しだった。

サクラは美しい色合いを引き立て合うもの同士を意識して糸を選ぶと、まじないを込めて組紐にしていく。そして霊験あらたかな霊石で作られた玉を通して、首飾りや腕輪、荷物に結ぶ飾りなどを手際よく作っていった。

そんな時間がいくらか過ぎたのち、引き戸が開く音が聞こえて二人は手を止めた。

休息の場を求めてやってきた旅人だろうか、それとも世界を渡る行商人だろうか。

「お邪魔しますよ」

「これは、犬神さん」

狼は古くは大神と呼び、犬たちは大神に使えていた。いまでも独自の社会体制を作って山奥の集落で暮らしているが人里にも時折やってくる。

犬たちを取りまとめる者は犬神の屋号で呼ばれ、大神についで地位の高いものだった。この若者は次代の当主のはずだ。ないがしろにはできない。

もっとも、客をないがしろにするものは雪椿にはいないのだが。

「どうしました、なにかご入用ですか?」

狗族が好む書物や食料、道具類や祭祀の法具はあっただろうか、と腰を上げるサクラを若者は制する。

「今日はサクラ殿に用があって」

「まぁ、私に?なんでしょうか」

射干玉の、つややかな黒い髪からは同じ色の耳がのぞく。官能的に浅黒い肌、瞳は銀。狩人のような衣服に身を包み、ふさふさとした尻尾をした美麗な若者はサクラの手を取りひざまずいた。

「貴方に求婚を申し入れにきました」

ぱちくり、と蒼い目が瞬く。本棚の陰でミコトが深く息を吐いた。

本人は昔から黒髪と黒い瞳に憧れ、もう少し日光に強い肌の色を欲しがっていたが天界の者である優美な美しさに惹かれる男性は多い。中には女性のみで生活を営む女戦士から求愛の申し出もあったことがあるほどの美貌なのだ。

そして性格も控えめで心配りがうまく、気難しいというか生きるのが下手なほど堅物なミコトと折り合い良く生活できる人当たりの良さで、商売に対しても誠実。

悪霊の類が出たと聞けばミコトと並んで戦線に立ち調伏して見せる武勇も持ち、ひなびた古本屋にいる割には引く手あまたなのである。

もっとも、本人には嫁に行く気はなさそうなのが難しいところだろうか。

「お申し出はありがたいのですが、私はもう少し独り身でいたいと思います」

「しかしサクラ殿」

私では不服でしょうか、と顔を曇らせる若君にサクラはゆっくりと首を振る。

「不満だなんてとんでもない。きっと、嫁げば貴方様は私を幸せにしてくださることでしょう。里はここから遠くないから、貴き龍の方の様子を見に来るにも苦労はしないでしょうし、御家来衆も貴き龍の方を重んじてくださるでしょう。えぇ、えぇ。きっと幸せになれると思うのです」

「ではなぜ……」

「私はまだ、ものを良く知りません。ここで少しずつ学んでいきたいのです。世界を問わず、種族を問わず。そして私がなぜ捨てられたのか、なぜ記憶を失ったのかを知りたい」

「サクラ殿……」

決して激しい語調ではなかった。厳しくもなく、むしろ柔らかに、穏やかに。幸せになれることを確信した口調で語られた未来。

けれどサクラはそれはまだ選べないという。他の申し出があってもきっと彼女は同じことを言うのだろう。

まだ私は、過去が満たされていないから、と。

過去など忘れてしまえ、というのは簡単だ。過去をなくした分だけ自分が未来で幸せにしてやる、というのも本当にそうできるならある種の救いだろう。

けれどそういった解決方法をサクラは求めていないのだ。

ただ穏やかにここで時を刻み、もういいかな、もう過去をあきらめても、良いかな。そう思えるようになるまでは雪椿で、不器用な二人同士時を重ねていきたいのだとその深艶蒼の瞳は穏やかに語る。

そしてサクラへの求婚者は、彼女への愛の深さゆえに誰もがこう返すのだ。

「人と違って私は長命です。気が変わったら、いつでも貴方を妻に迎える準備を整えますよ。……私も今は、貴方しか伴侶にしたいと思えない。何百年かしたら、気持ちも変わるかもしれませんが」

「ありがとうございます。情に篤い、若様」

「私が情に篤いのは、私が大事にしたいと思う相手にだけですよ。では、そうですね。本を見せていただけますか?それから、出産のお守りを。部下の女房のつわりが重いらしくて、仕事に身が入らないようなのです」

「はい、お探しのものを、見つけるお手伝いをさせていただきます」

涙雨の中の求愛は、応じてもらえなかったけれどお互い穏やかな気持ちで商談へと移っていった。

ミコトはそれを最初から最後まで聞いて、無言で太い首をなでながらため息をついた。

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