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古本屋―雪椿―  作者: 秋月雅哉
2/9

20:00 狐の行商来店

開店した後も雪椿の店内は閑散としている。広い店内、店主同士の会話はなく物音を圧倒的な質量の本が吸い込む。

サクラが別の本棚に交じっている本がないかを調べ、あれば正しい本棚へと戻しながらもう少し見やすい配置にする方法を思案して店内を歩く。

天使という種族からか、性分なのか、ヒールのある華奢な靴からは一切音が立たず、黒いドレスも相まって暗殺者か何かのようだ。

龍人のほうの男性であるミコトはといえば狩衣を着て胡坐をかき、レジカウンターに油をさしていた。どうも雨で開けるたびに小さくではあるが異音がして、サクラが困ったようにカタカタと開け閉めしていたのが気になっていたらしい。

橙色の明かりの下、天井近くまであるいくつもの書架は沈黙を守っている。世界をつなぐ門は誰にでも開けられるというほどありきたりなものではなかったが場所と時間を選び、必要な手順を踏めば開けることができたし、その先でサクラとミコトが買うのはいつだって本だった。

色褪せた表紙。にじむインクや墨。踊る文字と挿絵。手繰るページ。それが二人にとっての現実であり、あまりにも世界のすべてだった。

人好きのする笑顔で穏やかな気性だが、本質として何もないサクラ。

呪われた本を祓うため収めた呪法のせいで人を肯定することも否定することも、その人の本質をゆがめてしまうのではないかと恐れて人に必要最低限の言葉しかかけられないミコト。

師弟であり親子の様に近い位置にいながらも、二人の関係にはどこまでも空白と隔たりしかなかった。

「おばんです。行商をやってるものです。寄せていただいてもよろしいですか?」

すこ立て付けの悪いサッシが開かれ、狐の面を付けた行商が柳で編んだ行李を背負い、編み笠をかぶって店内に入ってくる。

「あ、いらっしゃいませ。ようこそ、雪椿へ。……代替わり、されたのですか?行李には見覚えがあるのですけれど、お声が聞き覚えがないのですが」

「あぁ、父が足を痛めましてね。私が代わりに行脚しているんです。こちらには確か鉱石と薬草なんかを卸して、本に関するものを買い取っていたと思うのですが」

掘り出し物なんかはありますか、と狐面の男が愛想のいい声で話しかける。来店した人は自由に使ってほしいという気遣いから、そして雨に濡れた体で歩き回って本の状態を悪くしないでほしいという気遣いを求めておいてあるタオルを一枚とって水気をぬぐうと、レジカンターの置いてある三畳間へと許可を得てあがった。

「そうですね……あぁ、お父様に卸していただいた宝石と銀で新しい栞を作りましたよ。それから、異世界の植物を使って皮を染めたブックカバーもありますし……本なら、この間仕入れたのはこちらです。異世界の商売の訓話集とか、興味はありますか?」

サクラが本の棚の海から三畳間へと戻ってきて行商が興味を示しそうなものをいくつか挙げると、男はふむふむ、とうなずいた。

「サクラさんはセンスがいいですね。それに比べてミコトさんは……貴方外見が怖いんですからもう少し愛想よくしないと、もともと少ないお客さんが寄り付かなくなりますよ」

「……すまん」

「そこは軽口をたたくくらいでないと。会話が続かないじゃないですか」

ミコトと男は何度か顔を合わせたことがあるのか、それとも男がなれなれしいのか、割合気軽に言葉を交わすのをサクラはニコニコと眺めていた。

「それにしても大きくなりましたねぇ、サクラさん。私が前に来たときはサクラさんがミコトさんに拾われたころだったから……二十年近く前になるのかな」

「……失礼しました。会ったことがあったのですね」

「心神喪失状態っていうんですかねぇ。お人形さんみたいにずーっとレジの横に座ってて。ミコトさんが失敗しすぎて大変なことになってるおかゆを食べさせようとしたり、水を飲ませようとしたり、寝かしつけようとしたり。あのころは賑やかでしたね」

色ガラスのはまった狐面の目の奥で、男はなんだか感慨深げだ。家事がまるでできない、不愛想の塊、偏屈な古本屋の主が子育てに紛争している様はなんだか物珍しかったのか、記憶に強く焼き付いていたらしい。

「……私が覚えている最初の記憶は……貴き龍の方が優気に魚を焼こうとして火事になりかけて、水を撒いたら稀覯本が一冊だめになって、落ち込んでいる大きな背中だったのですけれど……」

たしかあの本は修繕家に頼んでどうにかこうにか読めるようになったはずだったが、その後縁があって買われていった気がする、とサクラがおっとりと口を開くとミコトは苦虫を数十匹かみしめたような顔になった。

「ミコトさん、どうやって生きてきたんですか?雪椿を開く前」

「木の根を洗ってかじったり、石をなめたり。まぁ、いろいろだ」

「……よく開店資金用意できましたね。飢えで苦しむ人が空腹をごまかすための最終手段じゃないですか」

「金子はあったが料理が……だめで」

「サクラさんがよくまっとうな味覚に育ったものだ……」

小さな奇跡ですね、と男が揶揄するが自分の家事の上で前の悲惨さを知っているミコトは沈黙を通した。

「ではサクラさんがあげてくださった品を買い取らせていただいて……私どもの取扱商品でご入用なものは?」

「染料になるようなものと、細くて丈夫な糸、金属の塊かかけら、鉱石や宝石の類や紙の材料、動物の皮、あとは……薬の材料はありますか?」

「ございますよ。糸ですか。何に使われるんで?」

「和紙の補強に使ったり、あとは組紐で新しい栞を作れないかと思って。あ、それと食べ物があればそれを」

「サクラさんは干し桃がお好きだと思うんでお譲りしましょうね」

「どうして私が桃が好きだとわかったんですか?」

「ミコトさんが初めてサクラさんが自分から食べたのが桃だ、と言っていたので」

サクラがいないところでたびたびこの行商人は父親に代わって品を卸したり、ミコトの育児にアドバイスをしたりしていたらしい。

――貴き龍の方は、思ったより親馬鹿なのかもしれない。

二十年近い付き合いで初めて知った師の側面にサクラが微笑み、代金を払う。

「まいどあり。またどうぞ、ごひいきに」

男は一度も面を外さないまま、編み笠をかぶり直して雪柳を後にした。

あとには店主が二人と、風呂敷に包まれた各種の商品が残されたのだった。

時刻は二十二時になろうとしていた。

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