開店
その古本屋のある街はいつでも雨が降っている。雨が降っているのに街並みは白茶けている。
それくらい古く、ほこりっぽい場所だった。
レトロな建物が並ぶ雨にそぼる街角、それなりに広い敷地にその店はある。
昼間はシャッターが下りていて店じまいでもしたのか、と思う人も多い。
だがこの店の営業時間は夕暮れから夜明け前という実に個性的なものだったので知る人はやっている古本屋、としてひっそりとたたずんでいるのだった。
二階建ての建物は庭付きで、樹木がいくつかと小さな芝生。その芝生と家屋の間に家庭菜園なのかプランターが置いてある。
春に咲く桜と木蓮、夏に咲く紫陽花とホタルブクロ、秋は紅葉と楓。冬は店の名前になっている雪椿が通行人を楽しませることだろう。
家の裏手には店に並びきらなかった古本や雑多なものを置く蔵や、門下生を受け付けておらず家の者が鍛錬するための道場もあるようだがそれを知っている人は少ない。
なにせ営業時間も営業時間だし、雨が降り続ける街で本を買って帰る人も珍しかったので客が圧倒的に少ないのだ。
日が落ちたころ合い、ほかの店はもう客も来ないだろうとシャッターを下ろし始める時間。
シャッターの内側の、暗い緑色のカーテンが開かれた。
すこし滑りの悪いサッシの戸を開いて内側から白く華奢な腕がシャッターをあげていく。
「白百合の細腕では無理がないか。俺が開けるが」
「いえ、大丈夫です、貴き龍の方。私とて店主の端くれ。これくらいは一人でできるようにならなくては」
「……む。そうか。だが無理はしないように。腕の筋を痛めては蔵書の整理にも苦労するだろう」
「はい、ありがとうございます」
ガラスで作ったベルのような軽やかで澄んだ女性の声と、先に沈黙を破ったのは低いながらもよく通る
落ち着いた男の声だった。
店の人間らしい。
「貴き龍の方、明かりをもう少しつけてもらえますか。今日はいつもより雨が強いようです」
「わかった」
行燈とランプの橙色の光がいくらか強まる。なにかこだわりがあるのかどうかはわからないが夜間の営業で、しかも常時雨で。古本屋ともなれば本の状態をしっかり見て買いたいものだがいまいち薄暗い店内だったが明かりを足したおかげでいくぶんましになった。
天井まで届く書架がいくつも並び、床には高い部分にある本に届くように脚立が等間隔に置かれている。
大雑把に分類分けされた本は作者が変わるタイミングで頭文字や作者名の案内が出ていたが量が多いから求める本を探すのはいささか大変かもしれない。
アナログなレジカンターの横には手作りだろうか、栞やブックカバーの類が置いてある。
栞は押し花を使った紙製のものもあるが雨で湿気るからか金属製のものが多かった。
短冊状に整えたプレートに植物やドラゴン、そのほか様々な図案を彫金術の一種で切り絵のように仕立ててある。
素人細工でない証拠に切断した金属面でけがをしないための処置も施されており、雨粒や動物の瞳ひとみがわりに鉱石や宝石の原石が埋め込まれている手の込んだものだった。
さぞかし高いのだろうと身構える客もいるのだろうが値札を見れば千円にも満たないものばかりで商売っけのなさに心配が頭をよぎるかもしれない。
ブックカバーは皮細工もあれば和紙をすいたものなどもありこれまた破格といっていいほど安い。
では本は高いのかというと本自体も古本であるということを差し引いても安いし稀覯本も決して手に届かない値段ではないのだ。
『古書には歴史がある。誰かに読まれ、誰かに託されたものを自分たちは預かっている。その縁をつなぐ仕事が私たちであり、出会うべき本との出会いに金銭の問題で邪魔が入ったのではそれは縁に対する侮辱である』
それが雪椿の女性のほうの主人、サクラの掲げる経営方針だった。
シャッターをあげ終えて、濡れてやってくる客にサービスで貸し出す真っ白で洗い立ての清潔なタオルを入り口に積み上げ、古びた傘立てをごとごとと引っ張ってきて。
夜間にだけ開く古本屋は今日も雨の中開店時間を迎えたのだった。