噂のあの人 7
ルーカスは、地面を蹴る足に力を込めていた。
ルルをアランに託してから3時間程しか経っていないにも関わらず、とんでもない噂が次から次へと、警備隊本部で仕事をしていたルーカスの耳にまで舞い込んできたのだ。
手元の報告書を猛然と片付け、街道に出るとすれ違う人々の間では、すでにその話題でもちきりだった。
「ライアンに恋敵現る」から始まり「アラン少女趣味疑惑」……。そして、緊迫した三角関係突入かと思われたその瞬間、少女の発言によって事態は一変し、更にとんでもない噂まで持ち上がっていた。
ライアンがいない日を狙って予定を組んだと言うのに、何と間の悪いことに彼(?)は二日も早く仕事を終らせて王都へ帰って来ていたらしい。
どうやら、アランが王都へ来るという極秘情報を嗅ぎつけたらしい。
ここ最近は、ずっとルルのところへ通い詰めで、アランは滅多に王都へは戻らなかったから、ライアンの不満も限界まで来ていたのかもしれない。それにしても実に、執念じみた嗅覚である。
もう、本当に嫌な予感しかしないルーカスだった。
アランとライアンの二人がどうなろうが知った事ではないが、ひたすらルルが心配でたまらなかったのである。
そして、日の暮れ始めた街道は、夕飯の買い物や仕事から帰途につく人達で溢れているにも関わらず、ある一角だけ人の流れが不自然に出来ているのが見えた。皆がその場所だけ除けて過ぎ去って行くのがわかる。
その謎の空間の中心に、ブラウンの髪を短く刈り上げた頭がにょきっと突き出ている。あの巨体には見覚えがありすぎるルーカス……。
しかし、それは実に分かりやすい目印でもあった。人混みをかき分け近づいていくと、段々と野太いけれど独特の喋り声が聞こえてきた。
早くルルの安全を確認したい気持ちとは裏腹に、一瞬声を掛けるのをためらってしまう。やっぱりルーカスとてその中に入っていくのに、今一度気合いが必要だったのだ。
しかも、今日はやけに上機嫌だ。こういう時の奴に巻き込まれたが最後、ろくな目にあわない事は今までの経験で嫌というほど味わってきた。
ただ、噂を聞く限り、ライアンがルルに対して烈火のごとく火花を散らしたことは想像に難くないくない。声をかける前に周囲に視線をさっと彷徨わせたが、肝心の少女の姿が確認出来なかった。
正直、アランがルルの側を離れるわけがないと思いつつも、もしかしたら万が一の事態を想定して、どこかへ避難させたのだろうか。
とにかく、一刻も早くルルの安全な姿を確認しなければと、ためらう自分を奮い立たせて、一歩踏み出し後ろから声を掛けた。
「アラン! ルルちゃんはどうした?」
突如、後ろから声を掛けられて、その声の主に一筋の光が差し込んだような気がしたアラン、今までこれほどルーカスの声にホッとした事があっただろうか。
いや、ない! やっとこの異様な状態から抜け出せる。アランは振り向きながら、思わずルーカスに助けを求めるような視線を送ってしまった。
一方、ルーカスも今まで見たことのない何やら助けを待ちわびたアランの、縋るような視線に驚きを隠せなかった。そして、その表情だけで自分が不在だった間いかに大変な目にあったのかを察してしまった。
しかし今、アランの心配は後回しだ。
「おい、ルルちゃんは?」
再度アランに問いただしながら、周囲に視線を走らすがやはりルルの姿は見えない。焦りを覚え始めたその時、ライアンの影からひょっこり女の子が顔を覗かせて出迎えてくれた。
「ルーカス様? おかえりなさい!」
「っ……」
その女の子はルーカスの顔を見るなり、ぱっと表情を輝かせた。
さすがのルーカスも、急に見ず知らずの少女にそう声を掛けられて、咄嗟には反応できなかった。しかも、ちょっと……いやちょっとどころではなくかなり可愛らしい少女だった。そんなルーカスの混乱をよそに、ライアンがべらべらと喋り始める。
「やだぁ! 遅かったじゃない、ルーカス。もう、アタシお腹ぺこぺこ〜。早く何か食べに行きましょうよ。先に行こうって言っても、ルルがルーカスを待つって聞かないのよ〜。見た目に反して意外と頑固なんだから。でも、そういうところ健気に感じる男性も多いからグッドよ」
「いや、だから、そのルルちゃんは……」
ライアンのくだらない会話など今は聞いている暇はない。再度ルルの姿を探そうとしたが、ライアンはきょとんとした顔をしてルーカスに声を掛けた。
「何言ってんの? ルーカス。ルルなら目の前にいるじゃない!」
「……は?」
目の前って言われても、さっきから自分の前には見ず知らずの少女しか……。
見ず知らずの……。
「え……? ええぇぇぇぇぇえっ!」
驚いて声を上げたものの、その後アラン同様言葉を失ってしまったルーカス。
ルーカスのそんな反応に、目の前の可憐な少女ことルルがおそるおそる口を開いた。
「あ、あの、やっぱりどこか、おかしいでしょうか?」
「……」
勇気を出してそう聞いてみたが、ルーカスからの返事はなかった。無言のまま見つめられてなんだかいたたまれない気持ちのルルだった。
そんなルーカスは、いままでルルの事を充分可愛いと思っていたけれど、ほんの少し着飾っただけの今の姿に、これほどの魅力を秘めていたのかと思い知らされたような気がして、その衝撃から抜けだせないでいた。
「ル、ル、ルルルル、ルルちゃん?」
「……は、はい。ルルです……」
落ち着いて見れば本人だと分ったのだが、思わず確かめるように名前を呼んでみる自分の声が、ほんの少し掠れていた。そんなルーカスの不審な言葉にも、目の前の少女は素直に返事をしてくれる。
当り前のことだが、やっぱりルルだった。けれど、何だかそんなやりとりにも新鮮なときめきを覚えるルーカスであった。
ただ、ルルの方はというとルーカスの態度に、やっぱりはしゃぎすぎた格好だったのだろうかとそわそわと落ち着かない様子で、不安げにルーカスを上目遣いで見つめる。
そんなルルの視線にはっとすると、ルーカスは混乱を振り払ってやっとの思いで口を開いた。
「本当にすごく可愛い……。とてもよく似合っているよルルちゃん」
「あ、ありがとうございます。ルーカス様」
ルーカスの言葉に、ルルは安堵するとほんのりと頬を染めて口元を綻ばせた。
そんな少女の表情に、ルーカスの心臓が大きく跳ねる。
けれど、そんな二人のじれったいやりとりをここまで大人しく見守っていたものの、空腹も限界だったのかライアンがその場を切り上げるように声を掛けた。
「ほらぁ! 私の審美眼に間違いないでしょ? さ、ルーカスとも合流出来たし、早く食べに行きましょうよ!」
そう言ってライアンは、三人の肩を両手でがばりとひとまとめにするように抱え込むと、食堂へと引きずって行ったのだった。




