初めての王都 2
「いらっしゃい」
緊張で胸をどきどきさせながらルルはその店の扉を開けると、チリンと鈴の音が来客を伝え、奥から招く声が聞こえてきた。
「こんにちは! 初めまして。ルーカス様の紹介で、薬の卸しの件で伺いました。ルルと言います」
挨拶は最初が肝心だ。
ルルは声を振り絞って、元気良く第一声を発した。
「今日はお忙しい中、お時間頂きましてありがとうございます。よろしくお願いします」
一生懸命考えて練習をしてきた挨拶を何とか無事に言い終わると、カウンター奥に座っていた店主らしき老婦人にルルは深々と頭を下げた。
「……」
相手が何か声を掛けてくれるまで、そのままのルルだったがやけに沈黙が続いた。
「……」
あまりにも相手が黙ったままなので、もしかしたらこの挨拶が気に入られなかったのか不安に駆られながら、おそるおそる顔を上げてみると、目の前の老婦人はあんぐりと口を開けたまま、ルルを驚愕の目で見つめていた。
「あ、あの……」
「ば、婆ちゃん? この子が前に話していたルルちゃんなんだけど……」
予想外の反応に戸惑うルルはもちろん、ルーカスもそんな祖母の様子にどうしたのかと声を掛けた瞬間。
「こ、こんの〜バカ孫がっー!」
店の外まで響き渡りそうな大声で、孫であるルーカスを一喝する。
「はあ!? いきなり何だよ。婆ちゃん」
「こ、こんな幼い少女を……。あんたが、そんな趣味だったなんて!」
「いや、ちょっと待ってよ……」
話が一向に見えないルーカスだったが、そんな孫にはお構いなしにまくし立てる。
「ルーカス! この子の両親はすでに病気で亡くしていると聞いてたけど……。お前がそこにつけ込んで、健気に生きてきたまだこんなに幼い少女を、たぶらかして連れて来るだなんて……。ルルと言ったかい? すまないねぇ。孫が本当に申し訳けない事をしたね」
急に謝られて何やら気遣われている様子に、ルルは何が何だか分からない状態だったが、何か勘違いをしているのではないかと思い、とりあえず本来の目的をもう一度告げてみた。
「え、あ、あの……。私、今日は薬をこの店に置いてもらえるかの件で来たのですが……」
しかし、目の前の老婦人の話はあさっての方向へ続く。
「やっと孫が恋人を連れて来たかと思えば……」
「こ、恋人!?」
思わぬ言葉に心底驚くルル。
「こうなったら、ルーカスより良い男をアタシがちゃんと責任持って見つけて面倒見てあげるから、安心おし!」
老婦人はそう話をまとめると、一人納得したようにうんうんと頷いていた。
「何言ってんの? こ、恋人とか、違うから。そんなんじゃなくて、前にちゃんと説明しただろ! 最近知り合った腕の良い薬師がいるから、婆ちゃんの店にその薬を卸して貰えないかって」
一方的な言いがかりに口を挟む余地のなかったルーカスだったが、一通り話が終わると祖母の盛大な勘違いに何度も事情を説明するはめになったのだった。
「……何だい。その話本当だったのかい?」
「本当も何も、婆ちゃん一体何だと思ってたの?」
しばらくして孫の話にやっと聞く耳を持ちはじめた祖母。
「いや、顔は良いくせにロクな噂のない孫が、女の子を連れて来るからって言うから、アタシはてっきり恋人を紹介してくれるんだとばかり……。それなのに、まだこんなに幼い女の子を……。きっと、あんたが両親のいないこの子を言葉巧みに丸め込んで無理矢理連れてきたんだろうと!」
「なに、そのロクでもない男……。自分の孫をそんな風に思ってたの!?」
祖母からあまりに偏った目で見られていたことに憤慨すると、しばらく言い合いが始まり、結局本来の事情を理解してもらえた頃には、ルーカスはもちろんその様子をただおろおろと眺めていることしか出来なかったルルでさえ、ぐったりとしていた。
「さっきは、早とちりして悪かったね」
やっとすべての誤解が解け、老婦人はそう言いながらルルに向き直った。
「自己紹介もまだだったね……。アタシはルーカスの祖母で、この店を切り盛りしている、サマンサだ」
自己紹介を受け、気を取り直したルルは、もう一度挨拶をする。
「サマンサ様。あらためまして、ルルと言います。本日はよろしくお願いします」
「ああ。話が遅くなったけど、薬を置きたいってことだったね。じゃあ、まずその薬とやらを見せて貰おうかね」
「はい。こちらになります」
勘違いによりゴタゴタしたものの本題に入ると、少し緊張した面持ちではあるが、しっかりと相手の目を見て、はきはきと喋る少女の印象は悪くなかった。
ただ、こちらも商売である。孫の見る目はある方だが、王都で老舗と言われるこの店に置くとなるとそれ相応の品でなければならない。目の前の少女が薬師としてはやや若すぎるといったところが気になっていたサマンサであった。
「こちらのお店でよく売れているという傷薬と、普段私が主に調合している飴薬をお持ちしました」
ルルの出してきた薬になるほどとサマンサは思った。
(うちの店の売れ筋と自信のある品ということだね。ふむ、若いなりに一応考えてきてるんだね)
まずまずといった感想で、ルルの薬の説明に耳を傾ける。
「傷薬は油紙をセットで売りたいと思っています」
「油紙?」
「はい。油紙は防水にも役に立ちますので、薬を塗った後にそれを貼れば包帯に薬が染み込みにくく、患部への効果も高まると思うんです」
印象的には、若くまだ経験の浅そうな薬師が、ただ薬を作るだけじゃなくて、その薬の効果を引き出すところまで考えていることにサマンサは少なからず感心した。
王都ではそのような処方もちらほらと耳にはしていたが、出身と聞いていたルグミール村のような地方の村には、まだそうそう伝わっていないはずだ。
「よく油紙を使用する方法を知っていたね?」
「はい、薬師をしていた両親が遺してくれた資料に、薬の効果を高める方法としていくつかメモされていたものを参考にしました」
(ほう、その両親は大した薬師だったみたいだね。惜しいことじゃ……)
最初、孫のルーカスが王都の最新の情報を少女に聞かせたのかと思ったが、そうではないらしいと分かると、サマンサはもう一つの薬にも俄然興味が湧いてきた。
「この、飴薬って言うのは見慣れないね」
「それは、子ども用の風邪薬です。実は、友達の弟が薬を嫌がって飲まないのに手を焼いていると言うのを聞いて、何とか飲んでもらおうと試行錯誤しながら作った薬です」
「これは、あんたが考案したのかい?」
「はい。ただ、あまり強い作用のある薬草は入ってません。解熱効果は普通に比べて低いのですが、その分身体に負担は少ないですし、ほんのり甘いので子どもが薬を嫌がって飲まず、悪化させるという事も少しは防げると思います」
今まで、味に難ありだが効き目が高い薬を置いてきたサマンサだったが、なるほど言われてみれば子ども用に特化したこの薬は、ひょっとするとこの店に新たな客層を呼べるかもしれない。
「もちろん、あまりひどい熱だと別の薬が必要になりますが……、最初から強い薬を飲ませるのも子どもには良くないと思いまして」
「ふむ、あんたの言うことも一理ある。どれひとつ。……ほう、いい味しとるじゃないか。それに柔らかいね」
「喉に詰まらせるといけないので、口当たりにも工夫してみました」
若すぎるのが心配だったが、それゆえに新しい発想も秘めている。
(なかなか面白い薬を作る娘じゃないか)
「ウチの薬は苦いのが多くてね。これなら子どもを持つ母親達の興味を持ってくれて、新規の客に繋がるかもしれないね」
「それじゃあ、婆ちゃん……」
「ああ、良い薬師を見つけてきたじゃないか、ルーカス」
サマンサはそう言うと孫にニヤリと笑い、ほんの少しの不安と期待に満ちた目で見つめてくるルルに答えた。
「合格だよ。ルル」
「あ、ありがとうございます!」
サマンサの言葉に勢い良く頭を下げるルル。
「やったね、ルルちゃん!」
「はい! これもルーカス様のおかげです」
そんな少女に、隣にいた孫がめずらしく自然に顔をほころばせながら声を掛ける様子に、サマンサはおやっと思った。
「薬を作ったのはルルちゃんだよ。だから俺は、別に……」
「いいえ、ルーカス様が背中を押してくれたから頑張れたんです。きっと、あのままの私だったら最初から諦めていました。だから、ルーカス様! 本当にありがとうございました」
ルルの心からのお礼に、ルーカスは胸が熱くなった。
自分の行動が少しはルルの手助けになれたのだと思うと、体の奥からじわじわとした喜びが湧き上がる。その衝動で思わず、ルルに手を伸ばし優しく頭を撫でたのだった。
そうして、二人がひととおり喜びを分かち合うと、これからの段取りを話し合う事になった。その間、手持ち無沙汰だろうとサマンサは孫に用事を言いつけ、ルーカスに席を外させたのだった。




