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それは、花のように 5



 ルーカスに抱き上げられ、急に身体が揺らいだルルは、思わずそのまま目の前の青年のにしがみついてしまった。


 けれど本当はこれ以上、あの出来事には踏み込んで欲しくなかった。

 このままそっとしておいて欲しかったのだ。そう考えていたルルはすぐに離れようと思ったけれど、ふとルーカスが自分と同じような瞳をしている事に気がついてしまった。


 すると、さっきまで自分の中に巣食う恐怖で精一杯だったはずのルルが、一瞬自分に向けた気遣わしげな表情を見みせた事に、こんな時でさえ誰かの心配が出来るルルをどうしてこのままにしておけようか……。

 可哀想とか自分の過去の事からそうしたいというだけではなく、純粋にルルの心の傷を癒やしたいという気持ちがルーカスに芽生えていた。


 ――君の心から笑った顔が見たい。


 今まで笑顔を見せてはくれるものの、どこか控えめにためらうように笑うルル……。

 そうなのだ。色々考えたところでルーカスの望みは、シンプルなそのひとつだった。


 そして、今まで見てきたルルならきっと乗り越えられると感じたルーカスは、ルルを抱きかかえている腕に力を込めたながら、またルルの耳元で優しく(ささや)いた。


「ごめんね、ルルちゃん。あの時の事を思い出すのは、とても怖くて、辛いよね……。それでも、君には前を向いて歩いて欲しいんだ」


 ルーカスの真剣な眼差しに、目立った抵抗はしなかったものの、ルルはその言葉をいまだに上手く受け入れられないでいた。


 どうして、わざわざあんな辛い事を振り返らなければならないのか。

 思い出さなければ、何も考えなければ、こうやって普通に暮らしていけるのだ。


 ――でも……。


 普通に暮らせると言ってもそれはこの森の中だけだという事を、ルルもよく解っていた。

 どこかで一歩踏み出さなければ、いつまでもルグミール村には帰れないのだという事を……。

 そう、いくら薬学のためとか、今は村人達との距離や時間が必要だと、もっともらしい理由を並べても、この森に来たというのは、あの出来事から逃げているという事実に変りはなかったのだ。




 ルーカスは寝室に入りルルをそっとベッドに降ろすと、カーテンを引いて陽の光を遮った。


「ルルちゃん、決して変な事を考えている訳じゃないから……」


 ルーカスはベッドに座るルルの真正面で膝をつき、目線を同じ高さにしてそう語りかけると、胸の前でぎゅっと固く握りしめていたルルの手を、自分の手の平で優しく包み込んだ。

 触れた少女の小さなその手は、とても冷たくてルーカスは少しでも温まるようにと何度も何度も(さす)ってやった。


 そんな慈しむような仕草を受けても、それでもルルは嫌だ、嫌だと言うように首を横に振り続け、ルーカスを拒む。すると、ルーカスはルルの横に腰を下ろし、強張ったままのルルの身体を軽く抱き寄せると、ポンポンと背中を撫でてくれた。


「いっぱい泣いていいよ。消えてなくなるわけじゃないけど、うんと泣いて、辛いのや怖いのや悲しいの、少しでも吐き出そう?」


 ルルはルーカスがどうしてそこまでしてくれるのか理由は解らなかったが、その言葉にその優しさに、儀式の騒動のあとから一度も泣いていなかったルルの目から、ついにポロリと涙がこぼれた。


「ルルちゃんの辛さをかわってあげることは出来ないけれど、せめてその涙を一緒に受け止めたいと思ってる。ひとりじゃないから、大丈夫だから」


 あの時、ルルが目を覚ますと、儀式に関わった皆が泣きながら謝り続けてくれた。

 罪悪感に(さいな)まれているのだろう、そんな憔悴(しょうすい)しきった村の大人達を前にして、ルルは泣くことが出来なかった……。

 自分が、泣けばその人達を余計に、責めてしまうことになるからだ。


 みんな今回の干ばつで追い詰められていたのだ。村の窮状を考えると、自分が泣き喚いて更なる混乱を招いて、生まれ育った村に追い打ちをかけるような事は出来なかった。


 それに、父親も母親もすでにルルの側にはいない、一度でも泣いてしまうと悲しみに飲み込まれて、一人ではもう這い上がれないような気がした。

 だから、贄の事は思い出さないように心の奥底に閉じ込めていたのだ。


 けれど今、泣いてもいいと言ってくれた人がいる。

 自分の背中を撫でて、何度も大丈夫だと、一人じゃないと繰り返してくれる。深い闇に飲み込まれそうになる自分を繋ぎ止めて、掬いあげてくれる人がいる……。


 ――本当に、いいのかな……。私が泣いても……。


 背中を撫でてくれるルーカスの手の温もりにルルの頑なだった心はやがてほぐれていき、最初は静かに、やがて嗚咽を漏らすように泣きはじめた。


「すごく怖かったね。とても痛かったでしょ?」


 そう聞かれて、ルルはルーカスの胸の中でやっと本心を見せるように頷くとまた泣いた。


 どうしようもなく怖かった。皆から死を請われた時の絶望、胸の灼けつくような痛みは今でも忘れられない。なぜ私が贄にならなければいけないのか……。

 それでも生き延びる事が出来たと、安心したのも束の間で、今度は村に居づらくなって、この森に逃げるように移り住んで……。


 けれど、そんな思いを誰にも何処にも吐き出せなかったのだ。自分さえ我慢していれば、そのうちまた元通りになるのだと……。

 そう思うことで自分を誤魔化しながら、ちぎれそうな心の糸を繋いでいたのだ。


 しかし、早くに両親をなくし、普通より大人びていたルルだがまだ16歳の少女には変わりなく、一人で背負うにはあまりにも重すぎた。

 本当はピンと張り詰めていた糸を緩める場所が欲しかったのだ。


 ずっと、安心して泣ける場所をルルは探していた。


 そして、そんな場所をルーカスが作ってくれた。


 まだ出会って少ししか経っていないのに、甘えたりしたら迷惑ではないのか……そしてなにより、そんなに優しくされてまた裏切られたりしたら、その悲しみにもう耐えることは出来ないと……頑なに好意を受け取らないように断っていたが、アランもルーカスもルルのそんな心配を一蹴りしてくれるように、おしみなく優しさを注いでくれた。


 その事にルルは駄目だと何度も言い聞かせながらも、心に淡い期待を抱いてしまったのだ。


 ――ダメなのに……。


 心の中ではそう思いながらも、暗い感情の濁流に飲み込まれないように、きゅっとルーカスのシャツにしがみつくと、ルーカスもまたルルの身体を包み込むようにぎゅっと力強く抱き寄せてくれた。


 それがどうしようもなく少女の胸を熱くしてくれた。


 そして、ルルはとうとうルーカスの胸に(みずか)ら顔を()り寄せたのだった。



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