森へ 2
森に足を踏み入れたルルだったが、そこは獣道すらない状態であった。
しかし、鬱蒼としていたのは最初の方だけで少しの間、かきわけるようにして繁みを抜けるとそこは思いの外、木々の間が広く隙間からは日が差し込み、意外にも森の中は明るかった。
しかも、その澄み切った空気はルルの身体に染み渡り、ここ最近の体調不良がウソのように体が軽くなったような気がした。
そういえば、両親と来た頃も、森の中でもあまり暗いと感じた事はなく、いつも明るい陽の下で遊んでいたような記憶が残っていた。
少し森を進んでみた。正直、ルルも森の家への道なんて覚えていなかったが、何となく足が勝手に向かうのでその方向に歩いていた。
時折、毒を持つ草花を見つけては、慎重に回避しながらしばらく歩いていると、ガサリと少し先の茂みから音がして、木の葉が揺れたような気がした。
サッとルルに緊張が走る。考えてみたら森の中、もしかしたら危険な動物が潜んでいてもおかしくないのである。
(どうしよう……)
逃げるにしても迂闊に動けば、あっという間に遭難である。
しかし、ルルが逡巡しているあいだに、茂みの中を「何か」がガサリ、ガサリとルルの方に近づいてきた。そして、茂みからひょっこりと現れたその姿を見て、ルルに衝撃が走った。呆然としながらも、必至に記憶を手繰り寄せる。
「え……? ま、まさか……えっと、う〜んと、な、何だったけ。……ィリー、そう、あなた『ヴィリー』ね!」
白銀の毛並みに、鋭い眼光を持つ凛々しい顔つきのそれは、しかし、ルルにそう呼ばれると、ピンと立てていた耳を少し寝かせ「クゥ〜ン」と甘えるように少女に擦り寄って来た。
ルルは自分がどうして、今の今までヴィリーの事を忘れていたのか、不思議でたまらなかったが、今は懐かしい再会で嬉しさの方が強くて、深くは考えなかった。
ヴィリーというのは、両親と一緒にこの森に来た時に出会った犬の事であった。
犬とは言え「野犬」である。危険な動物には変わりないのだが、妙に人懐っこい性格なのか両親にとても懐いていた。もしかしたら元々猟犬として育てられたが、捨てられたか何らかの理由で、この森で生き延びていたのかもしれない。
ルルは最初こそ身体の大きなこの犬におっかなびっくりしていたが、とても賢いのか小さな女の子を怖がらせないように振る舞うと、すぐに仲良くなってよく一緒に遊んでいたものだ。
そんな様子を見て、母が「娘の番犬に丁度いいわね」なんて言いながら、ヴィリーという名前を付けて呼ぶようになり、本人も気に入ったのか尻尾を振りまわすので、父もルルもそう呼ぶことにした。
「そうだ……そうだった。何で今まで忘れてたんだろう……。でも、今はそんな事どうでもいい。ヴィリー、会えて本当に嬉しい!」
両親と森で過ごした日々は覚えていたのに、なぜかヴィリーの記憶だけすっぽりと抜けていた。
しかし、再会したことで、ヴィリーと過ごした森での楽しい日々が、ルルの頭に次から次へと蘇ってきた。
そんな懐かしい記憶とともに、たまらずヴィリーごと抱きしめたルル。
ふわふわの滑らかな毛並みと、大きくて暖かいヴィリーの体温は、ルルの森へ入る前の重苦しかった心を慰めてくれた。
再会の喜びが一段落すると、ルルはふとした思いつきでヴィリーに話し掛けた。
「ねぇ、ヴィリー。昔、父さまと母さまが建てた家の事、覚えてる? 私そこに行きたいの……」
そう言うと、ルルの言葉を理解したのか、ヴィリーが少し先に歩いてルルの方を振り返る。
まるでついて来いとでも言うような仕草だった。そういえば子どもの頃、遊んでいた時も、危険な植物や虫が近くにいれば教えてくれたし、何かに夢中になって両親からはぐれそうになったら、ヴィリーがすぐに見つけてくれた。相当賢い犬だったんだと、ルルはあらためて実感していた。
ヴィリーについて森の中をほんの少し歩いただけで、すぐに開けた場所に出た。広くはないが、そこだけ木がはえておらず、円を描いたようにぽっかり空いたような草っ原があった。そんなルルの向かい側の木々の手前に、両親の作ったこじんまりとした家が、半分緑に飲み込まれがかった姿で佇んでいた。
懐かしさに、ふいにルルの目頭が熱くなった。
夢を見ているかのような感じでフラフラと近づき、扉のノブに手をかけると少し立て付けが悪かったが、ぐっと力を入れると開いた。
中に入ると少し埃っぽかったが、数年放置していたにも関わらず、部屋はしっかりとしていた。
見かけよりも中は広く、小さいけれどキッチンも、寝室もあった。記憶と照らし合わせるように部屋を見てまわる。
居間にあった父が作ってくれた長椅子のあまりの懐かしさに、コロンと転がると、ヴィリーも飛び乗ってきてルルの傍らで横になった。
「ふふっ、ヴィリー狭いよ」
そう言いながらも、ルルはヴィリーの身体に顔を埋めると、ふかふかした毛はお日様の匂いがした。そしてそのまま目を閉じて、深呼吸をしながら一緒に家の匂いも嗅いだ。
部屋の隅々には、両親との暖かい記憶が宿っているような気がして、その手作りの家に、何だか二人に包まれているような、見守られているような感じがした。
それが、ルルに一代決心をさせたのだった。




