その後の出来事 1
ルルの目が覚めたのは、ルーカスとアランに助けられてから3日後だった。
余程のショックだったのだろう。ルルにとっては顔も見たくないと思われてしまうかもしれなかったが、他の村人達に事情を説明する事もできないので、眠っている間、儀式に関わった村人達が交替でルルの様子を見ていた。
しかし、あまりにも深いその眠りにだんだん心配になり、医者を呼ぼうかどうしようか頭を悩ませていたところだった。
「ん……。あ、れ? ここは」
「おお! やっと、目が覚めたか……。良かった、本当に良かった。本当に……すまなかったのう……。ルル」
ルルが目覚めるなり、傍らでずっと様子を見ていた村の長が安堵の言葉と同時に謝罪を繰り返した。しばらく、ぼうっとしていたルルだったが、村の長の言葉で次第に状況を思い出してきた。
「おじいちゃん……」
「……まだ儂のことを『おじいちゃん』などと呼んでくれるのか?」
「だって、今まで可愛がってきてくれたのは、本当の事だもん……」
「っ……」
「おじいちゃんは、おじいちゃんだよ」
「お前さんという子は、両親に似て、なんと……なんと優しい子なんじゃ。それなのに、儂は……」
ルルの枕元で泣き崩れる村の長。隣の部屋で待機していた他の者達も、話し声を聞きつけたのか駆け寄り、目覚めたルルの姿を見て、何度も、何度も泣いて謝られた。
よく見ると、皆やつれており、特に村の長の憔悴っぷりには、起きたばかりのルルの方が心配になるほどだった。
皆は一様に、悪夢から醒めたかのように、何故あんな酷い事が出来たのか自分自身が信じられないといった様子だった。村の状況に追い詰められ、悲観にくれ、決断に迫られ、冷静な判断など出来なかったのだろう。
そんな気持ちを理解は出来ても、自分の受けた絶望や恐怖は、ちょっとやそっとでは消えてくれそうにもない。暗く複雑な思いがルルを絡めとっていった。
しかし、ふと自分が何かを掴んでいる事に気がついた。
――誰かの服?
ルルには大きいサイズのそれは、ルーカスが残していった上着だった。
正直、ルルは助けてくれた青年の事は、おぼろげにしか覚えていなかったが、すっぽりとまるでルルを包み込むような上着の優しい匂いに、ほんの少し心が和らいだ。
ルルが眠っている間、様子を見ていた者達もその服をどうするか迷っていたが、意識が無くてもルルが頑なに掴んでいるのを見て、そっとしておくことにしていた。
今どういう状態になっているのか、いまひとつ把握できていないルルだったが、儀式に関わった大人達が泣きながら侘び続けるその姿に、ひとまずは無事だったのだ、今はそれだけで良いと声を掛け、自分もそう思うことにした。
正直、あの時の事は思い出したくないし、いま深く考えたらもう二度と戻れないような気がして、そうするしか今のルルには出来なかった。
それから、目が覚めたもののなかなか体調が戻らないルル。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる村の長――おじいちゃん――に感謝しつつも、やはり、わだかまりは残っていた。以前の様に戻るにはまだまだ時間が必要なのかもしれない。
そんなふうに思いながら、数日が経ったある日、親友のロッティがものすごい剣幕でルルの元に駆けつけてきた。
「ルル、家に帰るわよ」
「ロ、ロッティ? 急に、どうしたの……」
「話は後よ。ニコル手伝って」
「おう!」
「じゃあ、後は私達がルルの面倒を見ますから!」
「……うむ。そうじゃな、ロッティすまないが頼む」
突然のロッティの看病宣言に、驚きながらも村の長は少し考えた後、そう言った。ルルの複雑な感情を長も微妙に感じ取っていたのだろう。
「ルル、荷物とかは?」
「あ、じゃあこの服……」
「あら丁度いいわね。それ着て、暖かくしてなさい」
訳が分からずニコルに手伝って貰いながら体を起こすと、ルーカスが残していった上着を羽織らせてもらい、そしてそのままロッティ背中におぶさると、ロッティは、よっこらしょと言いながらもすくっと立ち上がり、「お世話になりました」と村の長に言い残し、ルルの家に向かった。
「姉ちゃん、ルルのおんぶ代わろうか?」
「何言ってんの? ニコルじゃまだ無理よ」
「俺だって、もう10歳なんだから!」
「まだ、10歳よ!」
ルルの家に戻る途中に始まった姉弟の口ゲンカは、ルルが忘れていた「普段」を久しぶりに思い出させてくれた。そんないつもの光景が、ほんの少し心を軽くした。
ロッティにおぶわれ自宅に着くとすぐに寝かせられたベッドは、あらかじめ用意をしてくれていたのか、枕もシーツもお布団もお日様の匂いがした。着ていた上着は脱がされたが、何となく寂しくて布団と一緒に被せて貰った。
久し振りの自分の家にホッとしたのか、ロッティの話を聞きたかったが、ルルはうつらうつらと睡魔に襲われる。
「ゆっくり眠るのよ。あとで食べられように何か作ってくるから。ニコル、ちゃんとルルを見てて、何かあったらすぐに呼ぶのよ」
「分かってるよ! 任せといて」
「……ありがとう。ロッティ、ニコル」
お礼を言うと、そのままルルは眠りに入った。
どれぐらい眠っていたのだろう、時間にすると短かったかもしれないが、やはり自分のベッドが良かったのかぐっすりと出来て、気分は悪くなかった。そんな事を考えていると、ルルの傍らで珍しく静かに本を読んでいたニコルが目を覚ましたのに気がついた。
「どうした? もっと寝てた方が……」
「大丈夫。うちに帰ってきたら、ホッとしてよく眠れた気がする」
「そっか……」
「……ねぇ、ニコル? どうしてロッティが急におじいちゃんのところに来たの?」
1階の台所からいい匂いしていた。そう言えば、眠る前にロッティが何か作ると言っていたのを思い出す。
なので、今はとりあえず、ニコルに事情を聞いてみることにした。
すると、ニコルは少し困った顔をしながら話はじめた。
「10日前だったかな、王都から来たっていう警備隊の兄ちゃんと村の長が、すいろじぎょう? ってやつを村でやる事になったからって言って……」
「水路、事業?」
「そう。最初は水路なんてよく分からないし、びっくりしたんだけど、それが出来れば水不足を心配する事はなくなるってんで、村のみんなが盛り上がってたんだ」
療養中のルルには、回復を優先させるためにも、そこら辺の事情はまだ伝えられていなかった。村の長が折を見て話そうと思っていたが、ルルの体調はなかなか戻らず、話が先延ばしになっていた。
「そんで、姉ちゃんがその事をルルにも早く伝えようと、家に行ったんだけどいなくて、その時は姉ちゃんも、ルルは留守にしているだけだと思ってたんだけど、でも次の日も、次の日もルルの姿が見えないって騒ぎ始めて……」
そこまで言うと、ニコルは急に顔を歪めた。
姉のロッティ同様、自分も毎日顔を合わせていたはずのルルの姿が見えなくなって、心配で仕方なかったのだ。
ニコルにとって今までルルの顔を見なかった事なんて、ルルの両親がなくなって引きこもっていたあの時だけだった。あの頃ニコルは今よりずっと幼かったが子どもながらに元気のないルルを心配していたし、会えない事をひどく寂しく思った。だから、また何かあったんじゃないかと、怖くてたまらなかったのだ。
「ルルが……ルルがいなくなったのかと思った」
そう言ってワァと泣き出したニコル。最近は生意気盛りでぶっきらぼうな返事しかしなかった彼が、こんなにも心配してくれていたなんて……。ニコルの気持ちが嬉しくてそっと手を伸ばし、ルルはニコルの頭を優しく撫でてやった。
「ニコル。心配かけてごめんね」
しばらく、グスグスとしているニコルを宥めていると、ノックもなしに急に寝室の扉が開いて、ロッティがひょっこりと顔を覗かせた。
「こら、ニコル。病人のそばで泣かないの! 男の子でしょ」
弟の泣き顔を見るやいなや、ぴしゃりとそう言い放った。ちょっぴり、厳しいけれどそれが姉なりの不器用な励まし方だった。
「だってぇ……」
「ほら、あとは私がルルの面倒見るから、もう帰りな。父さんと母さんには、しばらくルルの家に泊まるからって言っておいて」
「ロッティ、そこまでしてくれなくても……」
「ダメよ! 大人しく看病されてなさい」
ロッティの勢いに、それまで泣いていたニコルとルルは、そっと顔を見合わせて苦笑いした。
「ルルも僕も、まだ姉ちゃんには敵わないね」
「うん。だから大人しく看病されとく」




