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癒える時 8




 真っ暗な闇に引きずり込まれそうになる心を、力強く抱きとめてくれる人がいる。

 激しく乱れる呼吸を繰り返すばかりの自分を、トクン、トクンと規則正しいリズムを刻むその心音が安堵を与え続けてくれていた。


「ルーカスさま……」


 ふいに、腕の中でもぞりとルルが身じろぎすると、か細い声で呼ぶ。


「どうした、ルル?」


「……の……みたい?」


「え……」


「バラの、花……みたい?」


 くぐもった声に一度は聞き漏らしてしまったルーカスだったが、零れる声を全て受け止めるようにルルに全神経を傾け、少女の想いを拾い上げた。


「ああ、俺には薔薇の花みたいに見えるよ」


 初めて火傷の薬を塗ってくれた時と変わらないその答えに、ルルは深く吸った息を吐き出すとルーカスの胸から顔を上げる。

 角度を変えたルルの瞳から熱いものが零れ落ちると、涙の膜でぼやけていた視界がほんの少し鮮明になった。


 目が合う。

 真っ直ぐ見つめた先には嘘偽りない瞳をしたルーカスがいた。

 早鐘を打つ心臓の音に反応するかのように、火傷の跡がじんじんと熱を帯びていくような気がした。

 胃の下から胸へとせりあがってくる感情に突き動かされるように、ルルは勇気を振り絞るとおそるおそる視線を下げていった。


 そして、ついにルルはその場所に目を向けたのだった。


「っ……」


 きっと、他の人から見れば、焼けただれてぐしゃりとした塊にしか思えないのかもしれない。

 ルルもルーカスの言葉がなければ、醜い跡としか思えなかっただろう。


 最初は、錯覚でもいいと思っていた。

 ルーカスがそう言ってくれるなら、そうなんだと思い込むことが出来ると……。

 なのに……それなのに。


「ほん、とう……だ」


 初めて見た胸の火傷の跡は、不思議とルルの目にもまるで開きかけの薔薇の花ように見えたのだった。


 こんな醜い傷跡さえ、好きな人一緒ならそう見えるのかもしれない。


 この先、これが一生消えることはないのだろう……。

 けれど、今この時、ルルの心はやっと忌まわしい過去から解き放たれ、あの時の恐怖や悲しみや痛みが、癒えていくような感覚に満たされていくのだった。



◇◆◇



 薬を塗り終えた胸の傷跡に油紙を上から貼り付けると、ルルはそのまま残りのボタンを外し、おそるおそるシャツを肩からずらすとルーカスに背を向けた。



「背中は、何の花に……見えますか?」


 もうひとつの火傷の跡をルーカスの前に晒すと、緊張な面持ちでそう尋ねた。

 肩にかけて負った火傷の跡に、ルーカスはまず薄っすらと残る程度まで治癒している状態に心の底から安堵した。


「ありがとう……ルル」


「え?」


「ルルがひとりでも頑張って手当てしてきたから、驚くほどの傷の治りで……」


「本当ですか」


 ルーカスのその言葉には、ルルも思わず弾んだ声を上げた。

 このままちゃんと治療を続ければ、もしかしたら目立たなくなるくらいになるのではないかとルルはこっそり期待を抱いたのだった。

 もし、そうならなかったとしてもルーカスが花に例えてくれたら、前向きに向き合っていけるような気がした。


 再度、ルルから何の花かと問われ、薬をすくった指先で背中の火傷の跡を優しくなぞりながら、花の名前を思い出すルーカス。


「白くて、花の形が筒状で横向きに咲く……百合(Lily)の花のように見えるかな」


「リリー? 母さまと同じ名前の花……」


「そうか……言われてみれば音の響きが同じだね。白くて、凛とした気品のあるとても綺麗な花だよ。ルルは見た事ある?」


 初めて聞く花の名前に、ルルは首を横に振った。


「どの地域に自生しているのですか?」


「確か、ロクニール地方へ仕事に行った時に見かけたと思う」


「ろく、にーる……?」


「そう。ここから東の山を4つほど超えたところにある国境の都市だよ」


「わぁ……遠いんですね。母さまと同じ名前の花、見てみたかったな」


「じゃあ、いつか一緒に行こう」


「え……」


「お金貯めてさ……いつか二人で色んな街を旅しよう。ルルも言っていたじゃないか、もっと色んなものを自由に見て回って、色んな人に出会って、苦しんでいたりする誰かの力になれるような、薬師になりたいって……。ずっと、そばにいるから。これから一緒に色んな場所を見に行こう」


「ルーカス様……」


 それは二人の新しい約束。

 ルルに明日を見せてくれる素敵な約束だった。


「……はい。ルーカス様と一緒に旅がしたいです」


 ルルは振り向きルーカスと真正面から向き合うと、涙を滲ませながらも笑顔を浮かべて、そう答えたのだった。


 お互い見つめ合いながら、ルーカスの指が蜂蜜色をしたルルの髪へ差し込まれるとほんのわずかに力がこもった瞬間、自然と引き寄せられるように口づけを交わした。


 王都での初めての口づけは、どこか躊躇いを抱えながらそれでも抗いようのない衝動に突き動かされてしまった。


 けれど、今はお互いの想いを通い合わすようにゆっくりと、優しく、熱く、深く……。

 相手の体温と匂いとその感触を確かめ合うように、何度も交わされていく。


 ルルとルーカスは、体だけではなく心が触れ合うのを、今はっきりと感じていた。


 そうして、ひとしきりのキスのあと――。



「ルル、愛してる」



「私も、ルーカス様を愛しています」



 交わされた言葉が、これ以上ないくらいお互いを幸せにするのだった。




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