癒える時 7
「おいで」
ルルの言葉を受けて、ルーカスはその両手を広げるとそう言って優しく微笑んだ。
ずっと待ち望んでいたその光景にルルは突き動かされるようにして、愛する人の胸に飛び込むと二人はしっかりと抱きしめ合ったのだった。
「あれから、こんなに時間がかかってごめんね」
お互いのぬくもりを充分に分け合ったあとあらためてルーカスが謝ると、ルルは彼の背中に回した腕にほんの少し力をきゅっと込めると、小さく首を横に振った。
ルルにとって、それらのことはもう構わなかった。
今こうしてルーカスが目の前にいてくれる、それだけで充分だった。
そんなルルの気持ちを受け取ると、ルーカスは再度口を開いた。
「心の準備はいい? じゃあ、目を瞑って……」
すると、またもやルルがふるふると首を横に振ったので、ルーカルはその背を撫でながら優しく語りかけた。
「うん。焦らなくても大丈夫だからね。ゆっくり時間をかけて……」
彼女の気持ちを落ち着けようとするルーカスだったが、何故かルルは首を横に振るので不思議に思っていると……。
「違うの……」
か細い声で、ルルがぽつりとそう呟いた。
「ん?」
ルーカスが聞き返すも、ルルは口を開きかけては噤む仕草を何度も繰り返すばかりでなかなか言葉に出来ない様子であった。
それに対してルーカスは、決して急かすようなことはせず静かに見守ることにした。
そうしてしばらく沈黙が続いたあと、ルルは覚悟を決めたような顔でルーカスを見上げるとこう告げたのだった。
「今度は、私も……一緒に薬を塗りたいです」
ルーカスは息を呑んだ。
ルルがそれを口にするのに、どれだけの勇気がいっただろう……。
彼女の眼差しからはその決意の強さが伺えたが、しかし小さな身体は小刻みに震えてもいた。
ルーカスは心配の色を滲ませながらもしばらく思案したのち、ルルの気持ちをもう一度確認するように慎重に問う。
「本当に、いいんだね?」
真剣な眼差しに、ルルもまた姿勢を正して答える。
「ルーカス様と一緒なら、きっと大丈夫です」
ルルの自分への信頼に、ルーカスの胸が熱くなった。
正直、自分なんかでいいのかという思いは未だ完全に消え去ったわけでもない。
けれど、ルルが自分を選んでくれたのなら、これからはそれに全力で応えられる自分でありたいと強く思うのだった。
ルルの想いを受け止めて、ルーカスも覚悟を決めた。
「じゃあ、決して無理だけはしないように」
それにコクリと頷いたルルは、大きく深く息を吸って吐くと、おそるおそるシャツのボタンに手をかけた。
しかし、そう意気込んだものの極度の緊張により指先は小刻みに震え冷たくなっていて、うまく動いてくれないのだ。
何度か挑戦してみるも、時間がいたずらに過ぎるばかりで、未だにボタンのひとつも外せない有り様。
最初の一歩でつまずいてしまい、あまりの不甲斐なさに思わず目頭が熱くなる。
けれどその時、不意に強い力で引き寄せられ、後ろから抱き締められるような姿勢になると、冷たくなったその手をルーカスの両手がしっかり包み込んでくれたのだ。
冷たくなった指先を、大きな手でゆっくり、ゆっくり優しく擦り合わせてくれる。
「一緒に……」
ルーカスのその言葉に反応するかのように、鼓動が強く打ち始めると指先にじわじわと血の気が通うような感覚が戻ってくるのが分かった。
それがルーカスにも伝わったのだろう。
重ねられた大きなその手に導かれるようにして、再度シャツのボタンに手をかけると先ほど手間取っていたのが嘘みたいに、プツリと外れたのだった。
そうして、またひとつまたひとつとボタンが外されていき、不意に重ねられた手が止まりそのぬくもりが離れたかと思うと、シャツがほんの少しはだけられた。
「あ……っ」
自分でも無意識に小さな声が上がった。
ひんやりとした空気が肌を撫でると、思わずビクリと体がすくんでしまったのだ。
ルーカスがすかさずルルの顔をぐっと自分の方へ引き寄せると、ルルも無理に我慢することなく素直にその胸に顔を埋めた。
ドクリ、ドクリと心臓が嫌な音を絶え間なく打ち鳴らす。
ルルは徐々に大きくなるその心音に押し潰されそうな感覚に陥ると、段々と息も荒くなっていき、あえぐような呼吸を始める……。
そんな彼女の背をルーカスがなだめるように、何度もゆっくりと擦っていく。
しばらくして、やっとルルの肩からも力が抜けてくると、ルーカスが気遣うように声を掛けてくれた。
「大丈夫?」
ルルはそれに励まされるように息を整えていくと、やがてゴクリと息を飲み込んだあと小さな声で答えた。
「はい……。続けます」
ルーカスは火傷の薬が入った小瓶の蓋を開けると、後ろからルルの小さな左手に自分の左手を添えお互いの指を絡ませるようにしながら、軟膏の薬を一緒に掬い上げる。
ついにその来たその瞬間に、ルーカスも深く息を吸って吐くと最後の確認をとる。
「ルル、いい?」
さすがのルルもルーカスの胸から顔を上げることが出来ないでいた。
しかし、その決意が揺らぐことはなく、ルルはそのままの状態でぎゅっと目を瞑ると、小さく頷いた。
「ゆっくり、いくよ」
ルルは息を殺して、その瞬間を待っていた。
そして――。
「っ……!」
初めて直に触れたその衝撃にびくりと大きく跳ねたルルの身体を、ルーカスが力いっぱい抱き込んだ。
軟膏の冷たくてとろりとした感触が、ゆっくりとそこに触れていく。
――嫌……っ。
本来なら指が滑るように通り過ぎて行くはずの肌が……。
――恥ずかしい……っ。
ルルの指先は否応なしに、その微細に隆起した肌の感触を捉えていく。
「……ふ、…ぅっ、……うぅ……」
覚悟していたとはいえ、目の当たりにした衝撃に嗚咽をこらえることが出来ず、ルルの心は悲鳴を上げる。
襲ってくる計り知れないほどの嫌悪感に、ルルはカタカタと震えながら泣きじゃくることしか出来なかった。
今のルルにはどんな慰めの言葉も届かないかもしれない……。
だから、ルーカスはそんなルルをただただ力強く抱き締め続けた。
その深い悲しみも痛みも、一緒に受け止めてあげられるように――。