癒える時 2
ルルはライアンに抱きかかえられたまま、寝室へと運ばれていた。
その微かな揺れも、ルルを更に眠りへと誘う。
そして、ベッドに寝かされ毛布をかけられたところで、一気に引き込まれそうになる。
けれど、今にもくっついてしまいそうな瞼と途切れてしまいそうな意識を、ルルは必死で繋ぎとめようと、眠気に抗っていた。
しかし、そんなルルの様子を、サマンサのベッドの準備を終えて振り返ったライアンが見咎めた。
「やだぁ、この子ったらまだ起きてたの? ほら、もう早く寝なさいよ」
あきれ声のライアンに、けれどルルは小さく首を横に振る。
「眠……り、たく、ない……」
消え入りそうな声で途切れ途切れになりながらも、そう訴えたルルだったがそんな子どもじみたわがままが聞き入れられるわけもなく……。
「こーら! わがまま言わないの!」
ライアンはそう言うとルルの隣に寝そべり、少女の華奢な体を引き寄せると、まるで母親がぐずる子どもをあやすように、毛布の上からルルの肩をぽんぽんとする。
「それ、だ、め……。すぐ、寝ちゃ……」
ルルとて、こんなわがままを言いたいわけではないのだが、でもどうしても眠りたくない彼女なりの理由があったのだ。
けれど、今はそんなもどかしい気持ちをどう説明すればいいのか考えるだけの余力も残っておらず、口にするのをためらっているうちに、睡魔はどんどん押し寄せてきて、ライアンの不動の安心感に包まれると、ルルもそれ以上抗いようもなく、とうとう深い眠りへと落ちてしまったのだった。
◇◆◇
――何だか、温かい。
じわじわと意識が浮上していくような感覚とともに、ルルはすぐそばにある温もりに思わず頭をすり寄せる。
ただ、無意識ながらに何かを確かめるよう何度かすりすりすると、それはルルにとってすでに馴染みのある温もりであり、不快な感じはひとつもしなかったが、けれど何故だかルルが今求めているものではないという違和感みたいなものを覚える。
――ちがう。これじゃない……。
ルルは、おもむろにそれを両手でぐいっと押しやったがびくともせず、逆に自分の体が後方にずれて壁に背中が当たった。
ルルは寝惚け眼でもそもそとベッドから降りると寝室を見回した。と、その様子に気がついたヴィリーが体を起こして、そんなルルと目が合った。
いつもなら、起きてまずハグを交わすのがルルとヴィリーの日課になっている。
何気に期待に満ちた目で尻尾ふりふり待機していたヴィリーだったが、今朝のルルはそれを素通りしてしまった。
元気よく振り回していた尻尾が、力をなくしたようにぱたりと床に落ちた……。
しかし、そんなヴィリーの様子にも気づかず、ルルはまだどこかぼんやりとしながららも寝室から出ると、視線を彷徨わせながらたどたどしい足取りで進む。
居間に足を踏み入れると、すでにベッドはもぬけの殻だった。
ただそれだけの光景に、ルルはなぜだか無性に不安と心細さを感じると、鼻がツンと痛くなって、じわりと瞳が潤んできた。
その時、ふんわりと美味しそうな匂いが漂ってきたので、ルルはハッとしたように台所に駆け寄ったが……。
「おはよう、ルル」
「おはようございます。早く目が覚めてしまい、せっかくなので朝食をと思いまして、台所をお借りしています」
そこにいたのは、朝食の用意をしているアランとココだった。
そして、ここで不安に揺れていたルルの涙腺が、ついに限界を迎えてしまった。
「……っ、ふぇ……」
必死に堪えていたものが一筋頬を伝い落ちると、あとはもう溢れでてくる涙を止めることはできなかった。
突然泣き出したルルに驚いたアランは、血相を変えて駆け寄る。
「どうした、ルル? 具合でも悪いのか?」
アランにそう聞かれると、ルルは小さく首を横に振ったものの、しゃくり上げているせいでまともに言葉を紡げない。
そのせいで、アランが高速回転で思考を巡らせるとやがて勢い余って、盛大な勘違いを起こしてしまうことになった……。
ひとまず泣いているルルの耳をぎゅっと塞ぐように抱きしめると、アランは家の外にまで響き渡るほどの大声を上げた。
「くぉらぁぁぁ! ライアーーーン! 今すぐ起きて来いっーーー!」
すると、ほんの少ししてライアンが、のんびりとしたあくびをしながら台所にやってきた。
「もぉ、なによ〜朝っぱらからぁ! どうしたのよ、何かあった?」
「お前、ルルに何した?」
眠たそうな声を上げたライアンだったが、怒りの頂点に達しているアランと泣きじゃくるルルというただならぬ様子に、一瞬で目が覚めた。
ただ、まったく身に覚えがなく、戸惑うライアンでもあった。
「えぇっ! や、ちょっとぉ、アタシ何もしてないわよぉ……。まさか、そんな……」
あらぬ疑いをかけられ、一瞬自分でも無意識のうちに、まさかついに目覚めてしまったのかと慌てて確認したが、そんな痕跡は欠片も見当たらず、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。
「びっくりさせないでよぉ〜! 何もしてないわ、本当よ! アタシの言うことが信用ならないってんなら、直接アランに確認してもらって構わないわ!」
胸を張ってそう言い切ったところで、アランの一撃が飛んできたが、ライアンの屈強な筋肉によってそのダメージは軽く済んでしまうのであった。
「ちょ、ちょっとぉ! 濡れ衣だってば〜! そうでしょ? サマンサ、ヴィリー!」
そこへ騒ぎを聞きつけてやってきたサマンサとヴィリーに、ライアンは思わず救いを求めたのだった。
そんなこんなでやっとライアンに対する疑いが晴れると、アランはあらためてルルに事情を聞いてみた。
「ルル、一体どうしたんだ?」
「いな、いの……」
すると、ルルは涙混じりの声でどもりながらも、ぽつりと答えた。
「え?」
「ルーカス……さま、がっ、いない……」
ルーカスの姿が見えない。
たったそれだけのことに、ルルは不安でたまらなくなってしまった。
「ルル……」
だって、ルーカスを庇って火傷を負ってしまった時も、彼と初めて口づけを交わした翌朝も、ルルが目を覚ますといつもルーカスの姿はそばにいなくて、どうしようもないほどの寂しさが、ルルの胸を痛いほどしめつけたのだ。
だから、もし今回もそうだったらと思うと、ルルは眠るのが怖かった……。
そして今朝もまた、目が覚めてからずっとルーカスの姿を探してみたが、居間にも台所にもいなくて、もしかしたら昨日のことはすべて夢だったのかもしれないと思うと、ルルの胸は悲しみで押し潰されそうになってしまったのだった。




