ささやかな仕返し 2
あらかたの料理が出来上がり、盛りつけられた皿を運ぶため、アランとライアンが一足先に台所をあとにした。
簡単に後片付けをするルルに、同じくそれを手伝っていたサマンサがふいに手を止めると、あらたまった様子で静かに口を開いた。
「ルル、ありがとう」
「……? サマンサ様、どうしたのですか?」
突然の感謝の言葉に、ほんの少し考えたものの、何のことかすぐに思い当たらなかったルルはそう聞き返すと、サマンサはルルに向かってもう一度「ありがとう」と、腰を折って深々と頭を下げたのだった。
「そんな……サマンサ様? 頭をあげてください。一体何のことですか……?」
そんなサマンサの姿に、驚いたルルはあわてて駆け寄ると、その体を起こそうとした。
すると、サマンサは自身の体に添えられたルルの手をぎゅっと握り締めて、それを告げる。
「ルルや、孫の家族になってくれて、ありがとうよ」
「え……」
突然の“家族”という言葉に、ルルは思わず言葉を失ってしまった。
「おっと。ちょいとばかり、気が早い話だったかもしれないねぇ」
そんなルルの様子をどう捉えたのか、サマンサはそう言ったものの、その眼差しは優しいままだった。
「私が、家族に……」
この先ずっとルーカスと一緒に歩んでいくということは、いずれそうなるということでもある。
けれど、少女にとっては懐かしくも、久しく自分とは無縁だったその響きに、ルルの気持ちはまだそれに上手く結びつかず、戸惑ってしまうのだった。
「ああ、そうだよ。ルーカスだけじゃない、私の孫娘にもなるんだよ。あぁ……嬉しいねぇ。正直に言うとね、孫がああなってしまったのをそばで見てきて、もしかしたらこのまま独り者なのかと、心のどこかで少し諦めてもいたんじゃよ……」
「サマンサ様……」
「でも、まさかルルのように素晴らしい孫娘が持てるなんて、長生きはするもんだね。ルル、本当にありがとうよ」
「そんな、私なんか……」
じわじわと胸の奥から込み上げてくる、ルーカスへの想いとはまた別の……暖かくてどこかくすぐったくてむずがゆいような感情に、まだ慣れないルルはついそんなふうに言ってしまった。
「ルルは、私達と家族になるのは嫌かい?」
けれど、サマンサにそう聞かれると、ルルは力強く首を横に振る。
胸に詰まって上手く言葉が出てこなかったが、それがまぎれもないルルの答えだった。
そんなルルを、サマンサは優しい笑顔で迎え入れる。
「おお、そうかい。そうかい。そりゃ、良かった。これからは遠慮せんと、何でも……ワガママも言ったっていいんだよ。家族なんだから」
両親が亡くなってから、ルルは他の子どもより早く大人にならなければならなかった。
もちろん、周りの協力があってこそ何とかここまでやってこれたのだが、ルルの心の奥底には消えることのない寂しさと孤独がそっと横たわっていた。
それが、今……。
新しく家族になるという実感は、ルルにはまだまだ程遠いのものかもしれないが、その喜びは今確かにルルの全身を駆け巡っていた。
「こちらこそ……よろしく、お願いいたします」
今のルルはそれだけを言うのが、やっとだった。
「あぁ、そういう堅苦しいのも、これからはなしだよ。今度またルーカスのことで困ったことがあったら、いつでもこの……“ばぁば”に言っとくれ」
その呼び方に、思わずきょとんとしてしまったルル。
すると、サマンサはこっそりとそう呼ばれるのが長年の夢だったと語ったので、ルルは思わず笑ってしまったのだった。
◇◆◇
一方、料理が出来上がったところで、ココの事情聴取から一旦解放されることになったルーカス。
居間のテーブルに皿を配置し終えたアランとライアンは、そこがいつもの定位置なのだろう。おのおのと席につくと、台所の片付けをしているルルとサマンサを待っていた。
その場に、短い沈黙が降りた。
ルーカスはルルがここにいないことで、やっとアランに話しかける機会が巡ってきたと、意を決して声を掛けたのだが……。
「アラ……」
「お前からは、謝罪も、感謝もいらん」
取り付くしまもなくアランにばっさりそう切り捨てられてしまい、ルーカスはその言葉を飲み込まざるを得なくなってしまった。
もしも、アランが今のルーカスに望むとすれば、きっと謝罪や感謝ではないのだろう。それはルーカスにも分かっていたが、これまでの事を思うとそれを伝えたいという衝動に駆られてしまった。
しかし、そんな想いをぐっと堪え、ルーカスは数度深く呼吸を繰り返すと、覚悟を決めたような顔でアランに向き直った。
「大事にする」
たったその一言に、不覚にもアランの眉がぴくりと動いてしまった。
「今度こそ、きっと大事にするから」
長年の腐れ縁の二人。
その声音だけで、彼の真摯な心が伝わってきてしまったことに、アランは心の中で思わず舌打ちをする。
「フンッ。当たり前だ、大馬鹿者め」
やっとのことで、アランがぼそりとそうこぼすと、今の会話を聞いていたのだろうか、おそるおそるといった様子でルルが部屋に入ってきた。
「ルーカス様……」
正直、アランとてルーカスに対して、腹の虫が収まっているわけではない。
これまでのことを思い返すと、奴には色々とぶちまけてやりたい気持ちもくすぶっているが、ルーカスの名を呼ぶルルの眼差しを見ると、口をつぐむざるを得ない。
「ルル……」
けれど、ルーカスがその名を呼ぶことには、いまだ癪な気がしてたまらないアランは、もうしばらくささやかな仕返しを続けることを、密かに決意する。
さっそく、ルーカスを遮るように、すっと立ち上がるとルルの目の前に膝をついた。
「ルル、幸せになれ」
その視線で、ルルを捉えると心からの祝福を届けた。
ルーカスには思うところが大いにあれど、ルルに対してそれはまぎれもなくアランの本心であった。
すると、アランはルルの両手をそっと取り、胸の前まで持ってくるとぎゅっと自分の両手で包み込んだ。
「そのかわり、次にまたルーカスに泣かされたら、今度こそ俺が君を幸せにする。もう二度とルルの手を離さない……。その時は、覚悟してくれ。な」
少なからずルーカスへのあてつけの気持ちも密かにあったが、その言葉に嘘偽りはなかった。
「アラン様。……はい」
そして、アランのどこまでも深いその想いに、ルルは素直に頷いたのだった。
「あらぁ、何だかこっちのほうが、恋人らしいわねぇ〜」
そんな二人のやりとりに、思わずライアンが悶えた。
正直、ルーカスから見てもそう思えるような光景だった。
自分がルルのそばにいてやれなかった間、アランがずっと彼女を支えてきたことを思うと、素直に頷いてしまうのも納得できてしまうのだった。
ルルの気持ちをこれっぽっちも疑ってはいないが、けれど今更ながらルーカスは、危機感を煽られたような気がした。
今の彼女にとって、まず絶対的信頼を置くヴィリーがいて、その次にこれまでずっとそばで支えてきたアランの存在があってもおかしくない。
それに続いて、友人という地位を確立させたライアンに、孫とは別にルルとの親交を深めたサマンサときて、その次がやっと自分という立ち位置なのかもしれない。
やっと想いが通じ合ったルルとルーカス。
互いにとって特別な存在であることを確かめ合ったが、これからもそうであるように、先ほどアランに語った自身の言葉、ルルを「大事にする」という気持ちを噛み締めるのであった。
けれど、そんなルーカスの複雑な思いも何もかも、次のルルの一言がすくい上げてくれた。
「これから、笑顔で過ごせるように精一杯、頑張ります」
思わず瞳の奥から熱いものが込み上げてきてしまったルーカス。
そんなルルの真心に触れ、自分も何かそれに続くような返事をしてやりたいと思うも、胸が詰まって言葉にならない。
「いや、ルルは今まで充分過ぎるほど頑張った。だから、ルルは今まで通りのルルでいいんだよ。これから死にものぐるいで頑張らねばならないのは、ルーカスの方だからな!」
まだまだのルーカスに、アランから容赦無い激が飛ぶ。
「そうよ! これまでルルがどれだけ頑張ってきたと思ってるのよ。アンタ、捨てられないように、頑張りなさいよ!」
ライアンにもそうまで言われる始末。
そして、そんなルーカスの姿にサマンサは、先ほどルルと話した家族になるという話が、当分先のことになりやしないかと、心の中でぼやくのだった。




