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大馬鹿者 2



「ルーカス!? ルーカス……。ねぇ、私が分かる?」


 かすかに身じろいだことに気がつくと、セレナはすぐさまベッド脇に駆け寄り、ルーカスの顔を覗き込みながら、声をかけ続けた。


「セレナ……?」


 やがてルーカスのまぶたがわずかに持ち上り、しばらく虚ろな感じでさまよっていた視線が、セレナへと定まると、かすれた声でその名を口にした。


「ルーカス兄ちゃん!」


 ルーカスのその声に、彼を心配しながらも、いつの間にか傍らでうたた寝をしていたアルフレッドの耳がピクリと動くと、弾かれたように勢い良く体を起こし、大きな声でルーカスの名を呼んだ。


「アルフ、レッド……」


 ルーカスがその声に応えるように、ゆっくりとアルフレッドに視線を移すと、少年の顔はくしゃりと歪んだものの、涙を堪えるようにぐっと口元が引き締められていた。

 ルーカスは、自分がどうなっていたのかまだすぐには思い出せなかったが、その様子に心配をかけてしまったであろうということは、少なからず認識できた。


「良かったわ……。本当に、よ、かった……。やだ、私ったら……。アル、皆を呼んできてくれないかしら?」


 安堵したセレナの眼の奥からは、熱いものが込み上げてきた。

 それを隠すように、ルーカスが無事に目を覚ましたことを他の皆に知らせるよう息子に頼むと「うんっ! 分かった」と言って、ものすごい勢いで寝室を駆け出して行った。


「俺、どうして……」

「事故にあって、熱を出していたのよ」

「そういえば、急に横穴が崩れてきて……。うぅ……」

「あぁ、待って。急に起き上がったらダメよ。ほら、ゆっくりと」


 段々と意識もはっきりしてきて、その時の事態が蘇ってきたルーカス。

 ふと、少しだけでも体を起こそうとしたが、ひどく重く感じた。差し伸べられたセレナの手を借りて何とか上半身を起こして、壁にもたれかけさせることが出来た。


「すまない……。君やアルフレッドに、心配かけてしまったみたいで……。もしかして、セレナがずっと看ててくれたのか?」


 ルーカスの言葉に、一瞬セレナの胸に痛みが走った。


 ここで、もしそうだと答えたら、ルーカスはどう思うだろうか……。


 けれど、そんな感傷も束の間だった。

 確かに、ここでルーカスを実際に看ていたのは、セレナだったかもしれない。

 でも、あの手紙の指示がなければ、セレナとて右往左往することしか出来なかった。それに、手紙の内容はセレナ一人では到底追いつかないほどの献身ぶりで、アランやライアンにも手伝ってもらって、やっとの状態だったのだ。


 ――ルーカスは、本当のことを知るべきだ。


 目覚めたばかりで彼がそう錯覚してしまうのも、無理はないと分かってはいても、セレナの胸の内で、そんなルーカスへの腹立たしさがふつふつと湧いてきて、ついに我慢しきれなくなってしまった。


「馬鹿っ! ルーカスって本当に……。これ!」


 セレナはたまらずにルーカスを一喝すると、先ほどライアンが用意してくれた薬を少々乱暴ながらも、こぼさないようにずいっと目の前に差し出した。


「えっ……」


 セレナから突然の怒りに似たような言葉をぶつけられて、ルーカスも戸惑ってしまったが、セレナはそれ以上何も言わせないというように、ぴしゃりと言い放った。


「つべこべ言わずに、全部飲む!」


 そうすれば、いくらルーカスでも分かるはずだ……。

 誰がどれほど心配していたのか、それをルーカスは心の底から思い知らなくてはいけないのだ。

 それはただ単に彼のためだけじゃない、自分や息子のためにも……である。


 セレナの有無を言わせない態度に、ルーカスは訳も分からず戸惑ったまま、ひとまずその言葉に従おうと、差し出された器を受け取り、口に運ぼうとした瞬間。


「っ……!」


 その香りに、懐かしさを感じた。

 独特ながらもどこか爽やかさも感じさせる、薬草の匂い。


 この匂いを、忘れることなどできはしない。

 自分はその匂いに囲まれた場所で、そこに暮らしていた少女と、かけがえのない時間を過ごしていたのだから……。


 そして、それを口に含むと、強い苦味を感じたが……でもそれだけではない何かじんわりとしたものが、体の隅々に染み渡っていくような感覚に、ルーカスは思わず胸をつまらせた。


「分かるよね? ちゃんと、気がついたよね、ルーカス……!」


 セレナは自分の声が、思わず震えていたことに気がついた。

 しかし、それに構うことなく、ルーカスが薬を飲み干したのを見届けると、その容器を取り上げ、変わりにあの手紙をぎゅっとその手に握らせた。


 ルーカスはそこに書かれた文字に、胸の奥からこみ上げてくるものがあった。

 薬草の分量から、煮出す温度や時間、回数、飲ませる角度まで、それだけではない。体を冷やす部分の説明や、寝る態勢、傷の消毒の仕方から包帯の巻き方まで、事細かく綴られており、ここに彼女の姿がなくとも、その想いはこの手紙から溢れ出ていた。


「ルーカス……」


 しばらくして、セレナに声を掛けられたが、ルーカスは顔を上げることができなかった。

 そんな彼に対して、セレナは静かに語りかけた。


「私ね、あなたと遊んでいるアルフレッドを見て、やっぱりこの子には父親が必要なのかも知れないと思った。あんなに楽しそうな笑顔がこのまま……、続けばいいなって……」


「セレナ……。セレナ、俺は……」


 セレナは、一人で息子を育てている。

 ルーカスがそうさせてしまったのだ。


「言わないで。聞いたら、揺れちゃうから……」


 けれどルーカスの言葉を、セレナは遮った。


 迷いがないといったら嘘になる。

 このままルーカスのその言葉に、そっと甘えてしまいたくなる気持ちも確かにあった。

 罪の意識で苦しんでいるルーカスをほっとけないと思ったし、高熱に苦しんでいる彼の看病をして、そんな思いが膨らんだのも事実……。


 セレナとて、不意に三人で過ごす姿を想像したこともあったのだ。


 けれど、あの手紙を見て、今のルーカスの顔を見て、自分のそんな気持ちより、ルーカスのそのどうしようもない優しさに、思わず腹が立ってしまったのだ。


 彼は、自分の過去とやっと向き合うことが出来て、その上で親友の妻である自分とその息子に向き合ってくれたのだ。

 それだけで、セレナとしてはもう充分だったのだ。


 それなのに……。


「本当に、馬鹿なんだから……」



 もう一度、セレナはそうこぼした。

 それは先程憤っていた様子とは違い、呆れたようでもありながら、どこか諭すような声音でそう言ったのだった。



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