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大馬鹿者 1



 アランはイライラしていた。


「くそっ……。この大馬鹿者!」


 やがて、こらえきれなくなったのかアランは思わずそう声を上げると、体を拭うため水に浸したタオルを絞りもせずそのまま、べちゃりとルーカスの顔面に投げつけた。


「アラン……! 気持ちは分かるけど……それは、だめよ」


 慌ててルーカスの顔に張り付いたタオルを剥がし、アランをたしなめたセレナだったが、その顔には苦笑いが浮んでいた。


「でも……。本当に、どうしようもないわね……」


 ルーカスの高熱に一時はどうなることかと心配したが、今は幾分か落ち着きを取り戻したような息遣いに、少なからずホッとしたところということもあり、セレナもアランの気持ちに同調するように、ため息まじりにそうこぼしたのだった。


 アランはもちろんだが、セレナまでもがそんな気持ちになるのも、無理はなかった……。


 アランから頼まれ、ベッドに横たわり熱に苦しむルーカスの姿を目にした時は夫のこともあり、膝から崩れ落ちそうなくらいの衝撃と心配をしたものだった。

 息子のアルフレッドも、大きなショックを受けたように、ベッドのそばで涙まじりにルーカスの名前を呼び続けていた。


 ライアンから簡単に事情を聞いたが、彼も疲労がピークに達していたのか、セレナがルーカスの様子を見ることになったと知ると、気絶するように眠ってしまったのだ。


 さすがのセレナも、突然のことに気が動転しておろおろするばかり。

 結局、アランが薬と水を調達してくるまで、息子をなだめながら同じようにルーカスの名を呼び、回復を祈るくらいしか出来なかった。


「そろそろライアンが薬の用意をするころだから、手伝ってくる……。セレナ、あとを頼んでもいいか?」


「ええ、あとは一人でも大丈夫よ」


「すまない。帰るところだった君を、引き止めることになって……」


 アランから、少し申し訳なさそうにそう声をかけられた。

 セレナは彼のそんな様子に、思わず顔をほころばせた。


 昔、夫から少し聞いたことがある。

 子どもの頃のアランは、女の子かと間違えるくらい華奢で顔立ちも良かったから、よくいじめられていたのだと。

 アルフレッドは、そんなアランに最初は軟弱な奴だという印象だったので、自分から関わるといったことはなかったらしい。


 けれど、ルーカスは「弱虫、泣き虫」と檄を飛ばすことはあっても、アラン自身を馬鹿にすることはなく、何かにつけて彼を気にかけていたらしいのだ。

 挙げ句、いじめっこ達への復讐を考え、それを嫌がるアラン自身にさせるため、ルーカスが喧嘩の仕方や悪戯を教えていくうちに、自分もそれに加わり、友達になったらしい。


 夫が亡くなってからのルーカスに対して、歯痒く思ったことも、今回のように何だかんだと腹を立てることもあったのだろう。

 けれど、アランは決してルーカスを見放さない。

 心の中では今も変わらず、無二の親友だと思っているからこそなのだろうと思った。


「アラン……。いいのよ、こんな状況なんだもん。私だって放ってはおけないわ。それに……自分の気持ちはもうちゃんと分かっているわ」


 セレナのその言葉に、アランは静かに頷いて部屋をあとにした。


 それから、セレナはアランが投げつけたタオルを再度水に浸し、ぎゅっと絞るとルーカスの額の汗を優しく拭ってやった。


「……ん、んんっ……、ル、ルルちゃ……」


 ――また、だ……。


 ルーカスは時折うなされながらも、誰かの名前を呼んでいた。

 アランやライアンは、それについてセレナに何も話すことはなかった。

 しかし、セレナ自身も誰なのかは知らないが、どういう人物なのかは身に沁みて分かっていた。


 それもそのはず……。


「馬鹿ね……。ルーカスったら、本当に馬鹿なんだから……」


 セレナはベッド脇のテーブルに置かれた十数枚にも及ぶ手紙を見て、再度ため息まじりにそう呟いたのだった。


 そこには、薬の煮出し方から、傷の手当、体や汗の拭い方から水の飲ませ方まで、事細かく指示が書かれていた。


 何をすればいいのか分からなかったセレナには、とてもありがたい指南書にもなったが、それを忠実にこなすには、アランやセレナだけでは手が足りず、回復もおぼつかないライアンや息子のアルフレッドにまで手伝ってもらって、やっとこなせるくらいだったのだ。


 けれど、きっとこれを書いた本人は、たとえひとりだったとしてもそれを全てこなすつもりなのだろうと、セレナは思った。

 だって、この手紙からはそれほどの献身ぶりが、痛いほど伝わってきたのだ。


 手紙の主が、どれだけルーカスを想っているのか……。


 再会したばかりのルーカスの様子に、彼だけ過去に囚われたままなのでは……と最初こそ心配したセレナだった。

 しかし、それから息子のアルフレッドに会いに来てくれるようになったルーカスは、すこし雰囲気も表情も変わっていて、過ぎていった時間が彼の罪の意識を少なからず癒やしたのだろうと思っていた。


 けれど、それだけではないことを、セレナはいま知った。

 ルーカスの心の傷に触れ、その悲しみに寄り添ってくれた人がいたのだ。


 手紙の文字は、ところどころ滲んでいた……。


 本当に、なんて大馬鹿者なのだろう。

 これでは、アランでなくともタオルのひとつも投げつけたくなるというものだ。


「覚悟しておきなさいよ、ルーカス……。目が覚めたら、きっと皆からの説教が待っているんだからね」


 そして、セレナのその言葉は数時間後、現実のものとなるのだった。



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