忍び寄る危機 5
カタリとした物音で、ルルの目は覚めた。
いつの間に意識が途切れてしまっていたのか、机に突っ伏していたようだったルルは顔を上げ、凝り固まっていた体をゆっくり伸ばすように起こす。
ふいに脚元に擦り寄ってきたふわふわとした感触に、どこかホッとしたように手を伸ばした。
「おかえり、ヴィリー……。ルーカス様は?」
ただの胸騒ぎですんでいればいいのだが……。
そう思いながら、不安気な様子でヴィリーの首に括りつけられていたアランからのメモに目を通す。
一瞬、ぎゅっと目をつむり胸のあたりを押さえ、何かを堪えるようなルル。
けれど、それもほんの束の間、再び目を開けた彼女はさっそく動き始めた。
しかし、そんな少女の心配をするように、ヴィリーがルルの脚元でぐるぐるしていた。
森の中では普通に生活出来ていたはずなのに、帰ってきてみればルルは机に突っ伏していた状態だったのだ。
「大丈夫よ、ヴィリー」
正直に言うと、ルルも自分の体調に不具合を覚えていた。
森で初めてひとりぼっちになった心細さなのか、ルーカスの心配で知らず知らず張り詰めてしまっていたのか、けれどヴィリーが戻ってきてくれて、少なからず安堵できた。
――大丈夫。ルーカス様は、生きてる。
ライアンがざっと診たところでは、大きな怪我もないとのこと。
ちゃんとした医者が来てくれる間、ルーカスの高熱を抑えてあげられれば……。
ルルは、自分にそう言い聞かせながら、メモに書かれていた症状と照らし合わせるように、両親が遺してくれた資料を漁り始めた。
急な高熱……。ただの熱なら普通の解熱剤でもいいはずなのだが、メモに書かれた症状を見ると、単純な熱でもなさそうなのだ。
小さな傷口から菌でも入ってきたのだろうか。しかし、この症状は前にもどこかで似たようなのを見たような……ルルは引っかかりを頼りに記憶を辿る。
やがて、ルルは思い当たったのか、別の資料が置かれている棚に飛びついた。
そんな、まさか……。
あの頃の自分はまだ幼く力が及ばず、最愛の両親を救うことが叶わなかった。けれど、あれからルルなりに一生懸命勉強してきた。
今なら……あの頃より出来ることが増えたはずだ。
そばで診てあげられないのが、どうしようもなく歯痒い。でも、それを届けることは出来る、それを託せる心強い人達が今のルルにはいたのだ。
――大丈夫、きっと大丈夫……。
ルルは薬草畑に走った。
希少な薬草の栽培を手掛けてきて良かったと、ルルは両親が遺してくれた資料とあの頃の記憶を頼りに準備に取り掛かった。
◇◆◇
「ヴィリー、頼むわね。これを先に、届けて」
少々、嵩張った荷物をヴィリーに背負わすようにして、処方箋を詳細に書き記した手紙も一緒に、しっかりと括りつける。
しかしそれだけではなかった。
ルルはよいしょと、一度沸騰させた井戸水を入れた水筒を籠に入れ肩にかけると、さらの両手に水の入った重い桶を持ち上げた。
「大丈夫よ……。先に、薬を届けてから、誰か呼んできてくれれば良いからね。せめて、森の入口にまで運ぶだけだから、無茶はしない。約束するから、ね!」
少女を心配するヴィリーにそういうと、ためらいながらも先行して出発した。
ルルもヨロヨロとしながらも、後を追う。
王都から支援を受けられるようになったとは言え、まだ充分ではない水。溜め置きでは、ろ過にも時間が掛かるだろうし、不安であった。
その点、森の井戸水は問題なく使えるくらい綺麗で、薬を煎じる分の水は念のために沸かして、体を綺麗にする水は時間がないので、そのまま桶に入れて運ぶことにしたのだ。
せめて、森の入口に運んでおけばそれだけ時間がかせげる。大丈夫、幸い自分の身体はまだ動けていたので、そう判断したルルだった。
肩で息をしながらルルは何とか森の入口まで辿り着く。
ヴィリーが誰か呼んできてくれて、その人がくるまでまだまだ時間はかかるだろう。
それなら、もう少し、ほんの少しだけなら、まだ大丈夫なはずだ……。
いけないと分かっていても、ルルは逸る気持ちを持て余して、ふとそんな考えがよぎってしまった。
と、そんな時だった……。
「ルルー!」
「アラン様!? どうして……ヴィリーが村に辿り着くにはまだ早い、もしかして、ルーカス様に何か……!?」
「だめだ、ルル!」
予想より早い人の訪れに、ルルの自制はすっかり消し飛んでしまった。ルルはもしやルーカスの身になにかあったのかと思い、アランの制止も聞かずに、咄嗟に森の外へ飛び出してしまった。
「ルーカス様に、何かあったんですか? 症状が悪化したんですか? 高熱以外に何か……。私、私やっぱり……」
駆け寄りながら思わず取り乱してしまったルルを、アランが抱き止める。
「大丈夫だ。ルーカスに何かあったわけじゃない。大丈夫だから……落ち着いて」
アランにあやすように抱きとめられ、そう言われたルル。その言葉はほんの少し安堵をもたらしてくれたが、逆にそのぬくもりがルルの想いを溢れさせた。
「……たぃ……。あぃ……た……い。ルーカス様に、会いたい……。いますぐ、会いたい。会いたいの……」
会えなくても同じ空の下、生きていてくれさえいれば……そう思おうとした。
今の自分では無理な事は分かっていたから、けれどこのまま、ルーカスがいなくなったらと思うと……。やっぱり辛い時、苦しい時、大変な時は、自分が側にいてあげたいと思った。
自分のこの気持ちが間違っていても、もう良いとさえ思った。
好きな人に、会いたい。ただ、それだけのことなのに……。
ルルは声を上げて泣いた。
そんなルルをアランは黙って抱き上げると、森の入口まで運び、落ち着くまで何度も声を掛けてやった。
「大丈夫だ。途中でヴィリーに会って、手紙を読んでここに来た。ヴィリーはそのままライアンのところに行ってもらった。それから、ルーカスのことを頼める人に、いま任せてある。大丈夫だから……」
「ルーカス様……。ルーカス、さま……」
泣きじゃくるルルに、アランは根気よく言い聞かせる。
ルルとて、いまこうして泣いいてしまったことで、アランを拘束している時間さえもったいないと分かっている。
けれど、アランの姿をみて張り詰めていた気持ちが、思わず緩んでしまったのだった。
「重かったのに、よくここまで水を運んで来たな。偉かったぞ。あとは村まで俺が運んでやるから。大丈夫だ、ルル。アイツが元気になったら、必ずルルのもとへ連れて来るから……約束だ」
そんなアランの言葉に、ルルはハッとすると瞳がさらに熱くなった。
このまま、何も考えずわがままに頷いてしまいたかった。けれど、アランの胸の中でそんな返事など出来るはずがなかった。
自分の胸の中で、他の人の名前を呼んでいるのに……。
胸が張り裂けそうなほど痛いはずなのに、どうしてそこまで優しくしてくれるのか……。
――ごめんなさい……。
そう言おうとしたが、先にアランがそれを止めた。
「いいんだ。前にも言ったろ? ルルが他の誰を好きでも、俺がルルを愛していることに変わりないんだ。君を愛している。だから、ルルが幸せになることを心から祈っている」
いつかの告白と同じ言葉を口にしたアランに、ルルはあの時以上に心が震えるのを感じた。
「アラン様……」
やっと、ルーカス以外の名前がルルの口からこぼれたのを確認すると、アランはそっと身体を離して、気づかれないように小さく息を吐いた。
「ルーカスのことは任せろ。大丈夫だからな。心配するな、またヴィリーに様子を報告させるから、とりあえず今は一人で無事に家に帰って、休むことだ。そうしてくれたら、俺も安心して事に当たれるからな」
「……はい。あの、ア……」
アランの言葉を染み込ませるように、数回深呼吸をして少し胸を落ち着かせ返事をしたルルだったが、たまらずアランの名を呼ぼうとするも、その前にアランの人差し指がルルの唇を塞いだ。
「もしまた必要があれば、ルルの力を借りたい。その時のためにも、今は何も気にせずに休むんだ」
アランの安心させるようなその微笑みに、ルルも素直に頷いたのだった。
「はい。ちゃんと、家に帰って休んでいます。何か処方で分からないことがあったら、すぐに聞いてください。アラン様、あとをよろしくお願いします」
「ああ。任された」
力強くそうこたえてくれたアランに、ルルもやっと涙を拭ってほんの少し笑みを作ってこたえたのだった。




