選ばれた少女 2
その夜、店の扉を叩く音がした。
店はとっくに閉めていたが、ルルは誰か具合が悪くなって薬を買いに来たのかもしれないと思い、急いで開けに行った。
すると、村の長と数人の大人達がルルの家の前に来ていた。
皆が揃って訪ねてきた事を不思議に思いつつも、深刻そうなその表情にルルはとりあえず家の中に招き入れたのだった。
「どうしたの? おじいちゃん?」
居間に皆を案内し、とりあえずいつも通りの感じで、ルルは村の長に事情を聞いてみた。
村の長は、子どもたちにも優しく、時には一緒になって遊んでくれることもあり、ルルも小さい頃から可愛がってもらっていた。
そして、村の長の方も、4年前に両親を亡くし、親戚のいないルルを特に心配して、引き取ってくれようとまで考えてくれたのである。
あの時はそんなことを考える余裕はなかったけれど、血は繋がっていなくても「おじいちゃん」と呼ぶほどに、ルルは村の長の事を慕っていたのだ。
「実はな……ルルも知ってのとおり、このルグミール村は水不足で危機的状況じゃ。作物は枯れ、井戸の水すらいつまで保つか……」
「うん……」
しばらくの沈黙の後、重い口をやっと開いた村の長の話に、ルルはそのまま静かに話の続きを聞いていた。
「それでな……、皆で話し合い今夜、雨乞いの儀式を執り行うことに決定したのじゃ」
「雨乞い?」
「うむ。このルグミール村に古くから伝わる儀式で、儂も行うのは……はじめてなんじゃが……」
村の長はそこまで言うと、また口を閉ざしてしまった。
ルルや村の子どもたちは、大人達から昔話やたくさんの言い伝えなど聞いて育ってきたので、村の雨乞いの儀式の話は何となく知ってはいた。
しかし、それを何故こんな時間に自分の家まで来て、話はじめたのかという事と未だに結びつかなかった。
「えっと……お茶でも淹れようか? 水は貴重だけどせっかく来てくれたし、皆ちょっと疲れているみたいだから、その儀式が始まる前に、ゆったりとした気分になれるハーブティーにしようかな。ちょっと待ってて……」
一様に口を閉ざす皆を前にして、困惑のルルだったがこの場の空気を少しでも軽くしようと、そう言うと立ち上がりキッチンへ向かおうとした。
すると、それまでずっと黙りこくっていた大人の一人が、突然ルルの目の前で床に手をついた。
「うちの子は……俺達夫婦に、やっと、やっと出来た子なんだ。もう、次の子どもを望める歳じゃない。あの子しか……うちにはあの子しか跡継ぎがいないんだ!」
「え、ど、どうしたの……?」
いつも力仕事なんかを手伝ってくれる、隣のおじさんがそう言って頭を床に擦り付けんばかりにルルに頭を下げた。
突然の出来事に、慌てて駆け寄りおじさんの体を起こそうとしたが、頑なに顔を上げることなく、すまんと何度も謝るばかりだった。
すると、村の長が再び絞り出すような声で口を開いた。
「すまんのう……ルル! すまん!」
「おじいちゃんまで、何? 何なの、これ……」
「ルル。さっき言った雨乞いの儀式には、供物が必要なのじゃ……」
「供物?」
「……っ、生け贄のことじゃ」
やっとの思いでそう言うと、村の長もその場に崩れ落ちるようにして頭を下げると、それを機に残りの大人達も、次々にその場にひれ伏すようにして、ルルに謝りはじめた。
「ごめんなさい。ルル……。うちのロッティは……、ロッティは、やっと結婚が決まったばかりなの……だから、……あぁぁぁぁっ! ごめん、ごめんなさい。リリィ……」
ルルの友達であるロッティの母親が、娘の結婚の事を訴えかけると、最後はルルの母の名前を呼びながら謝ると泣き崩れた。
その肩を抱きながらロッティの父親もやはり涙を流しながら、母親と同様に繰り返し謝ってきた。
いつも、ルルの薬を王都に売りに行ってくれる業者のおじさんも……。
「ルル、すまない! お前の両親は命を懸けてまで、4年前の病の時この村を助けてくれた。そんな恩人の娘に……どんなに、酷い事を言っているのは、充分分かっている。しかし、このままでは村が……村が、すまない、すまないルル」
他にも小さい頃から皆ルルを可愛がってくれて、ひとりぼっちになってからもルルを何かと助けてくれた村の大人達が、涙ながらに謝罪と懇願を繰り返す様子に、ルルはガンッと頭を殴られたような衝撃とともに事情を悟った。
要は、天涯孤独のルルに「生け贄」になって欲しいという事だ。
まさかと思った。
何かの悪い冗談か何かで、そうでなければこれは夢だ。
だって、昨日まで一緒にこの村で暮らしていたのに……。
(いつも皆は、私に優しくしてくれて、優しく……? もしかして、こんな時の為にそうしていたのかな。ううん、違う……。そんな事あるはずない。だって、おじいちゃんも隣のおじさんも、ロッティの両親も、昨日までは本当に……昨日までは)
言われた事が信じられなくて、混乱するルルの心は気を抜けば一瞬にして、真暗闇に塗りつぶされそうになっていた。
けれど、今目の前の光景は現実の事だった。
泣きながらルルに請う大人達の姿に、皆、我が子が大事なんだという事はルルにも痛いほど伝わっていた。亡くなった両親にとっての自分もそうだったはずだから……。
認めたくないといくら心の中で思っても、どこかですでに理解しはじめていたのだろう。昨日まで優しく接してくれた皆から死ねと言われているのと同じ状況に、激しいショックと、とてつもなく深い悲しみが、少女の胸に押し寄せていた。
ルルとて村の危機的状況は身に沁みている。しかし、それに頷く事なんて出来るはずがなかった。
生け贄とは文字通り「死」を意味するのだ。
「代われるものなら、すぐにでも代わってやりたい。じゃが、老いぼれの儂では……。恨んでよい。憎んでよい。地獄に落ちる覚悟も出来ておる。すまない、ルル。この村を……! ……おぉぉぉ、本当に、すまんのうロイ、リリィ、儂は……、儂はルルを守ってやれなんだ……」
村の長とて、病から救ってくれた恩人の娘に対して、自分がどれだけ酷い言葉をぶつけているか自覚していた。
天涯孤独になってもひたむきに生きる少女を、本当の孫のように可愛がってきたはずなのに、どうしてこんなことに……。
4年前の流行り病に、近年続く雨の減少、そして今年の干ばつ……村は疲弊しきっていた。
村をなんとか救いたいという気持ちと、この追い詰められた状況に、どこか熱に浮かされているような感じがして、冷静な判断などすでに下せる状態ではなかったのかもしれない。
涙を流し何度もルルに詫びながらも、縋るように懇願する大人達を、ルルはショックで呆然としながら眺めているだけだった。
結局、最後まで頷く事は出来なかったが、嫌だと泣き叫ぶ気力もすでに失われていた。
しかし、たとえルルが実際にそうしたところで、すでに儀式の段取りは出来上がっていた。
もう、彼等に引き返すという選択肢はなかった。
そうして、どのくらい時間が経ったのだろうか、まだロッティの母親のすすり泣きが続いているのをぼんやりと聞きならが、ルルが黙りこくったまま座り込んでいると、男性達が静かに立ち上り、ルルを縄で縛ると布を被せそのまま担ぎあげた。
しかし、それに対して、ルルは大した抵抗もしなかった……いや出来なかったのかもしれない。
そして、夜の闇に紛れ、大人達は贄の少女を祭壇へと運んで行ったのだった……。




