忍び寄る危機 2
ざわり、と森が騒いだ。
――何っ……!?
ルルは弾かれたように、森の樹々を見上げた。
さざめく風が何かを知らせるかのように、ルルの髪の毛を揺らした……ような気がした。
ふと、少し前を歩くヴィリーを見やったが、特に何かを気にした素振りはなかった。ヴィリーすら感じとれないないほどの森のざわめき……。
けれど、ルルはそれにただの気のせいだと、やり過ごすことが出来ないほどの胸騒ぎを覚えた。
――何だろう……この嫌な焦燥感。
ルルの足は自然に止まっており、その場で今度はあらためて森に耳を澄ませてみた。
何かが聞こえてくる訳ではない……。けれどよく分からないけれど頭の中に、今すぐ行かなければいけない、そんな思いが湧き上がってくるのだ。
ルルは無性にそんな気がしてならなかった。
何かとても嫌なことが起こるような予感めいたものが、脳裏に流れ込んでくる。
そんな様子のおかしいルルに、ヴィリーは気が付くとすぐさま擦り寄る。
その瞬間、ざわめきもぷつりと途切れた。
しかし、ルルは受け取った嫌な予感を必死に辿り続け、やがて……。
「ルーカス、さま……?」
ぽつりとそう零すと、無意識に体が動いていた。
しかし、おもむろに駆け出そうとした少女の服を、ヴィリーが咥えて制止する。
「あ……」
――そうだった。私は、もう森から……。
自分の体の異変を思い出し、ルルは我に返った。
正直、森のなかでは何の影響もなく過ごせてはいるが、森から離れるだけで以前より体の不調を訴える感覚も短くなっていたのだ。
けれど……。
――ルーカス様!
その人の名前を、ルルは心の中で叫んだ。
何か分からないけれど、ルルの胸騒ぎは確信に変わっていた。
誰かが、教えてくれている……自分の大切な人の危機を。
確か、ルーカスは水脈の掘削に従事していると言っていた。
一旦、ルグミール村にいるアランとライアンに知らせに向かうより、この森をルルが突っ切れば、いち早くその場所にたどり着けるはずだ。
今、嫌な予感を察知して、咄嗟に行動できるのはルルしかいなかった。
今すぐに駆け出したい。
でも……!
以前のままのルルだったら、自身の体を顧みず、すぐさま森を駆け抜けたのかもしれない。
けれど、ルーカスの手紙に書かれた想いと、ライアンとサマンサ、そしてアランと過ごした日々が、ルルの焦る心を引き止めてくれていた。
自分が行ったとして、ルーカスのところに辿り着けるまで体調が保つかどうかは、賭けのようなものだ。
危険を知らせる前に倒れては、元も子もない。
それは、ルグミール村に自分が行くことにも同じことが言えた。
今度こそ同じことを繰り返さないために、考えなければ……いま打てる一番の最善の手を。
ルルは、家に戻り用紙に事情を書きなぐると、傍らにいたヴィリーの首に括りつけた。
「ヴィリー……」
ヴィリーはルルがこれから言おうとしていることを、察しているのだろう。
無駄な抵抗だとわかっていながらも、首を嫌、嫌と振る。
「お願い、ヴィリー! これを、ルグミール村のアラン様のところに届けて。そして、ルーカス様のところに限りなく最短で行けるように、ヴィリーが案内してあげて」
森の生活を始めてからヴィリーは、ひとり森に残ったことはあっても、ルルを森にひとり残したことはなかった。
今、誰ひとりルルのそばにいない状態になることに、ヴィリーは躊躇った様子を見せた。
「大丈夫よ、ヴィリー。森の中だったら、私はひとりでも普通に過ごせるから。だから、私のかわりに行って欲しいの、お願い。一刻も無駄にしたくないのよ」
そうだ。森を出なければルルは一応普通に過ごせるのだ。
許されるのなら、自分が真っ先にかの人の元へ駆けつけたてあげたい。それが出来ないのが、どうしようもなく悲しい。
けれど、体調を崩して足手まといになるくらいなら、せめて、自由に動けるここで自分の為すべきことをしたい。
それが、今のルルが考えて導き出した答だった。
ルルにそう懇願されると、断れるはずもないヴィリー。
決心したように立ち上がると、ルルの意志を汲んで颯爽と駆け出して行ったのだった。
そしてその姿を、ルルは祈るようにして見送った。
どうか、アランとライアンがルルの手紙を信じて、ルーカスのもとにいち早く駆けつけてくれるようにと。
ところが、ヴィリーを見送って少し経った頃……。
どうしたことか、ルルは森の中だというのに急に胸の痛みに襲われ、思わずその場に膝をついてしまったのだった。
しかし、今ここで自分が倒れるわけにはいかないのだ。
何のためにヴィリーを行かせたのか……。自分にはまだ準備しておかないといけないことが残っている。
危険が未然に防がれたのなら、それでいい。
けれどもしも何らかの被害を受けてしまったら?
ルルは、痛みをこらえよろよろと立ち上がると、薬の調合に取り掛かった。




