もうひとつの愛と遠まわりの愛 1
王都で意識を失ったルルを、アランは森へと連れ帰った。
森の入口で待っていたヴィリーが、主のぐったりした姿を見てしょんぼりした様子で目を伏せた。だが、アランに促されるとすぐさま森の家へと案内する。
ベッドに寝かせると、しばらくしてやはりルルが目を覚ました。王都から連れ帰る間は、ほぼ昏睡状態で目を覚ます気配もなかったのにだ……。
ただ、ふと以前より目覚めるのに、ほんの少し時間がかかったようにアランは感じた。
◇◆◇
ルルは目を覚ますと、無意識にその人の姿を探してしまった。
ここがどこなのか、自分が倒れたあとどうなったのか、そういうことを考える前に、真っ先にそうしたのだった。
けれど、さまよわせた視線の先にいたのは、アランの姿だった。
途端に、瞳の奥が熱くなった。
――いない……。ルーカス様は、いないんだ……。
ルルはアランがここにいることで、ルーカスがいないことを瞬時に悟ってしまった。
アランには、一言も相談せずに黙って森を抜け出して、きっとすごく心配も迷惑もかけてしまった。
それなのに、今こうやって自分のそばにいてくれているという事は、あの書き置きを見て、それでも駆け付けて助けてくれたということなのだろう。
いっぱい謝らなければいけない。お礼も何度言っても足りないくらいだ。
それでも、今のルルはルーカスがいない寂しさの方が、強くなってしまっていた。
謝罪や感謝の言葉を置き去りにして、好きな人がそばにいない寂しさに、喉の奥からこみ上げてくるものを感じた。
なんとか嗚咽だけは堪えることはできたが、涙がこぼれるのは止められなかった。
生暖かい感触が、次々に顔を伝っていく。
意識を失う前に見た光景が、ルルの脳裏に焼き付いている。
ルーカスが泣いていた理由を知りたいという気持ちは、もちろんあった。
けれど、知ったところでどうなるというのだろう……。
今ルーカスがそばにいないことが、彼の答えなのかもしれないのだ。
そう思うと、ルルは胸が張り裂けそうだった。
だからルルは泣くこと以外に、もうどうすることも出来なかったのだ。
ただ、泣きじゃくりながらも心の片隅で、せめてあの夜のひと時、自分だけが少しでもルーカスの心を癒すことができたのであればと良いなと、思った。
そうであって欲しいと、願わずにはいられなかった。
アランはルルが泣き止むのを、大人しく待った。
かけてやりたい言葉も自分の想いも、今はそれらを全て押し込めて、ただルーカスを想ってひたすら泣く彼女を、静かに見守っていた。
そして、涙を啜る音が小さくなったところで、ルルが倒れてからの経緯を簡単に教えた。運良くライアンがルルを見つけてくれ、介抱してくれていたこと、その報せを王都に駆けつけた自分が受け取ったことを伝えた。
ルーカスとのことは、さすがに今は伏せておいた。
それから、アランはルルの身体を心配して、今回のような事を繰り返さないためにも、「まだ確証はないが……」と前置きをしてから、ついにルルの体調不良を起こす因果について、ひとつの推測を聞かせたのだった。
最初はルルも、にわかには信じられなかった。
けれど、以前から確かに森の外では、不調を感じやすくなっていることに気がついていた。それなのに、ひとたび森の中へ入ると、それまでの体調の悪さがウソみたいに消えているのだ。
偶然にしては、あまりにも不自然だった。
胸に残る焼印に、どこまでも囚われているのかもしれないと思うと、ルルの心に大きな影を落とした。
「私は、もう……森からは、出られないのですね……」
ルルは震える声で、どこか自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
でも、隣を歩きたいと思った人は、もうルルのそばにはいないのだから。出る必要もないのではないだろうか。ふと、そんなふうにも考えてしまった。
確かに、ルーカス達に出会う前のルルは、このまま森でヴィリーとふたりっきり静かに暮らしていきたいと思っていたのだから。
だから、森から出られないからといって生活が変わることもないし、困ることもないのかもしれない……。
けれど……!
そう思うことで自分の気持ちを慰めようとしたけれど、無理だった。
もうこの体では、もしこの先ルーカスにまた何かあった時、自分が何もしてあげられないことを突き付けられたような感じがして、ルルの胸は押し潰されそうだった。
ルーカスがもうルルを望んでいないとしても、ルルはそれでもルーカスがまた苦しんでいたり、辛い時があれば何度でも駆けつけたかった。必要ないと言われても、寄り添ってあげたいと思った。
でも、それがもうルルには出来ないのだ。
「私、もう……ルーカス様にしてあげられること、何もなくなった……」
そうやって、肩を震わせる少女をアランはたまらず引き寄せると、そのままルルの体を掻き抱いた。
包み込まれるようなそのぬくもりに、ルルは咄嗟に身を捩ってしまった。
今、アランにこんなことをされたら、さすがのルルもすがってしまいそうになる。
けれどそれは、きっと……とてもアランを傷つけることになるのかもしれないと、本能が告げていた。
「アラン様、だめ……。こんなの、だめ。だめ……です」
ルルの言葉に、それでもアランは抱き締める力を強くした。
腕の中にあるぬくもりを、確かめるように。
そうしながら、アランはルーカスに対して自身が放った言葉を思い返していた。
自分とて、セレナと向き合うと告げたルーカスへ「親友の代わりになるつもりか」と投げつけた。
それなのに、今の自分もルーカスと似たようなことをしようとしているのだろうか……。
滑稽だ。
人はすがれば弱くなる。ルーカスはそう言った。
アランも、彼の言いたかったことは理解できている。それも正しいことのひとつだということも、心のどこかでは思っていた。
けれど、それでも誰かを想う心とはままならないものだと、思い知らされていた。
「ルル。俺は君が好きだ」
「っ!」
アランの告白に、ルルは声を失った。
「もう、こんな無茶をして欲しくない。だから、俺をあいつの代わりにしてくれないか。森から出られなくても、ひとりぼっちにしたりしない。ずっと俺が君のそばにいる。アイツをすぐに……忘れる必要はない」
「寂しい時、辛い時は、目を瞑っていていい……。ルルが誰を思っていてもいいんだ。ただ、アイツの代わりに、こうやって君を支えさせて欲しい。俺がルルを愛する事に変りないのだから……」
アランが、自分の心の中にルーカスがいることを知ってもなおそう告げてくれたことに、ルルは胸をしめつけられた。
「そんな……こと」
同じようにいっぱい優しくしてくれた。
たくさん助けてもらった。
それでも、楽しい時、嬉しい時、辛い時、寂しい時、いつも真っ先に心の中に浮かぶのはルーカスだった。
それなのに、それでも良いとまで言ってくれたアランの深い想いに、止めどなく涙が溢れていた。
「どんな形だっていいんだ。それくらい君が好きだ。誰よりも愛している」
黙ったまま涙をながすルルに、優しく囁きながらそっと涙を拭う。
ルルの肩にアランの手が置かれ、もう一方の手は涙に濡れた頬を撫でた。
懇願するような眼差しに、ルルはだめだと思いながらも心が揺れてしまった。
そして、ゆっくりと近づいてくるアランに、ルルは目を閉じかけそうになった。
けれど……。ルルの唇にアランの吐息がかかった、その瞬間……。
「……ご、めん……なさい」
振り絞るような声で、ルルが謝った。
「どうして、謝るの?」
「アラン様は……、アラン様です」
「うん。だけど今はアイツ……」
優しい声音で、いいんだよと諭すようにそういったアランだったが、ルルは涙でぼやけるのにもかまわずに、真っ直ぐにアランを見つめて、声を振り絞った。
「ば、薔薇の花束をくれて! ヴィリーと遊んでくれて! 手紙も、いっぱい、いっぱい書いてくれて、王都で本や服をプレゼントしてくれて……。水脈を探す時に怪我をした私をおぶってくれて、それからずっと、そばにいてくれたのは……アラン様なんです」
「ルル……」
「優しくて、どこまでも優しくて……。そんなアラン様に悲しい事を言わせてしまいました……ごめん、なさい。他の誰かなんかじゃないです……。アラン様は、アラン様なんです」
アランのことは意味が違えど、ルルも好きだと思っている。
だからこそ誰かの代わりになど思えないのだ……。
本当に、だからこそ……。
「ルーカス様は、ルーカス様なんです……」
その人が自分にとって唯一の人なのだと、今のルルがそう思えるのは、ルーカスただ一人だけなのだ。
そんなルルの言葉に、アランは一瞬顔を歪めたが……。
「ああ、もう! 悔しいな。可愛すぎて、もっと好きになった」
すぐにそう言うと、またぎゅっとルルを抱き締めた。
けれど、アランのその声はさっきまでのどこか張り詰めたような空気は帯びておらず、自分を抱き締めるその手も、どこかあやすようにぽんぽんと背中をたたいてくれていたのだった。
ルルはアランを傷つけてしまっているのかもしれないと思ったが、それでも自分を気遣ってそんなふうに振る舞ってくれていることに、申し訳なさとその優しさに胸がいっぱいになった。
けれど、そんな時だった。
「ストップ! アラン、今日の所はそこまでよ!」
突然ルルの寝室の扉が、大きな音を立てて勢い良く開いて、現れたその人物の姿にルルは飛び上がるほどびっくりした。
「ラ……ライアン様!?」




