水脈を求めて 13
ヴィリーは今夜訪れる予定をしていた候補地に着くと、足を止め数秒佇んでいたものの、やがて顔を上げるとそのまま別の方向へ走り出してしまった。
そして、とある場所に着くと、しばらく辺りを探るようにうろついていたが、しばらくしてとある地点に立ち止まると遠吠えをした。
「はぁ、はぁ……。ここは?」
「ここも、いずれ訪れようと予定していた候補地の一つです」
ルルを背負ったまま走ってきたので、少し息を弾ませながらのアランの問いかけに、ジョージがそう答えると、アランはヴィリーに声を掛けた。
「ヴィリー、ここか? ここに水脈の可能性があるかもしれないのか?」
すると、ヴィリーは返事のかわりにもう一度遠吠えをしたのだった。
「ヴィリー、ごめんね……。怖い思いをさせて、心配もかけて本当にごめん。それなのに……ありがとう。ヴィリー好きよ、大好きよ! ありがとう」
アランの背から降ろしてもらうと、ルルは涙ぐみながらヴィリーを抱きしめて、心からの謝罪とお礼を繰り返した。
自分が頼み事をしてしまったばかりに、ヴィリーに嫌な思いをさせてしまった。
人間にとってオオカミは脅威なのは仕方ないのかもしれない。けれど、それでも森で出会ってから、いつも側にいてくれたかけがえのないヴィリーは、決して忌み嫌われるような存在ではない。
けれど自分の判断で、ヴィリーを危険に晒してしまったことが申し訳なくて、何より悲しかった。
しかし、火傷を負ったルルはもう限界に近かった。
ヴィリーをぎゅーっと抱きしめていたが、やがて意識が朦朧としてきたのか、息苦しそうにしていると、アランが慌ててまたルルをおぶった。
ジョージがその場所に、ひとまず簡易な目印を立てた。
水脈の件に関しては、翌日さっそく検討に入り判断を下すことにした。
そうと決まれば、一刻も早くルルの手当を優先にすることになった。
ここからでは、森の家には遠く、とりあえずルグミール村の村の長の家を借りる事にした。
あの後どう話し合ったのかまだ聞いていないが、ルルをおぶってルグミール村に帰った時には、村の長は自宅に戻っており、村の中も騒ぎを起こしている様子もなく少し安心した。
村の長は、アラン達はもちろん一緒に連れてきたヴィリーさえも、家の中に快く迎え入れたのだった。
ベッドには、ルーカスが運んで行った。
最初は躊躇っていたが、アランはヴィリーの相手をするからと強引にルルを託したのだった。ジョージや村の長も気を利かせて、ルーカスに後の事を頼み居間で控えることにしたのだった。
背におぶっていたルルを静かにベッドに降ろすと、怪我をした方の肩を庇うように、少しうつ伏せ気味に寝かすと、清潔なタオルを水に濡らし、患部に当てた。
蝋燭の灯りのもと、もっとよく傷の具合を見なければいけないはずなのだが、今の彼はとても直視出来るような精神状態ではなかった。
「ルーカスさま……?」
「ルルちゃん……」
「えへへ……、ごめんなさい」
ぐったりしていたはずのルルだったが、ふいに目を開けてルーカスの姿を確認すると、ルルはどこか些細なイタズラがばれて怒られかのような感じで、ちょっぴりはにかんだ様子で謝ったのだった。
それは、ルーカスが気に病まないように気遣って、わざとそんなふうに装っているのかと思うと、ルーカスは胸が押し潰されそうだった。
「こんなっ……、また火傷だなんて……。ごめん、ごめんね! 君を、守れなくて。俺は……」
ルーカスは胸の痛みと共に、込み上げてくるどうしようもない感情を、上手く抑えることが出来なかった。
「ルーカスさまの、せいじゃない、です……」
「こんな……、まさかこんな事にまでなるとは……。俺が、こんな事を言い出したから……」
「ちが、う。約束、守れなかった私が……」
悲壮な顔をして言い募るルーカスの姿に、ルルはこの時あらためて自分が無茶をした事を深く、深く後悔していた。
ルルは、辛い経験をしてしまったからなのか、いつの間にかどこか自分を軽く思っていたのかもしれない。
もしも、あの時ルーカスに助けて貰えなかったら、儀式によって死んでいたはずだったのだ。それも、信頼していた人達にそうなる事を望まれて……。
自分を最後まで心配してくれた父と母はもうこの世にはいない。だから、この時までルルは忘れていたのだ。自分が怪我をする事で、傷つく存在がいてくれた事を。
だから、ルーカスとの約束を破るつもりはなかったが、危険を顧みず咄嗟にあの行動に出てしまったのかもしれない。
けれど、自分を心の底から心配してくれる人が、いつの間にかまた出来ていたのだった。それを今のルーカスを見て、思い知らされた。
ルルは込み上げてくる申し訳ない気持ちのなかに、それでも喜びの感情が混じってしまっていた。
だから、ルルは思わずこんな事を口にしたのかもしれない。
「ル、ルーカスさまっ! こ、今度は、何の……花に見えますか?」
「え?」
「前に火傷痕を、ルーカスさまは、薔薇だって言ってくれました……」
「ルルちゃ……」
「今度は何の花かなって……。ルーカス様が、花に例えてくれたら、私……。そしたら、いつかきっと自分もそう思える日が、来ると信じてます……」
なんとかルーカスの心配と罪悪感を軽くしたくて、ルルはそんな事を口にしたけれど、それは決してでまかせなどではなかった。
今すぐには無理かもしれないけれど、ルーカスが花に例えてくれたら、きっとそんなふうに受け入れられる日が本当に来ると信じる事が出来た。
「ルルちゃん、君は、どこまで……」
——優しいんだろう。
ルルの気遣いと、またこんな目に遭ってしまったにも関わらず、以前自分の腕の中で泣きじゃくっていた頃とは違う前向きなその姿に、ルーカスは心の奥底を揺さぶられたような思いだった。
しかし、それと同時に支えてあげたいと思っていた少女が、自分が思っているよりも遥かに強く、あまりの真っ直ぐさに、思わず今の自分と比べると、まぶし過ぎて目が眩んでしまうほどに感じてしまった。
ルーカスは声が震えそうになるのを何とか堪えて、ルルに声を掛けた。
「でも、今夜はまだ患部を冷やしてないといけないから……」
「じゃあ……また、またルーカス様に、く、薬を塗ってもらうのを、お願いしてもいいですか……?」
「っ……」
ルーカスはルルからのその言葉をずっと待っていたのだ。
それは、ルルがまた一歩前に踏み出したという事だから。
本当なら何よりも嬉しいはずなのに、それなのに……。
「その時に、何の花に見えるか、教えてください……」
「……」
勇気を出してそう言ってみたが、ルーカスからの返事がない事にルルは、約束を破ってこんなに心配を掛けてしまったから、怒っているのではないか……と、急に不安になってしまった。
「だ、だめ、ですか?」
「……ううん。今度、教えて、あげるからね。さあ、傷にさわるといけないから、今日はもう休むんだよ」
「あの、や、やく……」
ルーカスの言葉にルルは更にそう口にしそうになったけれど、今回自分が約束を守れなかった事に、それを言葉にする勇気が足りなかった。
けれど、ルーカスは優しい声音で言ってくれたのだった。
「……うん、約束だ」
「ゆびきり……」
ルルがそう言うので、ルーカスはルルの細い指に自分の小指をそっと絡ませた。
けれど、ふいに彼の瞳の奥が熱くなった。
ルーカスは、分かっていたのだ。
自分は、この約束を叶えてあげる事ができないと……。
小指と自分の声が震えていないか心配でたまらなかった。
けれど、今だけはルルに気付かれないようにと、優しく微笑みながら語りかけるように努めた。
「ヴィリーが見つけてくれた場所に、水脈があるといいな……」
「きっと、見つかるよ。あとは俺たちに任せて大丈夫だから、安心して眠って」
「はい……。おやすみなさい、ルーカスさま」
「おやすみ、ルルちゃん」
まどろみのなかルルがそうポツリと呟くと、ルーカスは安心させるようにそう言うと、ルルの頭を撫でた。その心地の良い柔らかな感触に、ルルはそのまま静かに眠りに落ちた。
そんなルルの寝顔を、ルーカスは心に刻みつけるように、ひたすら見つめていたのだった。




