十七話・家計
「まさか、異世界まで来て接客業に従事することになるとはな……」
宿屋からの帰り道、定職にありつけて喜ばしいはずの状況においてなお、俺の心境は複雑だった。
「まあまあ、そう落ち込まないでください。働いてみたら結構楽しいと思いますよ? オーナーも面白い人ですし」
ため息を吐く俺の頭上からリヘナがご満悦の様子で慰めてくる。声音が弾んでいるのも気のせいではないだろう。
宿を出てすぐ三人娘が何やらジャンケンを始めたかと思うと、真剣一発勝負で見事勝利をもぎ取ったリヘナが俺に肩車を要求してきたのだった。
そして敗者二人は仏頂面で俺に手を引かれ両隣を歩いている。初日にこいつらと会ったときの構図とほぼ同じだ。肩に乗っているのがクルシュかリヘナかの違いだけ。
よくよく思えば、俺はこいつらと出会ってまだ二日しか経ってないんだよな。
なんかもう一日が激動過ぎて、数年来の付き合いってくらい馴染み深さを感じる。
俺は順繰りにガキどもを見てから、町の景色を眺めた。夕暮れ時の目抜き通り。幅の広い石畳の両脇には店舗が並び、買い物をする主婦やら酒屋で酒を飲むおっさんたちが賑わいを見せている。
こうして人心地ついて見渡すと存外この田舎の町も悪くはない。下手に大都市で右も左も分からぬまま慌ただしく生きるよりは気が楽だ。ここでスローライフを送るのもいいかもしれない。さらに欲を言うなら、大富豪になって残りの人生遊んで暮らしたい。
しかしそれを叶えるには、俺の所持金はあまりにも心許ない。
本日冒険者ギルドに会員登録したことで財産が銀貨二十八枚となってしまいました。こんなことなら冒険者なんて目指すんじゃなかったと後悔する一方、冒険者になったことでエクレアに出会えたという感動もまたある。天秤にかけると僅差で後者に軍配が上がる。
なので今は冒険者体験の参加料金と割り切ることにした。
後悔しているくらいなら、残り銀貨二十八枚でどう家計をやりくりするか考えた方がよっぽど有意義だろ。
幸い俺は一人暮らしの経験がある。ある程度の節約術は会得しているつもりだ。
俺はちらりと野菜を売っている露店を見つけて耳をそばだてた。
「奥さん、今日はジャガイモが四つで銅貨三枚でお得だよ!」
「ん~、そうねぇ」
店主と女性との話を盗み聞きして食品の物価を調べる。アイシャさんによれば銅貨十枚で銀貨一枚分に相当するらしい。そしてまだ見ぬ金貨は、一枚で銀貨百枚分の価値があるとのこと。
金貨は滅多に市民に流通しないらしいからこの際放っておこう。
それで、さっきのジャガイモで換算すると……一人一食ジャガイモ一個で、朝昼夜の三食と考えれば、四人で一食銅貨三枚。一日で銅貨九枚。
銅貨九枚(一日の食事代)×一か月(三十日分)=銀貨二十七枚。
……あれれ、一食ジャガイモ一個でシミュレートしたのに結構逼迫してるぞ!?
というかここにさらに雑貨やら家の修繕費やらを追加しようとしたのに、ゆとりがまるでない。あとエクレアのエサ代どこいった?
顔から変な汗が出てきて思わず立ち止まってしまう。
これはもしかすると、非常にやばいんじゃないのか? イヌなんて飼ってる余裕ないんじゃないのか……?
どうしよう。え、これ……どうしよう。
一人暮らしのノウハウがあるとかさっきほざいてましたけど、よく考えたら三人子連れで一人暮らしの実績なんて活きるわけないじゃん。育ち盛りの大食いモンスター三匹分ハンディキャップ背負ってる時点で火の車だよ。
冗談としか思えない危機に笑おうとして顔の筋肉が痙攣する。
もはやどうしていいのか分からず現実逃避してクルシュたちを見下ろすと、なぜか全員じっと同じ方向を見つめて黙り込んでいた。
「どうしたんだ、お前ら……」
覇気のないかすれ声を出して俺もやおら目線を移す。
どうやらクルシュたちが見ていたのは、町を駆けまわって遊ぶ同年代の子供たちだったようだ。元気に笑って走り去って行く子供たちの背中をボーッと見送ると、不意にクルシュが口を開いた。
「あの子たちの服、可愛いなぁと思って」
「……服か」
クルシュの呟きを聞いて俺は改めてこいつらの服装に目を向けた。昨日の大掃除もあって白のワンピースはところどころ汚れている。これ一着しかないせいで洗うこともできていないのだ。
子供と言えど、ドラゴンと言えど女の子はオシャレしたいものなのだろう。
そう思うとこいつらが少し可哀そうに思えてくる。
……別に意識したわけではなく、何の気なしに周囲を見渡すと都合よく仕立て屋を発見してしまった。
気づいたら俺は口を滑らせていた。
「そう言えば昨日の掃除のご褒美がまだだったな」
俺の発言に三人の視線が集まる。
「服でも買うか?」
「え!? いいの?」
クルシュたちが目を丸くして驚くので、俺はポンと両脇の二人の頭を撫でてこう言ってやった。
「別にお前らが服以外のものがいいって言うならそれでもいいけどよ。きっとこのチャンスを逃すと当分服は買ってもらえないだろうなぁ。さて、ご褒美は何がいいのか、俺の気が変わらないうちにとっとと決めてくれ」
俺が最後まで言い切る前に、クルシュもヴィムも肩車していたリヘナも一目散に仕立て屋へとダッシュする。
あいつらに遠慮なんて気配り十年早いからな。服を買わせるにはこれくらい強引な物言いがちょうどいいだろ。
我先にと競走する三人の背中を見守りながら、俺は知らず口元に笑みを含んで腰に片手を当てる。
「……」
まだ腰に手を当てて微笑む。
「……」
そしてとうとうやせ我慢するのも限界がきて顔から血の気が引いた。
「俺……なんであんなこと言ったんだろ……」
家計が困窮していると思っていた矢先に自分から破産へとダイブするこの愚行。我ながらアホなんじゃないかと思う。服なんて購入する余裕一切ないのに、情に訴えかけられて無謀にも三人分の衣服を買うことになってしまった……。
時すでに遅し。今さら『やっぱり生活費が厳しいので服は買えません』なんて言えるほど俺は鬼にはなれない。あんな満面に嬉しそうな顔されたらもうノーなんて言えない。
頭を抱えて呻いていると通行人が変な人を見る目で避けて行く。
「……こうなったら、せめて安い服を選ばせよう」
服の種類に制限をかけるのは心苦しいが甘いことばかり言っていられない。
あいつらが服を選び終わる前にこっちで安物に誘導せねば……!
そうと決まると俺は本日二度目の全力疾走で仕立て屋に飛び込んだ。