十六話・オーナー!?
店内は外観から想定した通りこじんまりとした内装だった。出入り口付近に受付があり、少し進むとテーブルとカウンターが並ぶ食堂。その奥には二階に続く階段が設けられている。お世辞にも広いとは言えないが清潔で落ち着いた雰囲気は悪くない。
場末の安い食事処ならもっと酒臭く小汚い印象があるが、ここはむさいオッサンもおらず店内では数人の女性客が静かに食事を楽しんでいる。それこそ知る人ぞ知るオシャレな喫茶店ぐらいの和やかな空間だ。
俺は店内をきょろきょろと見回してから、後ろにくっついてくるクルシュたちを振り返った。
「いいか、これ以上余計なこと言うなよ」
「大丈夫大丈夫、あたしたちを信用してよ」
「信用できないから言ってんだよ」
念のため釘を刺そうとしたのだが、返ってきたのは一切反省の色がない満面の笑み。絶対にこいつら懲りてないだろ。
背中にダイナマイト三つ引き連れている感覚に、俺は先が思いやられて軽くめまいがした。
「オーナー、見た目は迫力ありますけどとっても優しくて面白い人なので安心してください」
俺の憂い顔を別の意味で受け取ったアイシャさんが、この宿屋のオーナーについて言及してくれた。そうだ、後ろのちびっ子どもを危惧している場合じゃない。今は俺が定職に就けるかどうかの瀬戸際なのだから、これから会うであろう雇用主に気を配らねばならない。
「オーナーって男性なんですか?」
俺が性別を訊くとアイシャさんはなぜか困った顔をした。割とすぐ答えられるような質問だと思っていただけにこの反応は意外だ。
「そうですね……どう言えばいいんでしょう。本人は女と主張しているんですが……」
要領を得ない返答に俺が首をひねって辛抱強く続きを待っていると、その答えは突然目の前に現れた。
「いらっしゃいませ~って、あら? アイシャちゃんじゃない? どうしたの、今日はお休みだったでしょ?」
「あ、オーナー!」
食堂の方から顔を出した人物を見てアイシャさんが声を弾ませるので、俺もつられて視線を向け……言葉を失くした。
身長一九〇センチは優にあるだろうか。派手なピンクのシャツの上からでも分かる筋骨流とした逆三角形の体型がその人物の存在感を否応なしに高めている。袖をまくった丸太のような腕にはいくつもの古傷が刻まれ、歴戦の戦士さながらの迫力を醸し出す。
だが、猛々しい益荒男と呼べる肉体をしていながら、同時にその人物の印象はひどく女性じみていた。
骨格に似合わない内股歩き。爽やかな香水のかおり。極めつけは剃髪の顔に不釣り合いなほど整えられた化粧。
男性でありながら女性らしさを兼ね備えたオーナーの容姿を一言で表すなら、そう――その方はオネェであった。
アイシャさんが性別を問われて答えに迷ったのも頷けるとしみじみ感じつつ、俺は目の前に迫ったインパクト抜群のオーナーに向き直る。
「実は紹介したい人がいるんです」
「ど、どうも、倉坂時雨と言います」
アイシャさんがにこやかに笑って仲介し、続けて俺も頭を下げる。迫力があり過ぎて多少緊張してしまったものの、オーナーの人相自体は優し気で雰囲気も親しみやすい。
さて、こんな軟弱な男を見てオーナーがどういう評価を下すのか。固唾を飲んでコメントを待つ中、返ってきたのは予想すらしない一言だった。
「なに? あなたたち、もしかして結婚するの!?」
「「はっ!?」」
口元に手を当てて驚愕するオーナーの反応に俺とアイシャさんは素っ頓狂な声を上げてしまった。何をどう聞いたらそんな解釈ができるんだ。
「ヤダもう、アイシャちゃんったら、こんな素敵な彼氏がいるならすぐに紹介してよぉ。それで挙式はいつなの? 仲人なら任せて! あたし愛を語ることに関しちゃ人後に落ちないから!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいオーナー!」
アクセル全開で誤解を急加速させるオーナーを、赤面したアイシャさんが慌てて呼び止める。
「違いますから! 私とシグレさんはそういう関係じゃありません! 家が隣同士で今日はこの店で雇ってもらえないか訊きにきたんです!」
「あら、そうなの?」
彼女がいつになく早口で説明を加えると、オーナーは残念そうにしながらもどうにか納得してくれた。
「オーナー前に言ってたじゃないですか。男手が欲しいって」
「そうなのよぉ。さすがアイシャちゃん覚えててくれたのねぇ~」
胸の前で両手を合わせ喜びを表現するオーナーの仕草はまさに乙女そのものであった。ただ失礼ながらどうしても可愛いとは思えない。
そんなことを考えていた矢先にオーナーが俺の方を見て、不覚にも肩をびくりと跳ねさせる。
「うん、いいじゃない! 顔も悪くないわ。アイシャちゃんの彼氏じゃなかったらあたしがアタックしてたかも」
「だから彼氏じゃありません!」
再び燃料を投下されて頭から蒸気を噴き上げ抗議するアイシャさん。
オーナーに気にいられて良かったような悪かったような……オーナーが俺をアイシャさんの彼氏と勘違いしてなかったら、今頃俺は身の危険にさらされていたのかもしれないと思うと背筋が凍る。
まずまずの好印象と自身の命拾いに二重の意味で安堵する中、すっかり存在を忘れかけていた三つのダイナマイトが不意に爆発を起こした。
「シグレはあたしたちの彼氏だよ!」
唐突な主張に全員が視線を下に向ければ、そこには胸を張る三人の幼女が並んでいた。
「げっ、お前ら」
「さっきから黙って聞いてれば、結婚だの彼氏だの勝手なことばっかり言って」
「にぃにの本妻はヴィムたちだよ」
「私たちは寝食を共にするくらい深い仲なんです! アイシャさんには渡しません!」
俺が存在に気づいて制止しようとする頃には、すでに三人は特大の連鎖爆発を巻き起こしていた。
やっぱりこいつら信用するんじゃなかった!
どうやって誤魔化すべきか迷っているうちに、目を丸くして驚いていたオーナーがまたしても誤解という名の燃料をぶちまける。
「なになに、この可愛い天使ちゃんたち!? シグレちゃんったら見かけによらずプレイボーイなのねぇ、こんな小さい女の子たちを一挙に侍らせてるだなんて!」
「いやオーナーこれは違うんです!」
「みなまで言わないで、分かってるわ。愛の形は人それぞれだもの。幼く可憐な少女たちに恋心を抱くのもまた運命。誰憚ることなく自分の愛を信じて突き抜けるその姿勢、素敵よシグレちゃん! あたし応援してるから!」
「だから違います! 突き抜けてるのはあなたの誤解です!」
爆発物と可燃物の相乗効果で、誤解が消火不可能なまでに燃焼範囲を広げている。
「彼氏……本妻……寝食を共に……カッコ嫁……」
アイシャさんが虚ろな目をして何やら呟き始めているが、生憎と彼女まで手が回らない。
それより一刻も早くこのカオスな状況を打開しなければ、いよいよ収拾がつかなくなる。
「それよりオーナー! 結局俺……僕は雇ってもらえるんでしょうか!?」
「あらいけない。あたしとしたことが興奮して本題を忘れてたわ」
俺は滅多に使わない頭をフル回転させて話題の軌道を逸らすことに成功する。
「ええ、もちろん大歓迎よ。あたし昔は冒険者をやれるほど腕っぷしが強かったのだけど、年を取ったせいか最近はめっきり力が出なくなっちゃって……時間の流れって無常よね。昔は酒樽積んだ荷馬車なんて片手で引けたのに、今じゃ両手使わないと引けないの。お肌もツヤがなくなってきたし」
それは衰えたと言うのか? ゴリラが人間に進化したの間違いじゃないのか?
絶対無理だよ。この人の労働力分の仕事なんてカバーできるわけないよ。両手でも荷馬車なんて人力で引けねぇよ。
ていうかこの人どれくらい強いんだ?
俺はふと気になり、オーナーのステータスを確認してみることにした。
◆ゼレフ(??歳)レベル:75
・種族:人間
・状態:健常
・身長:いくつに見える?、体重:りんご三年分
・Bひみつ、Wひみつ、Hひみつ
《攻撃:2200》《防御:1300》
《体力:2000》《魔力:1500》
《筋力:2300》《敏捷:1200》
《精神:2000》《知力:210》
基本スキル:《筋力強化(B+)》《攻撃強化(B-)》《火属性耐性(C+)》《素性隠蔽(C-)》
固有スキル:《なし》
あ、べらぼうに強いわこの人。クルシュたちと比較すると見劣りするが、あいつらが規格外なだけで世間一般から見れば十分実力者だろう。これだけのステータスがあるなら片手で荷馬車を引けるのも頷ける。
あとかなりどうでもいいけど、身体面の表示がふざけてるのは《素性隠蔽》スキルの効果か?
だとしたらもっと他に隠すとこあるだろ。能力値よりスリーサイズの方が重要なの!?
首を傾げて唖然とする俺の表情など気にした様子もなくオーナーが話を続ける。
「そういえばあたしの方は自己紹介がまだだったわね。あたしの名前はゼレフ、この店のオーナーよ。正直この名前あんまり可愛くないから好きじゃないの。呼ぶときはオーナーか気軽にゼッちゃんって呼んでちょうだい。できれば後者が嬉しいけれど」
「分かりましたオーナー」
「いやん、つれないわね。でもそんなドライなところも素敵よ」
どうしよう後者を呼びたくなくて素っ気なく返したのに、どっちに転んでも好感度が上がってしまう。上司に好かれるのは喜ばしいことなんだけどさ、ギャルゲならこのままパラメーターが振り切れてバッドエンドに直行するパターンだよなぁ。
「ここは見ての通り宿屋よ。町に来た冒険者や旅人たちに休息と安らぎを与える憩いの場……と言ってもほとんどお客来ないんだけどね。しかも来たとしても女性客ばかりで男が来ないの。女性専用ってわけでもないのに」
「え、そうなんですか?」
あまりにも女性客しかいないので、てっきり女性向けの宿を売りにしているのだと思ったのだが違うらしい。
「できればあたしは男性に来てほしいの。時にお風呂で逞しい偉丈夫の背中を流し、時に寝付けない美男子に添い寝して子守唄を歌う――ああ、これぞあたしの夢見た接客方法! ……なのに、男性客が全然来ないの! どういうこと!? どうして女性オンリー!? 女はこれっぽっちも興味ないのに!!」
「あぁ……」
口を衝いて出たオーナーのとめどない不満を聞いて俺はすべてを悟った。どう考えてもこの宿屋に男性客が来ないのは立地条件の悪さでもサービスの質でもなく、オーナーそのものに問題がある。
そりゃ寝込み襲われそうな宿屋に好き好んで泊まる男なんていねぇよ。美女ならむしろ歓迎するけどさ、夜中にこんな大男が枕元に忍び込んで来てみろ、俺なら泡吹いて気絶した挙句失禁する自信がある。
血涙を流して悔しがるオーナーにしかし一男性である俺は同情することができず、どう返すべきか呆れて困り果てる。
ところが俺がコメントするよりも先に、意外にもオーナーは自力で気を取り直し深く息を吐いた。てっきりこの激情家のことだからしばらくは暴走して止まらないと危惧していたのだが、杞憂に終わったか?
「ちょっと取り乱しちゃったわね。でももう大丈夫よ、今のあたしにはシグレちゃんがいてくれるから、男性客が来なくたってへっちゃら。これからよろしくね!」
何も大丈夫じゃない。面接の段階からすでにセクハラの危険にさらされてるじゃん俺。すっげぇこの店で仕事したくねぇ……。
げんなりと顔を青くする俺の様子に気づきもせず、オーナーは胸焼けするほど高濃度のウィンクをぶつけてくる。
「そうそうあとうちで働いてる従業員はあたしを除くと二人。一人は今買い出しに出かけてていないから今度紹介するわね。そして、もう一人があなたもすでに知ってるとおりうちの可愛い看板娘こと、アイシャちゃんよ――って、あらどうしたのアイシャちゃん!? 顔色悪いみたいだけど!?」
振り返ってアイシャさんを紹介しようとしたところでオーナーが愕然と声を上ずらせた。何かと思い俺も視線を移すと、少し見ない間にアイシャさんが顔を土気色にして硬直していたのだ。
「アイシャさん、気分でも悪いんですか?」
俺も心配になって声をかけると彼女はびくりと肩を跳ねさせた。
「へ、平気です。そうですよね、愛は人それぞれですもんね。誰にも他人の愛を否定することなんてできませんよね。私は全然気にしてませんから」
「あの、いったい何の話ですか?」
「こちらの話です。では、すみませんが私は急用を思い出したので一足先に帰らせていただきます」
「あっはい」
ひどく事務的な口調で頭を下げるアイシャさんに俺は頷くことしかできなかった。
そしてオーナーにも手短に挨拶を済まして彼女がもう一度俺の方に顔を向けたかと思えば、「うぅっ」と大きな瞳を潤ませて逃げるように店から出て行ってしまった。
本当にどうしたんだアイシャさん。
「失恋した乙女みたいな顔してたわね」
オーナーが頬に手を添えて主観的な感想を述べる。
失恋はないにしても何か彼女にとってショックな出来事が起きたのは間違いない。もしかすると俺が気づかないだけで、アイシャさんに失礼なことをしてしまった可能性もある。明日落ち着いた頃にわけを聞いて非があれば謝ろう。
「アイシャちゃんも出て行っちゃったし、今日はシグレちゃんも帰っていいわよ。仕事は明日からってことで、頼んだわね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
オーナーに肩を叩かれ、俺は深々と頭を下げる。
異世界生活二日目にして、俺はどうにか就職先を見つけることができたのだった。
仕事が繁忙期の為更新ペースが遅くなると思います。
すみません。