加速せよ 原宿支部
「・・・か、勝ったの?」
「ええ。もう大丈夫よ。」
雨音は理沙に言われた通り、彼女のそばから離れなかった。
いや、離れられなかった。
実際のところは異形の獣、アニマと呼ばれるものを目の当たりにした恐怖で腰を抜かしていたのだ。
内心、情けないことこの上ないというのが半分。
もう半分は理沙の、彼女の戦闘力の高さに驚嘆していた。
「・・・こいつらは、何なの。こんなの、生き物図鑑にも載ってない。」
雨音の足元に転がる血を流す肉塊、アニマの残骸。
死んでいると分かっていても、恐怖に体がすくむ。
「そう言えば、説明してなかったわね。まあ、こいつらについても原宿支部でゆっくり話すわ。」
「ま、また遭遇したらどうするの?」
「その時はまた私が助けるけど、その心配は必要ないみたいね。」
彼女は窓の外を指差した。
外を見ると何かがこちらに向かってきている。
と、同時に聞き覚えのあるような音も耳に入ってきた。
「これは・・・エンジン音?」
「良かったわね、これで原宿支部まで一瞬よ。」
どうやら理沙の仲間が車に乗って駆けつけてくれたらしい。
二人は車に乗るために建物の階段を下り、外に出ると、寂れた町に不釣り合いな程に目立つ真っ赤なオープンカーが停められていた。
「よっす理沙ちー。援軍に来たぜ。」
軽薄な声色で車から降りてきた女性は腕をブンブンと振り回して周囲を見渡していた。
「およ?どこにも見当たらねえけど。」
「もう全部私が倒したわ。一足遅かったわね、みかりん。」
「なんだよー、これでもわりと飛ばして来たんだ・・・って理沙ちー、誰だこの子?」
みかりんと呼ばれた女性が雨音の顔を興味深そうに覗き込む。
よく見ると彼女もとても美人だ。美人だが、理沙とはタイプが違う。
活発そうで服装も動きやすいパーカーにショートパンツ、明るい茶髪のポニーテールと、見ただけでわかるほどアウトドアな女性なんだろう。
しかし、
あまりにじろじろと見られるので雨音は軽く後退りしてしまった。
「あんまりいじめないで、新人よ。これから原宿支部に行くところ。」
「なんだー、そう言うことなら早く言えよなー!」
「あ、あの、あなたは・・・」
「おー、自己紹介がまだだったな!」
彼女は手を差し出すとニコッと笑った。
「倉井ミカ、21歳華の独り身、気軽にみかりんって呼んでくれっ!」
「あ、えと、水鳥雨音です。」
「雨音か・・・じゃあ『あまねん』だなっ!よろしくあまねん!」
「え、ええ?」
「彼女のネーミングセンスは少し変わっているの。あまり気にしない方がいいわ。」
突飛なあだ名を付けられて多少混乱してしまった雨音だが、そんなことはお構いなしにミカは一人楽しそうだった。
「んじゃ、早速だけど原宿支部に行こうか。理沙ちーの戦闘報告もしないとねー。」
「それじゃ、支部まで運転よろしく。」
理沙は赤い車の後部座席に乗り込み、シートベルトを閉める。
ミカも運転席に座りエンジンをかける。と、低い音が町中に響き渡った。
「なにしてんのあまねん、置いてっちゃうよー?」
「あ、はい!」
雨音は慌てて後部座席の理沙のとなりに座った。
「雨音、シートベルトをした方がいいわよ。」
「え、やっぱり取り締まりとかあるの?」
「いいえ、とにかくシートベルトを閉めて。」
言われるがままにシートベルトを閉める。
それと同時にミカがハンドルを握った。
「よーし、原宿までノンストップでぶっとばすよ!」
彼女がアクセルを踏むと車は停止状態から一気に加速する。
慣性が働き、雨音は座席に頭を打ち付けてしまった。
「うわああああ!?と、飛ばしすぎじゃないですか!?」
大通りから路地へ、路地から再び大通りへ。
右へ左へ動く間も、車は常にトップスピードだった。
超高速でハンドルを切り、ギアも状況に応じて的確に変え、彼女の運転テクニックはかなりのものだ。
「みかりんは、技術はあるけど運転が荒いのっ!おまけにオープンカーだからベルトをしてないと外に放り出されるわッ!」
「あっはははっ!これくらいスピード出さないと気持ちも上がんないでしょー?」
車にしがみつく後部座席の二人と笑顔でハンドルを回す運転席の一人。
彼女たちが発する悲鳴時々歓喜の声は、超高速で町のなかを走り抜けていった。
━━━━━━━━━━━━━━━━
「よっし到着、原宿支部だよー!」
速度とコーナリングの世界から解放され、安堵の息と共に車から降りる。
しっかりと踏みしめた地面は、数分ぶりなのに雨音にはひどく懐かしく感じられた。
「もう・・・酔いを通り越して目眩だよ。目の前が見えない・・・」
「あっははは!軟弱だなー。これでもあまねんが乗ってるからいつもより遅いんだよ?」
「いつもはこれより速いんですか・・・」
「うん、ざっと三倍くらい。」
「・・・」
これ以上速度が上がったらさすがに生きていられる気がしなかった。
雨音は疲労でその場に膝をついてしまう。
上を見上げるとそこには他より大きい高層ビルが鎮座していた。
「ここが、原宿支部・・・」
ただの支部でこの規模だ。
きっと本部はさらに大きいのだろう。
「雨音、休んでいる暇はないわ。早いとこ、支部長に会いに行きましょう。」
「・・・分かった。」
重たいからだを持ち上げ立ち上がる。
いよいよここからが任務の本番だ。
「・・・それじゃ私はここらで失礼しようかな。」
「あれ、みかさ・・・みかりんは一緒に来ないんですか?」
「私は自分の任務があるからねー。これでも私、12班の班長なんだよ?」
「じゅうにはん?」
「あらら、理沙ちーから何も聞いてなかったの?」
雨音はここまで、理沙から重要なことは何一つとして聞かされていなかった。
それは彼女がまだ警戒していると言うことだろうか、
いずれにしてもこのままじゃ自らの存在がバレてしまう。
どうすれば。
「別に深い意味はないわ。ただ説明が長くなりそうで面倒だっただけ。」
「・・・!?」
予想外の理沙の言葉に声がでなかった。
同時にほっとした。
どうやら警戒されているわけではないようだった。
「あはは!そっかそっか。理沙ちー意外とめんどくさがりだもんね。」
「・・・送ってくれてありがとう。もう任務に戻っていいわよ。」
「はいよ。またね、理沙ちー。」
理沙は微笑み軽く手を振ると支部の方へと歩いていった。
雨音もあとをついて歩き出したそのとき、ミカに手を引き止められた。
「あまねん。あの子のこと、あんまり悪く思わないでね。あの子口下手だからさ、ホントはアニマの闊歩する危険地帯に長いことあまねんをいさせたくなかったんだよ、きっと。」
内緒だよ、とだけ雨音に言い残して再び車に乗り、超速度で去っていった。
「・・・嵐みたいな人だな、みかりんって。」
少し笑ってから、雨音は原宿支部へと入っていった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
中に入ると、そこには近代的な空間が広がっていた。
入ってすぐの広間には様々な人たちが思い思いの事をしていた。
絵を描くもの、歌を歌うもの、何かの電子機器を持ち画面に釘付けになるもの。
これがオタクというものなのか。
雨音には初めての光景だった。
見ているだけでも飽きないような空間だ。
「いくわよ雨音。ぼさっとしてないでついてきて。」
「え?う、うん・・・」
雨音は理沙の行動に少し違和感を覚えた。
まるでこの広間を避けているような、そんな感じだ。
私はともかく、理沙はこの地で育ったはず、今さらオタク達を避ける必要があるのだろうか。
広間から出て通路に差し掛かると、彼女はため息をついた。
「ふぅ・・・ごめんなさい、人の多いところって苦手なの。」
理沙は雨音に顔を向けると苦笑した。
本当に、苦手なものを避けた子供のように。
「そう、だったんだ。まあ、苦手の一つくらいあるよね。」
「ええ、どうもね。昔は平気だったんだけど。」
美人で冷静、スタイルもよくて言葉も穏やか、完璧とも言える彼女にも苦手なモノがあり雨音は少し親近感を得たような気がした。
「時間とっちゃったわね。行きましょう、支部長室はこの先よ。」
二人はエレベーターに乗ると、最上階まで上がる。
雨音の額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「緊張してるの?」
「そ、そりゃもちろんしてるよ。すごく怖い人だったらどうしようって・・・」
エレベーターのドアが開くと、目の前には黒い扉だけがあった。
支部長室の扉だ。横にそう書いてある。
「大丈夫よ、温厚な人だから行きなり危害を加えるなんて事はないわ。」
「そ、そっかあ。ならよかった・・・」
安堵した雨音の目の前で、突然扉が弾けとんだ。
内側からの強烈な衝撃が加えられたような、そんな弾け方だった。
「りりり、理沙!?温厚な人なんじゃないの!?」
「ええ、温厚な人よ。」
「中からスッゴい怒号が聞こえるんですけど!?」
雨音のいる位置から室内はよく見えない。
見えないが、粉々になったドアが雨音に告げていた。
ここは危険だ、安全ではない。
「大丈夫よ。何かあったら私が守るわ。」
「何か起きるかもしれないの!?」
「・・・無いとも言い切れないわね。」
「言葉の撤回が早すぎない!?」
さあ行くわよ、と手を引かれ半ば無理やり支部長室に入室する。
思えばオタク領に来てからろくなことがない。
いい加減落ち着かせてほしかった。
雨音の苦難は、まだ序章に過ぎない。