謳歌せよ 日常
トーストの匂いと窓から射し込む夏の朝日。
昨日まで降り続いていた雨は上がり、蒸すような夏の暑さが再臨していた。
額の汗を少しぬぐい、皿に盛られたトーストにバターをつけ一口かじる。
片手間に掴んだリモコンを操作し、テレビをつける。
画面の向こうで女性が今日の天気を予報していた。
いつもと変わらない朝のひとこま。
大体この後には、学校へ行かなくてはならないという、学生が避けることはできない試練を前に少し憂鬱になってしまう。
これもいつもと変わらない。
『━━━続いては戦場速報です。』
天気の予報を終えたアナウンサーに変わって画面に写し出されたのは、
殺伐とした背景に大きく中央に位置する、東京都周辺の形を型どったもの。
その大半は、赤く染まり画面の下部には数字が表示されていた。
『今回計画され実行へと移された第318回掃討部隊派兵による犠牲者は、全体の約86%に及ぶとされ、これは掃討作戦開始以降最大となる数値に━━━』
この速報が流れるということは、そろそろ通学の時間だ。
毎日ほぼ決まった時間にながれる「それ」は、子供の時から馴染みのあるものだ。
戦場速報。
それは3世紀もの間、途絶えることなく放送されている。
平たくいうなら、300年前の2025年、日本は戦場となったのだ。
幸いにも最前線は東京都とその周辺。
ここからは遠く離れている。
影響が一切無いわけではないが、少なくとも命を落とす危険はない。
それ故に、今日もこうして水鳥雨音は高校2年生の夏という平穏無事な日常を過ごしていたのだ。
「いってきます。」
返答はない。
家には雨音1人で暮らしているので当然と言えば当然なのだが、
それでも無音の家屋は少し寂しさを感じる。
「・・・ま、今さら、か。」
オートロックの鉄製の扉を開け外の空気を胸いっぱいに吸う。
「ぐはっ、あっついな・・・」
蒸し風呂の空気を吸っているかのような感覚に思わずむせ返るが、
庭の草木が雨水で光輝き何とも言えない美しさだ。
「・・・快晴、日常、今日も平和そのものだね。」
雨音は軽い足取りで、しめった道を学校へ向けて歩いて行く。
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「なぁ雨音、見た?今日のニュース。」
午前中の授業が終わった昼休み。
雨音はパンを頬張りながら前の席に座る少女、花村の話を聞いていた。
「犠牲者80%越えだよ?日に日に強くなってるよね、あいつら。」
「へー。」
「これじゃあ近いうちに関東は全滅しちまうかもねー。」
「そだねー。」
花村は雨音の事などお構いなしに話を続ける。
雨音は雨音で、スマホのゲームに忙しそうだ。
「・・・なあ雨音さんよ。少しは日本の事情に興味を持ったらどうなんだい?」
「そだねー。」
「そだねーって、あんた・・・」
あまりの無関心さに花村の口から思わずため息が漏れだした。
「今日本で起きてること知ってる?戦争だよ戦争。しかも内乱、国民同士の争いなんだよ?」
「うん、知ってる知ってる。」
「それがかれこれ3世紀も続いてさ、もうおかしいでしょ?軍資金とか兵器とかどっからわいてくるの?」
「今から日本史でしょ。今日の範囲その辺だから詳しくやるんじゃない?」
「そういう問題じゃなくて・・・」
目当てのクエストを無事クリアした雨音はスマホを置き、パックのイチゴオレを一気に飲み干す。
甘ったるい味が口を満たして喉を通りすぎていく。
「・・・花村、私たちは何者?」
「何者って、そりゃ確かに田舎の高校生だけどさ。」
「そう、高校生。華のJKだよ?JKはJKらしく、学校帰りにプリクラ撮ったり、カラオケ行ったりしてればいいの。」
紙パックを潰して教室の前にあるゴミ箱に放り投げる。
壁に当たったパックはまっすぐと重力にしたがって落下し、ゴミ箱へ落ちた。
教室の中から軽い歓声が聞こえた気がした。
「・・・雨音ってホント世間に無関心だよね、社会人やっていけるの?」
「まだ先の話だし、私は女だから最悪金持ちと結婚するわ。」
「・・・はぁ。まあ、その人生をなめ腐った感じが雨音らしいんだけど。っと、先生来ちゃった、また後でね。せめて授業くらいは真面目に受けなよ?」
バタバタと教室のモードが切り替わっていく。
これももう見慣れた光景だ。
「わかってるよ、そんな不良行為はしない。単位がもったいないから。」
教員が号令を促し、一礼して着席する。
そのまま何事もなく前回の単元から授業が始まる。
今日の範囲は、3世紀ほど前の状勢だ。
教師の説明を流しながら教科書を斜め読みする。
小学校から、幾度となくやって来た範囲、
今の教育は特にこの単位に重点をおいている。
[3世紀前、この国は戦場と化した。
世界対戦以降、長く保たれてきた平和の均衡を乱したのは、
『内乱』つまり国民同士の争いだ。
過去に、戦国武将が名を馳せた時代があったが、
その時は国のほぼ全土で領地の奪い合いが起こった。
しかし、2025年の政府による法令は領域や土地とは全く無関係なものだ。
内容としては、ある一定の人種の迫害及び発生の防止。
それらの人種は数十年で大きく広がりを見せた人種であり、
また同時に、国にとって脅威となりうる団結を持っていた。
『オタク』と呼ばれたその人種は、民衆を脅威に陥れ、その結果として公布されたのが『オタク禁止法』だ。]
オタク。
雨音はその存在がどのようなものなのかは詳しくは知らない。
そもそも、一般人である彼女に国のトップシークレットの情報が事細かに伝わるはずもない。
オタクとは何なのか、
今まで何度も考えてきたことだ。
どの様な見た目なのか、身体的特徴は、言語は、戦争を起こした動機は、
考え出せばキリがないが、それらを大人に聞いてもはぐらかされるだけ。
それならまだしも、今となってはオタクが街中を歩いていた時代を見た人間がいない。
つまり、オタクについて深い知識を得られるのは国の上層か軍人、果てにはオタク達本人くらいなのだ。
花村はそんな得体の知れないものに興味をもてというが、
それはそこらの雑草の名前をいちいち本で調べて探すより手間がかかる上に、
雨音の人生にはほとんどと言っていいほど関わりがないことなのだ。
「(こんなのに興味持てるわけないじゃん)」
別に軍人になりたいわけでもないし、負けたら負けたで、きっと少し不便になるだけなんだろう。
どちらにしても自分の人生にはさほど関係はない。
そう思っていながらも、ノートはとらないと成績に響くわけで、
「この次は体育だし、もう少し気合いをいれよう。」
小さく呟いて教師が消す直前の板書を高速で書き写す。
それにしても、
と雨音は思った。
先程から視界には入っていたものの特に気にも留めなかったが、
今日はやたらと廊下を人が通る。
学校の関係者ではない。
来客用のネームプレートを下げているし、雰囲気もなんだか厳つい。
不審者ではないかと内心疑いだしたところだ。
「よし、じゃあ今日の授業はここまで。」
雨音は驚いた。
いや、いつの間にか黒板の文字が消されていたことにではない。
それは後から花村のノートを写せばいいのだが、それよりも。
授業終了が早すぎるのだ。
まだ始まって十数分もたっていないのに、
教師が授業を終了させたのだ。
これにはクラス中からどよめきが聞こえた。
「先生、こんなに早く終わらせたのってなんでですかー?」
生徒の1人が問いかけると、
周りの生徒も便乗するように投げ掛けた。
「昼休みに緊急で決まったことなんだ。これより全校生徒で体育の測定を行う。」
どう考えても普通じゃないその決定に、
生徒達も混乱を隠せないでいた。
もちろん、雨音も例外ではない。
「とにかく、各自体操服へ着替えグラウンドへ集合すること。15分以内に集まらない人は指導室行きだからなー。」
響き渡るブーイングの中、教師は教室を後にした。
その直後、いつの間に済ませていたのだろう、既に体操服へと着替えた花村が雨音に駆け寄った。
「雨音ー、体操服ちゃんと持ってるー?」
「そりゃあ、この後は元々体育だから持ってるのは持ってるけど・・・」
普通に今日は跳び箱のはずだった、
こんなことになるなんて誰が想像しただろうか。
「それにさ・・・花村、気づいてる?」
「外にいたこわそーな人たち?そーいやいなくなったね。」
「そうじゃない。いや、そうなんだけどさ。」
雨音は連中の正体など知らない。
ただ分かったのは行き先だけ。
「あいつら、グラウンドに行った。」
「へえ、そうなんだ・・・って、グラウンド・・・!?」
「そうだよ、今から私たちも行く場所。」
この緊急の測定にやつらが関係しているのか、
していたとしたらその理由は、
考えていても謎が深まるばかりだ。
「とにかく今は、グラウンドに行こう。何にしても、成績を下げられるのはごめんだし。」
雨音は連中に対する疑問を残したまま、思い足を動かしてグラウンドへ向かった。