志願せよ 覚悟の宵(よい)
「ぐふ・・・っ!!」
全身に感じる強い衝撃。
肺の中の空気を全て吐き出したかのような苦しさで、深淵にあった私の意識は一気に現実へ引き戻された。
どうやらコンテナに体を打ち付けた衝撃で目を覚ましたようだ。
気を失っていたことは自覚している。
どれ程気絶していた?
「ぐっ・・・まだ、終わってない・・・!」
数十メートル先で3班がアニマとの戦闘を続けている。
押しているようにも見えるが楽勝という訳では無さそうだ。
『雨音っ!返事をして、雨音!』
インカムから理沙の声が聞こえる。
「大丈夫・・・なんとか生きてるよ。」
『・・・!よかった。待ってて、すぐ終わらせるわ!』
「私も・・・ッ!?」
私は自らの状況が比較的すぐに理解できた。
骨や内蔵に異常はないだろう。出血もしていないということはすぐに死ぬ、という訳でもないはずだ。
痛み。
私の全身を走る『それ』が、私の肉体を制御不能まで追い込んでいた。
「どう、して・・・!?」
腕に力が入らず剣を握るのもやっとだ。
しかも、その剣で倒れそうになる体を支えていては戦うことは不可能。
それにさっきの事もある。
「・・・なんで、切れなかったの?」
必ずいけると思った。
あの時みたいに一人じゃなかった、恐怖で体がすくんでいたわけでもない。
なのに何故?
確信をもって振るった剣は対象を引き裂かずに、反撃の機会を与えてしまった。
「あれ・・・分かんない。・・・私、あの時どうやって切ってたっけ・・・?」
考えがまとまらない、思考が晴れない。
考えようとしても雲がかかったようにすぐに見えなくなる。
ぐるぐると迷走するばかりで先に進まない。
そして、
「・・・はは。なんで・・・何でこんなこと思い出しちゃうの。」
脳裏にちらつくのは、
過去の記憶。
平凡な朝、平凡な校舎の学校、平凡な友達、
当たり障りのない、二度と戻らない日常。
それはさながら、人が死の間際に見る走馬灯のようだった。
「・・・ふざ、けるなよッ・・・!」
そして、遅れて込み上げる怒り。
「捨てたんだろ・・・!忘れたんだろ・・・!!もう一生、戻れないんだよッ!!!」
武器を握り、目的を睨み付ける。
ふざけるな。
こんなとこで、
死んでたまるか!
動けよ、私の腕。
動けよ腕、動けよ体。
動け、動け、動け!
「動けえええええッ!!!」
自らを鼓舞するように、過去を絶ちきるように、
私は叫んだ。
震える腕で剣を握り、ほぼ感覚の残らない足を奮起させ、重く垂れ下がろうとする頭を無理矢理引き起こした。
『・・・!?雨音、もう終わる。下がれ!』
『大丈夫だよぉ。私たちに任せなってぇ。』
「嫌だッ!!!」
インカムを通さずとも聞こえたであろう私の叫び、
アニマでさえ一瞬気を取られたように思えた。
「私は・・・まだ戦えるッ!まだ生きてるッ!!」
『聞き分けのない新入りだな、下がれ!邪魔だッ!!』
『大きな声出すとアニマに気づかれちゃうよぉ?』
「うるさいッ!こんなタコ、私が━━━━━━」
そのとき、
私の視界に一瞬写ったのは一筋の閃光。
それは真っ直ぐ、高速で、
私の脚を貫いた。
「え・・・?」
辛うじて立っていた足から完全に力が抜け落ち、私は膝から崩れ落ちた。
そのとき私は、朦朧とする意識をフル稼働させ状況を把握しようと必死だった。
そして目に見えたのは、
私に銃口を向けた、理沙の姿だった。
『・・・いい加減にしなさい、雨音。いつまで自分の実力を過信しているの?もう素人の出る幕はないわ。そこで大人しく見ていなさい。』
体の芯から凍りつかせるような冷たい声が微細なノイズと溶け合い耳から脳に流れていく。
初めて聞く理沙の声だった。
『理沙ぁ!?射っちゃったのぉ!?』
『簡易麻酔銃よ。脚に射ったから数分は立てない。今の間に決めるわよ。』
『ふん、流石化け物。非情で冷徹だな。』
『・・・後でどうとでも言えばいいわ。今は目の前のアニマに集中。』
『了解だ、班長どの。』
「り・・・さ・・・?」
分からなかった。
麻酔銃、と言うことは殺傷能力は無いと見ていい。
現に私の脚からは注射をされた後のような軽い出血はしているが、痛みは全くなかった。
ただ脚が動かせない、
私にとってそこが最も重要だった。
なぜ理沙はここまでして私を引き留めた?
確かに新人が入れば少なからず足手まといにはなる。
ならばいっそ、
アニマによる事故のせいにして再起不能にさせれば良かったのではないか。
麻酔ではその戦闘には参加できないが、次からの戦闘では普通に動けてしまうだろう。
私はそこが分からなかった。
『・・・ないから。』
「え・・・?」
聞こえた。
インカムでも聞き取れないほどの小さな呟き。
でもそれは確かに彼女の声だった。
「まっ、て・・・今・・・り、さ・・・」
麻酔が全身に周りだし声にならない声が出る。
考えも徐々に失われていく。
戦力にもなれない、彼女が何を言ったのかもわからない、
そんな私が、
とにかく歯痒くて仕方がなかった。
「ふぃ~、終わったねぇ。」
数分も経たないうちに戦闘は終わった。
見渡す限りに見えるのは、タコ型のアニマの死骸とそれが破壊した空港の残骸、
そして武器を持つ3人の兵士と、
使い物にならない新兵の剣だけだった。
「まさかここにも巨大種がいるなんてね。」
「うん、最近増えてるねぇ。」
「ああ。確実にアニマが数を増やしているな。」
3人は真剣な顔つきで何かを話している。
私には、到底理解できない話なのだろう。
悔しかった。
何も出来ないくせに突っ込んで、挙げ句の果てには戦線離脱。
何て滑稽なんだろう。
そんな自分自身に腹が立っていた。
「さあ、目的は達成したわ。早いとこ帰りましょう。雨音。」
「・・・はい。」
ああ、きっと除名勧告か何かだろう。
当然だ。私は今日、何も成果を上げていない。
ただ3人に付いて回っていたお荷物だ。
そんな戦力外がいつまでもこの3班にいられるわけがない。
「・・・?どうしたの、改まった返事なんかして。」
「・・・え?」
「帰るわよ。お腹が空いたわね、今日の晩御飯は何かしら。」
「じ、除名勧告は・・・」
「除名?どうしてそんなことをする必要があるの?」
「だって私、何の戦力にも・・・」
「ふふふ。私は別に戦力だけであなたを3班に入れたわけじゃないわ。」
氷が溶けたかのように笑う彼女の表情を見て、私の体からすっと力が抜けた。
気がつけば私の頬を涙が一筋伝っていた。
「あーあ、理沙が女の子泣かしちゃったぁ。」
「ま、待ってちょうだい!私も女の子、じゃなくてっ!雨音、どうしたの?なぜ泣いているの?」
「だってさっきの理沙怖すぎだよぉ?そこで大人しく見ていなさい、ってあんな怖い顔で言われたら私だって泣いちゃうよぉ。」
「あ、あれは・・・!」
決まりが悪そうに髪の毛をいじる理沙。
それはまるで親に隠し事をする子供のような仕草で、戦闘中の理沙とは大きな差があった。
「・・・ああでも言わないと、あなたなら突っ込むと思ったからよ。今日のあなたは不調だったみたいだし、一度冷静にさせようと思ったのよ。」
「でも、まだ私は戦えた・・・」
「まだ分からないのか。」
ここまで口を閉ざしていた紅が突然割って入った。
「理沙はお前を殺したくなかったんだ。お人好しめ。だから新人など使えないんだ。」
「紅はホントに口が悪いなぁ、そこまで言わなくても。」
「いいんです。戦力にならなかったのは本当ですし、それに・・・」
私は地面に転がる剣を拾って見つめた。
相変わらず美しいほどに透き通っているが、最初よりもどこかくすんでいるような気がする。
「能力が・・・発動しなかった。」
「・・・話は戻ってからにしましょう。なんだか雲行きが怪しくなってきたわ。一雨降りそうね。」
空は厚い雲におおわれ、遠くの方では雷も聞こえてくる。
私たちはミズミの待つ駐車場へ向かって早足で進んでいった。
「能力が使えないだぁ?何言ってんだお前、ぶっ飛ばされて頭もやられたのか?」
広めの病室に男の大声が響く。
任務から帰り、私は入院している病院に戻ってきていた。
もう点滴も車イスも必要ないのだが、経過観察が必要という理由に加え、住む当てがないという理由で担当医の部屋の隣の病室、もとい研究室を使わせてもらっていたのだ。
部屋の間取りは広めの病室といった感じだか、中にあるものは実験器具のような物、無数の画面や資料が部屋中に散らかっていた。
「大体、一度発動した能力が使えなくなるなんて話、俺は今まで聞いたこともねえぞ?」
私の担当医、五十嵐がテーブルの料理を箸でつまむと口へ放り込んだ。
綺麗に盛り付けてある料理だが、彼はそんなことは構い無しに乱暴に食べ進める。
「で、でも現に今日私は能力が使えなかったんです。アニマを切りつけても、何故か刃が通らなかったし・・・」
「いいえ雨音。あなたは能力を発動させているわ。空港でも、そして今もね。」
「発動させている?でも攻撃は出来なかったよ?」
「それはね、あなたのそれが証拠よ。」
理沙は私のイスの下方を指差した。
そこには、最早ただの棒切れ同然の私の剣が立て掛けてある。
「剣が消えていないということは能力は発動し続けている。だから今私は能力を発動していないわ。ほら、銃がどこにもないでしょ?」
彼女の姿を見てみると、確かにどこにも銃が見当たらないうえに、
彼女の今の服装はTシャツにロングスカートという服装だ。
ポケットなど無い。
隠せるとすればそれは、
「何?スカートの中が気になるの?良いわよ、確認しても。」
「わわわっ!だ、大丈夫!大丈夫だから裾を下ろして!」
スカートの端を摘まみ、それを引き上げようとする理沙の手をあわてて押さえる。
今この場には3人しかいないが、そのうちの五十嵐は男、
年頃の女の子が男の前で下着を晒すことになれば大問題だ。
「あら、別に平気なのに。」
「そ、それでもだめ!男は皆獣って言うくらいなんだから。ましてや五十嵐さんなんて、やる気は無さそうだけど獣そのものみたいな見た目だし。」
「だれが獣だ、生意気なクソガキだな。」
「コホン。話、続けるわよ。」
理沙は一杯お茶を飲むと言葉を続けた。
「雨音、自分の今の状態は例えるならどんな状態かしら?」
「た、例えるならって・・・?」
「今現在のあなたの能力に対する感覚よ。何かイメージできそうな感じはある?」
「イメージ・・・」
私は剣にそっと手を当てて考える。
「ビン・・・?いや、ペットボトル?」
「・・・理沙、こいつやっぱおかしいんじゃねえのか?」
「・・・詳しく聞かせてちょうだい。」
私は直感に感じたままを理沙に説明した。
「何だか蓋を閉められてるみたいで、押し出そうとしても開かなくて。どこからか少しずつ抜けてるけど、でも窮屈で、今にも弾け出しそうな感じ、かな。」
「なるほど、それでペットボトルね・・・」
「なあ、それなりに具体的でも俺には全くワケわからんのだが?全く検討違いなんじゃねえのか?」
「いいえ、分からないこともないわ。むしろ納得がいった。」
理沙は辺りを見渡し立ち上がると後ろの冷蔵庫を開けた。
中からペットボトルのお茶を取り出し、テーブルの中央に置く。
「今の説明だと、このペットボトルが雨音自身、中のお茶が能力、そして・・・」
彼女は手元に置いていた箸でペットボトルの横を突き刺す。
小さな穴が空いたペットボトルからは必然的にお茶が吹き出し、少しすると止まった。
「今少しずつ吹き出したお茶が今の雨音の運動能力、と言うことかしら。」
「ほう、それは分かりやすい説明だな。」
「強すぎる能力だからこそ、漏れ出る力もまた強大。雨音は元々運動神経が良い方だからそれに能力のサポートが加算されて、あれだけの速度が出せるのだと思うわ。」
確かに今日、能力こそ発動はしなかったがその前段階である運動能力は以前と遜色ない動きができた。
これが彼女の言う漏れ出る力、なのだろう。
「問題は、なぜメインの能力が発動しないのか。」
「・・・そのことなんだが、ちょっとこれを見てくれるか?」
五十嵐が自分の前の皿を押しどけて無数の数字と英語が書かれた一枚の資料を置いた。
「これ、パンドラ塩基の配列表でしょ?誰の配列なの?」
「もちろんこのクソガキの配列だ。問題はそこじゃねえ。次はこれを見ろ。」
二枚目の資料もまた英数字の集合体だ。
私には全く同じに見えるのだが。
「また配列表・・・今度は誰の?」
「こいつだ。」
彼は腕を組み椅子にもたれ掛かると私を顎で指した。
瞬間、理沙の顔が驚愕に染まり彼女は慌てて二枚の資料を見比べた。
「・・・嘘でしょ?この配列は。」
「いいや本当だ。一枚目はこいつがぶっ倒れた初日のデータ、二枚目は今日採ったデータだ。」
「そんな・・・こんなことあるわけない。」
「俺は知ってんだけどな。まあ、見るのは久しぶりだわ。」
五十嵐はタバコを吹かすとそれを灰皿に置き、資料を私に回した。
「よく見てみろ。おかしいところが分かるか?」
私は渡された資料を凝視するが、英数字の羅列が目眩を起こすほど並んでいるだけに見える。
「・・・すみません全く分かりません。」
「チッ・・・ここだここ。」
五十嵐が指差すところに注目してみる。
まずは一枚目、Aと書いてある。
次に二枚目は、H。
よく見るとそこだけではない。
ほぼ全ての場所の英数字がバラバラだった。
これだけ見れば全くの別物だ。
「気づいたか。お前はパンドラ塩基の配列が一切定まってねえんだ。こんなこと、普通じゃまず起こらねえ。簡単に言えばお前の能力は、『とんでもねえ程の特別製』ってことだ。」
「とんでもねえ特別製って・・・抽象的過ぎませんか?」
「他に表現のしようがねえんだよ。俺が知ってる前例は一件だけだ。しかも詳細は口外厳禁、この領地内ではトップシークレットってことだ。」
「五十嵐さん、その特別製の能力は具体的にはどんな能力なの?」
「さあな。それを調べようにもこいつがこんな状態じゃあな・・・」
やっぱり。
ここでも進行を妨げるのは、発動しきれていない私の能力。
私が能力を発動できれば簡単に色々試すことも出来るのに。
「・・・一体何が原因なのかしら。」
「さてね。詠唱か儀式か、はたまた生け贄か・・・」
「生け贄・・・」
「おっと、真に受けんなよ?そんな悪魔の召還みたいなこと冗談に決まってるんだからな。」
くっくっ、とイタズラに笑うと彼は「飯も食ったし研究に戻る」と言って部屋から去っていった。
残された二人の間にしばし沈黙が走る。
「・・・さてと、私もそろそろ戻るとするわ。おやすみなさい、雨音。」
理沙が立ち上がり、立ち去ろうとする。
私は去り行く理沙の背中を見てその瞬間に決意した。
「待って理沙。」
立ち止まり振り替える彼女の目をしばし見つめ、頭を下げて志願する。
「私に、稽古をつけて下さい。」
それは、私が考え出した今最もやるべきことだった。
「私、まだ能力も発動できないのに前線に立って分かったことがある。ううん、本当は、分かっていたけど、自覚するのが怖かった。今のままじゃ、私は到底戦力になれない。」
理沙は私の決意をただ黙って聞いてくれていた。
頭を下げているから表情は分からない。
もしかしたら呆れているかもしれない。
でも、伝えたかった。
「そんなの、私は嫌だ。今日も言ったけど、荷物なんて絶対に嫌だ。だから・・・」
「今の私に出来る最大限の稽古をつけて下さい!!!」
覚悟は決めた。
もう、よそ見はしない。
「・・・元よりそのつもりだったわ。でもまさか、あなたから頼んでくるのはちょっと意外だった。」
理沙は私に歩み寄り、私の顔を両手で包み込むと
「むにゅう!?」
ぐにぐにと強めに押さえ、上へ向けさせた。
「挫けずよく決意したわ。水鳥雨音、死ぬ気でついてきなさい!」
「・・・!ふぁいっ!」
泣きそうになるのを必死でこらえ返事を返した。
今は発動しなくても、いつか発動したときの基盤を作るのには、早いに越したことはない。
「それじゃ、早速今から訓練室に行きましょうか。」
「はいっ!・・・って、今から!?」
時刻はもう12時を回ろうかという時間だ。
正直、疲労と眠気が限界に近い。
「あら?何だったかしら、『今』の私に出来る最大限の稽古をつけて下さい、だったかしら。だったら『今』からやらないとね?」
満面の笑みを浮かべる理沙だが、私には彼女の後ろが不自然に黒く見えた。
この子、もしかして楽しんでる?
もしかして、もしかしなくてもとんでもないことをお願いしちゃったんじゃ・・・
「さあ、行くわよ!善は急げ、いざ訓練室へ!レッツゴー!」
「お、おー・・・」
今までにないほど生き生きとする理沙に手を引かれ、
私は部屋から引きずり出されていったのだった。