対話せよ 原宿支部支部長
「失礼します、支部長。氷川理沙、他一名の入室許可を・・・」
理沙が私の手を引いたまま支部長室へ一歩踏み込んだ。
なぜか立ち込める煙のせいで室内の状況はよく見えない。
だが、奥の方で確実に何かが暴れていた。
「・・・おい、今俺は最高潮に機嫌が悪い。そんな俺がわざわざ時間を割くような内容なんだろうな?」
ドスの効いた低い声が煙の中から聞こえ、真っ赤な瞳がこちらを睨んだ。
しかし、理沙は依然として態度を崩さない。
「支部長の機嫌など気にしている場合ではありません。新人の聖地巡礼許可をいただきに参りました。」
何て態度だ。
おそらく、いや確実に支部長は理沙よりも格上、言わば上司だ。
その相手にこの物言い、気は確かなのだろうか。
「ち、ちょっと理沙!?なんでわざわざ火に油を・・・」
「氷川ぁぁぁ!!!」
予想通り、男は声を荒らげこちらに近づいて来ていた。
男が邪魔な煙を払い、視界が開けると、
見えたのは高身長の男だった。
「氷川、お前今なんて言った?」
「何度も言わせないでください。新人の聖地巡礼です。」
「テメーの声が小せえからいちいち聞き直してんじゃねえのか!?」
「意外ですね。あなたに聞く耳があったとは。」
男は酷く憤り、歯をギリギリと鳴らし眉間には血管が浮かび上がっていた。
「り、理沙っ!やめようよ、ね?」
「大丈夫だから、黙っていて。」
「てめえ、少し戦闘ができるからって調子に乗ってんじゃねえのかぁ!?」
「いつも引きこもってばかりの人よりかは役に立っていると思いますが?」
「こ、この・・・!!!」
事態は最悪だ。
仲裁に入ろうにも怖くて足が動かない。
オタクって皆こうなのだろうか。
一触即発の雰囲気が支部長室を包み込んでいた。
「はいはい、そこまで。二人とも落ち着けー。」
後ろから突然聞こえてくる声に私は思わず振り返った。
片手に書類を持ったウルフヘアの男性がメガネの向こうからこちらを見ていた。
「ごめんね理沙ちゃん、こいつゲームで負けちゃってさ。」
「大丈夫ですハルさん。私も何となくそんな気がしてました。」
男性、ハルは苦笑しながら頭をかいた。
「ほら見ろアキ、理沙ちゃんも見抜いてたぞ。負ける度に暴れる癖、いい加減やめろって。」
「オメーがチマチマねちっこい攻撃ばっかするからだろうが!!大技を使って勝負しろってんだ!!」
「やだやだ、これだから脳筋バカは。」
どうやら二人は何かの対戦をしていたようだ。
オタクの娯楽か、はたまた訓練か。
私にはまだよくわからない世界だ。
「大技連続は隙だらけなんだよ。学習しろって。」
「必殺技はロマンだろーが!」
「はいはい、そーですねー。」
「真面目に聞けよッ!!」
言葉は荒いが二人はとても仲が良さそうだった。
昔からの知り合いか何かなんだろう。
その時、私はふと気になって理沙の顔を見てみる。
「・・・」
「理沙・・・?」
彼女は二人のやり取りをじっと見つめていた。
それこそじっと、微動だにせずに。
雨音にはなぜか頬も紅潮しているように見えた。
「理沙?どうしちゃったの?」
「・・・尊い。」
「・・・え?」
「・・・ッ!?何でもないわ・・・」
決まりが悪そうに理沙は顔を背けたが、
尊い、と言っていたような気がする。
尊い?何の事だろう。
考えているとハルさんが支部長を押さえながら話しかけてきた。
「えーと、雨音ちゃんだよね、昨日一人で外からここに来た。」
「え、どうして名前を・・・」
理沙もそうだったが、なぜこの人も私の名前を知っているのだろうか。
自己紹介した覚えはないのだが。
「君は有名人だからねー。『孤高の逃走者』とか皆言っちゃってさ。もう皆名前を知ってるんじゃないかな?」
「孤高の逃走者って、何ですかその二つ名は。だいたいそんなに騒ぐことなんですか?」
「いやいや、ただでさえ珍しいことなんだよ。外から人がやって来るのはさ。この戦争が始まって100人もいないんだ。」
確かに、もといた日本ではそんな酔狂な人には会ったことがない。
今の日本は軍関係者以外はオタク領に近づくことさえ重罪だ。
よく学生や酔っぱらいが許可なくオタク領に接近し、警察の世話になるというニュースを見る。
更には望遠鏡で領地を見ることも厳重に禁止されている。
そのため、私を含めた一般人がこの領地の内容を末端だけでも自らの手で知ることは不可能に近い。
得られる情報は最低限のメディアからの片寄ったもののみ。
そのため私たちは幼少期から、
オタク領は危険な場所で、絶対に近づいてはならないというのを、赤信号は止まる、という常識と同じように教えられてきた。
「侵入するなら小規模の仲間で地下道からってのが密入国のテンプレ、決まり事みたいなもんなんだよ。」
しかし地下道はそう簡単に封鎖ができない。
昔の名残でそのまま残っているそうだ。
もちろん私は行ったことはないし、それに無人のはずがない。密入国は基本、警備の隙をついて秘密裏に行うことだ。
「それを君はたった一人で、しかも元国道の大通りを歩いて入国してきた。これには情報伝達班も驚いていたよ。幽霊か、あるいは人の形をした新種のアニマじゃないかってね。実のところ、どうなんだい?本当はアニマだったりする?」
面白そうなおもちゃを見つけた子供のような純真無垢で、どこか狂気を含んだ目がこちらを見つめてきた。
「ち、違いますっ!あんな恐ろしい生き物、今まで見たこともないし聞いたこともありませんでした!」
「あっはは、だよねー。やっぱり国民にはこの情報は渡ってなかったか。今の発言は貴重な資料になったよ。」
しまった、と内心で思った。
迂闊な発言はオタクに対策案を与えてしまうかもしれない。
何も知らないことが一番の恐怖だ。今の日本の現状を話してしまいそうで。
「じゃあ雨音ちゃんはアニマについて、理沙ちゃんから何か教えてもらった?」
「・・・確か、ラテン語がどうとかって。」
「その通り。じゃあここで詳しく教えておこう。」
「ちょっと待てハル!素性も知れない小娘に簡単に情報を与えるのかよ!?」
押さえつけられていた支部長が拘束を抜け出し、ハルさんに抗議をし始めた。
確かにオタクが知っていて私が知らない情報というのは、同時に国民の大半が知らない情報と言うことになる。
これはオタク達にとって大きな武器となり得るはずだ。
それを私に教えるというのは何か裏があるのか。それとももう警戒されていないのか。
「遅かれ早かれだよ、アキ。俺たちの戦力は常にギリギリだ。少しでも戦力が増えるなら諸刃の剣にも手を出すさ。」
「けどよ・・・!」
「それに、見たところウルフに腰を抜かしてたみたいだし、即座に寝首をかかれるってことはないと思うよ?危険因子だと判断したら、その時に対応すればいいよ。」
「・・・」
やはりまだ警戒はされているようだ。
自然に溶け込めるようにならねば、任務は達成できないだろう。
もっと、自然な立ち振舞いを心掛けないと。
「よーし、それじゃあハルさんがアニマやオタク領の現状について教えちゃおう!」
「よろしくお願いします。早速ですけど、まずはアニマについて・・・」
「オーケー。まずはどこから話そうかな。やっぱり最初からかな。」
「あ、あのっ!」
話の腰を折るような遮り方をしてしまった。
視線が痛い。
「あの、私難しい事よくわかんないんで、出来るだけ簡単に教えてもらっても良いですか?」
「あははっ!正直だなぁ。それじゃ超分かりやすく噛み砕いて説明しちゃおう。」
どうやら聞き入れてくれたようだ。ハルさんが話を聞いてくれる人でよかった。
「まず、アニマは突如として発生した訳じゃないんだ。100年ほど前、人為的に作られた生物なんだよ。」
「人為的・・・作られるべくして作られたってことですか?」
「そう。アニマの生みの親達は奴らにある思考アルゴリズムを組み込んだ。特定的かつ効率的に俺やアキ、理沙ちゃんのような人を抹殺するために。」
「ハルさん達・・・まさか。」
彼らに共通する点、それは人間という点を除けばもう一つ・・・
「考えてる通りだと思うね。アニマは日本の研究者が作り出した生き物だよ。俺たちオタクを抹殺するという目的のために。」
「そんな・・・そんな情報、市民には一切・・・!」
「政府の見解だろうね。生物兵器を作り出して戦争に利用してる、その事が公になれば政府への信頼は地に落ちないまでも大きな打撃になるはずだから。」
つまり国は表向きは軍人による年に数回の派兵のみを公言して、裏では生物兵器でオタクの鎮圧を図っていた。
既に私の理解の範疇に及ばない。
そんな生物を作るのは可能なのか、どうしてそんなことを、
疑問を解決するための時間が、増える一方だ。
「奴らはその戦闘能力だけでなく、恐るべき繁殖方法をするんだ。一体のアニマが一般的な動物に細胞を植え込む。するとその動物が生み出す子孫は、皆アニマが誕生するんだ。」
「おまけに奴らは俺達以外は狙わねえ。この地の匂いを嗅ぎとってるのか、それとも本能的ものなのか、俺たちには分からねえ。奴らに関しちゃ、分からねえことの方が多いんだよ。」
この地で生まれこの地で育った彼らでも分からない、
そんな情報を私が分かるはずがない。
「更に年に数回、本物の人間も投入してくる。これは雨音ちゃんも知ってるんじゃないかな?」
無言で頷くしかなかった。
年に数回、恐らく掃討作戦の事だろう。
これに関しては私が小さい頃からニュースでやっていた。
これがいわゆる表向きの対応ということか。
「僕たちには戦う以外に存続の道はなかった。話し合い、理解してもらうには相応の武力がないと相手すらしてもらえないからね。」
「そこに現れたのが、今からお前が行こうとしてるところだぜ。」
「・・・アキ、大事なところだけかっさらっていかないでよ。」
「良いじゃねえかよ、どうせ聖地巡礼には支部長の許可がいるんだしよ。」
「あの、その聖地巡礼?って何なんですか?」
入室する前も理沙が言っていた。
新人の聖地巡礼がと言うからには私と無関係ではないのだろう。
「それも、今から話そうと思っていたよ。僕たちには武力が必要、でもそう簡単には手に入らない。そんなときに、神は僕たちに味方してくれたんだ。」
「味方・・・?」
「きっかけは一本のアニメだった。秋葉の奥深くに眠っていたそれを、僕たちの仲間は呼び起こした。」
「呼び起こしたって、アニメっていうのは生きてるんですか?」
私はアニメというものを知らない。
日本では、アニメはハームフル・メディアとして抹消されてしまったからだ。
「・・・結論から言わせてもらえばアニメは生き物じゃないわ。」
ここまでずっと口を閉ざしていた理沙が話し出した。
彼女が話すのはどれも有力な情報だ。
それにこの中なら一番情報に安心できる存在でもある。
「・・・でも生き物ではないけれど、あれは生きているのよ。」
「生き物じゃないのに、生きている?」
彼女の発言は分かりやすい矛盾を生じていた。
生きていなければ生き物ではない、そんなことは子供でも理解できるはずなのに。
「おかしいでしょう。でも私は感じたの。あのアニメを初めてみたときに、キャラクターの命を、動きを、そしてそれと共に生きたアニメの息吹きを。」
「アニメの、息吹き・・・?」
彼女の目は輝いていた。
昔を懐かしむような、恋人を思うような、そんな顔をしているように見える。
「・・・理沙ちゃんの言うことは間違いじゃない。そのアニメの持つ力は強大だ。僕たちはそれを、『神アニメ』と呼んでいる。」
「神アニメって、随分と安直というか、ひねりが無いですね。」
「ひねる必要もねえ。あのアニメは俺たちの中に眠っていた力を目覚めさせた。まさしく『神』に等しい存在なんだよ。」
「力を・・・目覚めさせた?」
「まあ、いきなり力とか言われてもよく分からないのは重々承知だよ。詳しくは現地で理沙ちゃんに聞いてよ。」
ハルさんはそう言うと、アキさんと共に立ち上がり、理沙も立った。
私も3人に釣られるようにして立ち上がる。
「では改めて許可を、原宿支部支部長。」
「その堅苦しいのやめろよ理沙。モテねえぞ?」
「規律に素直にしたがってるんだよ、アキと違ってね。いいから早く許可。」
「うるせえな!・・・あー、支部長による発言を下す。えーと、3班班長、氷川理沙及び水鳥雨音の聖地巡礼を許可する。」
どうやら聖地巡礼とやらが許可されたようだ。
また移動になるのだろうか、
移動は構わないが、正直もうミカの車はごめんだった。
思い出すだけでも酔いそうで。
「ありがとうございます、支部長。」
「あ、ありがとうございます、支部長っ。」
思わず声が裏返ってしまう。
自分でも知らない間に緊張してしまっていたのだろうか。
そう思うと、全身に悪寒が走る。
今から私はオタク達が神と崇めるモノを見に行くのだ、
もし、
私の正体が神によって看破されてしまったら?
・・・考えたくない。
考えただけで冷や汗が止まらない。
「おいおい、なんだよ緊張してんのか?情けねえ新人だな。」
「そう気負いすることはないよ。ここへ一人で来るのに比べればどうってことないから。」
全く異なる、というか裏と表のような慰め方をされたが、これも彼らなりに私の緊張をほぐそうとしてくれたのだろう。
ここに来るまでに会った人たちは、何かしら個性的でも皆いい人ばかりだった。
「さあ、行きましょう雨音。早くしないと日が暮れるわよ。」
理沙に急かされ、慌てて支部長室を飛び出る。
が、すぐに戻ってドア、があったであろう場所から二人に一礼した。
二人とも笑顔で見送ってくれていたが、私にはその笑顔が痛かった。
心の中で静かに溢れるその感情をぐっと押さえ込んで、私は支部長室を後にした。
・・・私には、任務がある。
感情移入してはダメだ。
余計な思い入れは支障が出るに違いない。
そんなことになっても最終戦争は滞りなく実行されるだろう。
それなら、無駄な同情や交友関係は不要だ。
最後の最後で泣くことになるのは、きっと自分だから。