北風&ソレイユ
家の中に誰かがいるかどうかは、外からだと分からないな。
事前に連絡を入れずに来たものだから、もしかすると留守かもしれん。
とは言っても、他人の家の前で立ち往生していても仕方がないので、玄関の呼び鈴を鳴らしてみるか。
最初の顔見せは、勝手知ったる仲のめがね少女に頼むとしよう。
そうしないと、おれの顔を見た瞬間、玄関の引き戸をバシャリと締めて施錠される場合がありそうだ。
「じゃあおれはここで待ってるからさ。萌奈美があいつと話してこいよ」
「……」
入り口のほうに顔を向けてうながしたが、彼女の視線は地面に落ちた。
「ん? どうしたんだ?」
「……」
「おい。萌奈美?」
首を倒して覗きこむ。
そのまま様子をうかがっていると、ようやく話しだした。
「サツキさんは二人で行ってきてって、言ってたから、その……」
喋っている途中で口ごもり、逡巡してるみたいに目が左右に揺らぐ。
「あの、なんて呼べば」
か弱い声でそう訊ねられた。
言葉数の少ない説明に、呼ぶって何のことだろうと意味を量りかねたが、すぐに合点がいく。
「あっ、おれの名前か。えーっと、そうだな。晴樹っていうからそのまま呼んでも構わないぞ」
「ハルキさん」
「それはちょっとカタイ感じがするな。さん付けで呼ばれるなんて少しむずがゆい」
後頭部をかきつつ、そんな敬称はいらないと断った。
すると彼女は遠慮するみたいに身を小さくして、自身の考えをこぼす。
「……私、ひとつ年下だし」
「べつに年齢なんて気にする必要ねえよ」
気軽な感じに手をふると、めがね少女は思案するみたいな仕草で横を見つめ、ややあってからこっちに目を向けて口をひらいた。
「じゃあ、ハルキ、くん?」
「おう。それでいいぞ」
呼び捨てでもよかったのだが、萌奈美はようやく着地点に降りたみたいにして、安堵の息をついた。
「で、話の続きは何なんだ?」
「えっと、サツキさんは二人で行くように言ってたから、喋るときも、ハルキくんがいたほうがいいって思う」
たどたどしく説明して、伝わったかどうか確かめるみたいに、おれを不安そうに見つめる。
やっぱいっしょに行くべきだろうな……と、考えをあらためた時だった。
ならぶ民家にそった直線道路のはるか彼方から、2サイクルの甲高いエンジン音がこっちに勇ましく迫ってきた。
おれはそちらへ身体を向けて待ちかまえた。
「なんだあれは?」
うなりをあげて接近してきたそれは一台の白いバイク。
スピードを落とすことなくそのまま通り過ぎると思いきや、急ブレーキをかけて車体を真横に向けた。
前後のタイヤから白煙をたてて、ぐんぐんおれ目がけて突っ込んでくる。
「うおっ。萌奈美、逃げろ!」
叫ぶなり、めがね少女の身をかばい、ブロック塀に背中をぶっつけた。
だがその必要はなかった。
バイクはすんでのところで停止し、勢いあまった風圧が身体をなでていく。
白色のレーサーレプリカのバイク。トリコロールカラーの革ツナギ――。
乗り手はいったい誰だろうと目をすがめてみた。
そいつはバイクにまたがったまま、あごひもをほどいて可憐な動作でメットを脱ぐ。
きらきらと艶のある黒髪が、肩や背にふわりとかかった。
「やっぱりおまえか……」
茉夜だった。
昼下がりの陽光を受ける彼女は、なぜおれたちがここにいるのかというふうに、怪訝な瞳を上下に向けてきた。
ついでに悪態の一つでもつくのかと思ったが、黙ってシートから降りて、バイクを家の敷地に押しはじめた。
「おい待て待て。いきなり突っ込んできたら危ないだろうが。直撃してたらただじゃすまねーぞ」
「何か用なの?」
車体を押すのをやめて、茉夜は仏頂面で応じる。
「いや、おれはともかく萌奈美にぶつかったらどうすんだ。おまえはいつもあんなキケンな運転をしてんのか?」
「それなら大丈夫。狙ったのはアンタ一人だけ」
あごでおれをさし、クールな目つきと声で言い放った。
「なっ! 狙うってワザとやったのかよ。タチわりーなおまえ」
「用がないなら帰れば」
「用事があるから来たんだよ。バイト急に辞めたからみんな心配してるぞ」
「ふーん」
まったく関心のない冷めた面持ちで、軽く聞き流された。
「『ふーん』って、それだけかよ。お前ってどうしてそんなにあっさりしてるんだ」
「左様なら」
「おいこら、まだ話は終わってないぞ。ちょっと待てよ」
暴走黒髪少女はまたバイクを押しはじめ、門口をぬけて、庭に干された洗濯物の奥へと消えていった。
ろくに話もできず、とり残されてしまったおれたち。
奴のぞんざいな態度にむかっ腹が立ったので、となりに声を飛ばした。
「おい萌奈美! なんだよアイツ。けっこーヒネくれてんな」
「茉夜ちゃんは、いつもああいう感じ……。でも学校のみんなには人気があるの」
「まじかよ、どこがいいんだあんな奴。女子の感覚ってわかんねえ」
たしか初めて≪Drops≫に訪れた時、あいりも似たような話をしていたな。
「まあ同じ学校にいれば長所のひとつくらい見つかるかも知れんが」
「わたし前に、駅で不良の女の子たちに絡まれてて、助けてもらったことがあるの」
言うにトイレに連れ込まれ金を奪われそうになったが、そこへ茉夜が登場して身体を張って守ってくれたらしい。
「それでどうなったんだ?」
「茉夜ちゃん、不良に殴られて鼻血がでてた」
「おまえは無事に済んだのか」
「うん。不良の人たち、じっと立ってる茉夜ちゃんにおびえて、逃げていった」
「あとで文句言われなかったか? 萌奈美のせいでケガしたとか何とかってさ」
「そんなことはなかった。血がでてるのに平気だって笑って、泣いてるわたしの頭をなでてくれたの……」
ふいに木のドアのばたりと閉まる音がして、ツナギ姿の茉夜が洗濯物のあいだを通っていった。
たぶんバイクをしまい終わり、これから家の中に入るのだろう。
一瞬、目が合ったがすぐに顔をプイとそむけられた。
どうやらおれたちと関わるつもりは皆無のようだ。
「もういいよ。帰ろうぜ」
「でも……」
心残りな萌奈美。
そういえば何度か思ったけど、あいつにはバイクを修理してもらった恩義があるんだっけ。
なにかと無愛想だしおれの存在なんか眼中にないみたいだけど、このまま放置して礼も言わずに帰るなんて、ちょっと気がかりだ。
しゃーない。
もう一回だけ会ってみるか。
めがね少女をともない、呼び鈴を押すため玄関へ進もうとした時、背後から女性の声が聞こえた。
「あらあらあら」
誰だろうとふり返ってみれば、買い物帰りらしき女性が立っている。
カーディガンにロングスカート。肩にかかった毛先をゆるくカールした髪型。
女性は長ネギの突きでたレジ袋を腕にさげ、親しみのある微笑をたたえていた。
「いらっしゃい。萌奈美ちゃん」
歓迎の意を告げられためがね少女は会釈を返す。
雰囲気からして、もしやこの人は……と、萌奈美に目顔でたずねてみれば、
「茉夜ちゃんの、お母さん」
と教えてくれた。
姉か母親かと思えば後者だった。
しかしなかなか若そうな人だな。
女子大生、は言いすぎかもだが、もしも素性を知らずに二十代半ばだと告げられたら、あっさりそう信じることができる。
それにけっこう美人の部類に入ると思う。
物珍しそうにおれのほうを見ていたので、簡単な自己紹介をしてみた。すると、
「へえ。あの子にこんなカッコいいお友達がいたなんて」
感心するみたいに言って、おれの姿態を興味しんしんと眺めてくる。
「今日はいいお天気ね。そのオートバイで来たの?」
「はい、まあ」
「このくらいの暖かさだとちょうどいいわね。風を受けて走るのって気持ちがいいでしょう?」
「夏とか冬に比べたら、まあ走りやすいほうかもしれないです」
「いいなあ。わたしも乗ってみたいわ。こんど茉夜に頼んでみようかしら。でも免許をとって一年経たないと、二人乗りってできないんだっけ」
娘と比べるとまだマシというか、わりと接しやすそうな人だな。
マヤ母はレジ袋に手を入れ中を混ぜはじめた。
「ねえ。これ食べない?」
袋入りのキットカットが出てきた。それを示すように笑顔のそばに持っていき、二回ふる。
つづいて袋をバリッと引きあけた。
中から小袋を取り、近寄っておれたちの手に三つずつ握らせた。
「お近づきのしるしね。はい」
そう言って今度は自分のぶんを取り出し、袋を切り開けた。
つまんだキットカットを一口かじり、幸せそうに顔をほころばせる。
「おいしいね」
「……」
「他にもあるのよ。ポテトチップスとか好き?」
またレジ袋の中をあらため、次のお菓子を出そうとする。
おれは思った。
なぜこんな優しそうなお母さんから、あんなヒネくれた娘が育つのかと。
そしておれたち二人は、マヤ母のペースにのせられ、家の中へと通されるのであった。