去り人来たらず
澄みきった青空がどこまでも広がっていた。
秋の色が見えはじめた山ぞいの道路を、おれたちは風を切って走る。
ハンドルをにぎって運転するおれの背中には、腕をまわして身を寄せているめがね少女。
うららかな日曜日の二人だけの外出。
なぜこんな状態になっているかというと、まずは時間を前後して、説明するわけになるのだが――。
「よし。じゃあ今日はパスタを食うぞ。ペペロンチーノにしよう」
「OKお兄ちゃん。オーダー入りまーす。ペロンチひとつ!」
またもや変ちくりんな略称で、あいりはメニューをふって調理場へ伝えた。
待機していた萌奈美ちゃんは、「は、はい。ただいま」と少し慌てたように応じ、いそいそと中に入っていく。
できあがるまでのあいだ、横のお元気娘と会話でもして時間をつぶすとするか。
「なあ。あいり」
「どうしたの? お兄ちゃん」
「おれ前々から気になってたことがあるんだけど」
「アタシたちみんなフリーだよ?」
「は?」
なぜか当然とばかりに返事をして話をつづける。
「三人とも同じ高校だし、共学じゃないから男の子と知り合うキッカケが少ないし、仮にあったとしてもアタシお兄ちゃんみたいなタイプの人が――」
「ちげーよ。そんなこと訊いてるんじゃねえよ。おれはいつもおまえらが麓からどうやってこの店まで通っているか、質問しようとしたんだ」
何を言い出したのか理解したおれはツッコミを入れてから、話題を切りだした。
するとお元気娘は合点がいったようにうなずき、答えを口にする。
「アタシたちバイク通勤してるんだよ?」
「おっ、そうなんだ」
「三人とも同じ高校だし、共学じゃないから男の子と知り合うキッカケが少ないし、仮にあったとしてもアタシお兄ちゃんみたいなタイプの人が――」
「あのな。そういうのはおれ抜きの時にやれ」
ふってきたボケには付き合わず、ため息をついて首をゆるゆると振る。
そんなことよりも彼女たちがバイクを所持していた話に興味をおぼえた。
「運転免許もってたんだな。乗ってきたやつはどこにあんの?」
「いつもお店の裏にとめてあるよ」
「あっ裏か。だから今まで見かけたことがなかったんだな。で、どんなの乗ってるんだ?」
「茉夜ちゃんは250ccのギア付きのやつで、萌奈美ちゃんとアタシは原付のスクーター」
「そうか。バイクを使ってこの店まで来てたんだなぁ」
おれはソファにゆったりくつろいで天井を見上げた。
「ふう……」
偶然この喫茶店を発見してから、毎週ここで過ごすようになったな。
明るくてフランクでよく喋るあいりと、まだ少しぎこちないけど控えめで物静かで料理のうまい萌奈美ちゃん。
それに≪Drops≫の経営者サツキさんは、年下のおれとも分けへだてなく親切に接してくれる。
あと約一名、欠けてしまったのはざんねんだが……そう、ざんねんなのだが……。
うーん。
やっぱ物足りねえ。
「なあ、あいり」
「ん?」
さっきから人の顔をじーっと見つめていたお元気娘は、ふたたび自分に意識が向いたのがうれしいらしく身体を寄せてきた。
「もしかして茉夜ちゃんのこと?」
「お、おう。そうなんだけど、なんで分かったんだ」
「今頃どうしてるのかなーって、顔に書いてあったから」
本当か冗談か不明だが、まあおれって内面が表情に出やすいから読み取られたのかもしれない。
あの日――。
彼女はサツキさんに退職を伝えたあと、食べかけのオムライスの皿を手に、黙ってその場をあとにした。
雰囲気から察するに、残りを一人で静かに食べようと移動したのだろう。
以来、一度も顔を合わせていない。
「あいつとはいつも学校で会ってるのか? クラスが同じなんだっけ」
「うん。毎日あってるよ。バイトやめちゃったことはあまり気にしてないみたい。普段どおり、仏頂面で過ごしてる」
「そうか。でもなんで急にやめるなんて言い出したんだろうな。具体的な理由を言わずに休憩室に入っていっただろ」
「アタシあとでしつこく訊いたんだけど、茉夜ちゃんぜんぜん教えてくれないの。向いてないバイトなんてつまらないの一点張り。ねえお兄ちゃん、どうしたらいいと思う?」
心配そうな面持ちでたずねてきた時、萌奈美ちゃんがペロンチの載ったトレーを持って、調理場から歩いてきた。
「お兄ちゃん。まずはゴハン食べようか。そのあと三人で作戦をねろうよ」
テーブルに料理を置いためがね少女は、立ったままじっとこっちを見ていた。
おれは手を差し出して席をすすめる。
「萌奈美ちゃんも座れよ。他に客はいないみたいだし、大丈夫だろ?」
彼女は前みたくおどおどすることなく、素直に小さく返事をした。
そしてあいりのそばにきて、口もとを隠し、耳打ちをはじめる。
「ん? なあに? ……ふんふん」
お元気娘がにっこりと笑い、おれのほうを見た。
「あのね。名前をそのままで呼んでほしいって」
「名前を? ああ、呼び捨てっていう意味か」
めがね少女は照れくさそうにもじもじと指をからめ、こっちの反応をうかがうような視線を向けてくる。
「……」
「わかった。じゃあこれからは萌奈美って呼ぶよ。それでいいか?」
そう言うと彼女はホッと胸をなでおろして、桜色の口をひらいた。
「うん。……あ、ありがとう」
「べつに礼なんていらないぞ。思ったことは何でも言っていいからな」
萌奈美は恥ずかしそうにひとつうなずき、対面のソファにゆっくりと腰を下ろす。
あいりが機嫌良さそうに食事の準備をはじめた。
「はいお兄ちゃんフォークだよ? これで巻き巻きしておいしく食べてね」
できたてペロンチのふんわりした香りに、おれの腹がぐーと鳴った。
「よっしゃ。じゃあさっそくいただくとしよう。ところで、さっき言ってた作戦って何のこと?」
「もちろん茉夜ちゃんをお店に復帰させる作戦! お兄ちゃん。協力してくれる?」
おれは渡されたフォークを持ち、パスタにさしてくるくると巻く。
「嫌だ」
「えーっ!! なんで?」
あいりは衝撃を受けたみたいに目を丸めて口を大きくあけた。
軽くボケたつもりだったが、どうやら通じなかったらしい。
「ウソだよウソ。おれだってあいつのこと心配してたんだ」
「ほんと?」
「実は今日、店にもどって来てるんじゃないかって、ひそかに期待してたんだよ。でもいなかったから正直がっかりしてたところ」
「なんだそっかぁ。びっくりさせないでよお兄ちゃん」
あいりは安心したように背をあずけて息をついた。
「そんなに心配だったら大江くん。ちょっと様子みてきてくれない?」
「うわ!」
いきなり窓からぬっと顔が出てきた。サツキさんだった。
あやうくパスタを巻いたフォークを落としそうになる。
「なんでそんな所にいるんです? っていうか話、聞いてたの?」
「いやぁ、用事があって外から帰ってきたらさ、ちょうど中から話し声がしてたんだよ。んで、ここで立ち聞きしてた」
「立ち聞きって、正直ですねサツキさん」
彼女は建物をつたって店の中に入ってきた。
いつも通りの、シャツにホットパンツのラフな格好だった。
そして、こっちの席まで来て腰に手をあててから口を切った。
「大江くん。あの子を連れ戻してくれると助かる」
「おれがあいつを?」
「茉夜はすごく手際がいいんだ。いつも先の先まで考えて動くからさ、お客さんをさばくのがとても早くて、できればこの店に居てほしいんだよね」
経営者が褒めるくらいだから、彼女はよほどの戦力なのだろう。
サツキさんは一言つけたした。
「あいりの何人分もの働きっぷりに感心するくらい」
そう言うと、おれの身体にもたれていた当人が、「ぶー」と頬を膨らませて抗議する。
「あたしも茉夜ちゃんに負けないくらいお店で活躍してるもん。お兄ちゃんの前でテキトーなコト言わないでよサツキさん」
「たまにサボってソファで横になって熟睡したり、厨房のハチミツすくって舐めたり、外に出て森の中でセミ追いかけ回したりしてるじゃない」
「でもこのまえ軍手はめて庭の草刈り手伝ったから、それらの件はチャラだって言ったじゃん」
「じゃあこれからサボるぶんの前払いとして、わたしの車を水洗いしてワックスかけといて」
「あんでそうなるの。自分の車くらい自分で洗ってよ」
ぎゃおぎゃおとやかましい応酬がはじまった。
時々こんな調子になるのだろうか。
萌奈美は退屈していないかと視線を向けてみれば、そういった様子はなく、二人の様子におろおろしてどうとりなすか迷っているようである。
いくらか経って二人が落ちついてきたころ、会話のタイミングをみて話しかけてみた。
「でもおれが行くと嫌がられるんじゃないの? あいつってなんかおれのことあまり良く思ってないみたいだし」
「嫌かどうかは行ってみるまでわからないよ。大江くんは茉夜と歳が近いし異性だし、わたしが会いに行くよりも効果的かもしれない」
「うーん。どうかなあ」
「わたしやあいりが顔を出すよりもさ、大江くんが登場したほうが意外性あって茉夜の気が変るかもって思うんだけど」
とか言われても、ぶっちゃけ気が進まない。
でもサツキさんの頼み事だし、茉夜には一度借りというか恩があったんだよな。
バイトに連れ戻すことがそれに適う内容なのか微妙なところだけど、とりあえず詳しい話を聞きに、あいつの家に向かうくらいは構わないような気がしてきた。
事情を聞いてそれをサツキさんに報告する役目。
その程度ならやれそうなので、おれは引き受けることにする。
「わかりました。じゃあちょっと様子を見てこようかな。でも蛇蝎のように扱われたらすぐに戻ってきますよ?」
「うん。それでもいいよ。ではさっそくでわるいんだけど、食事が終わったあと出かけてくれる?」
うなずくと、サツキさんは視線を転じた。
「よし。萌奈美。大江くんのお供をしてあげて」
聞き役だっためがね少女は急に話をふられて、目をぱちくりとさせる。
やや遅れて、お供という意味を理解したらしく、きょとんとした顔で、おずおずと自分の鼻先をさした。
雇用主はもちろんと言わんばかりに腕組みをする。
「大江くん一人じゃなんだからさ、萌奈美も付き添ってよ」
「え? え?」
「あいりは店に残ってこっちの仕事続けてね」
戸惑うめがね少女とは裏腹に、あいりが勢いよくテーブルに手をつき立ち上がった。
「なんでなんでアタシも行く! お兄ちゃんといっしょにお出かけがしたい!」
「二人も抜けたらお店がまわらなくなるだろう? ここは大江くんと萌奈美にまかせて、他のバイトのぶんまでキリキリ働いて欲しい」
「いやだ!」
「だめ」
「なんで!」
眉を上げて抵抗するお元気娘を相手に、経営者は疲れたみたいにやれやれと両手をふった。
「人手が足りないって言ってるだろう。あいりは普段なまけがちなんだから、ここぞという時に力を発揮しないと」
「あーそんなこと言って、またさっきの話を蒸し返すんでしょ」
「とにかく頼むよ。あんたが行くと賑やかになって茉夜がうっとうしく感じるかも知れないじゃん」
「うう……」
雇用主からの申し出に、彼女はショックを受けた。
両手をだらりと下げて肩をズドンと落とし、その場で静止していたが、
「あんまりだー。あんまりだー」
こぶしをブンブン振って暴れはじめたところを、サツキさんの脇に抱えられ、持ち場へと運ばれていく。
「わたしが調理を担当するから、あいりはいつも通りに給仕をやってね」
「やるからもう下ろしてよう。こんなとこお兄ちゃんに見られるなんて恥ずかしい」
手足をもがいてあらがう小さい少女を携えつつ、サツキさんがこっちに振り向いた。
「行っておいで二人とも。あとはわたしらでやるからさ」
その後。
ジェット型のヘルメットをかぶった萌奈美をシートに乗せ、おれは愛車を発進させた――。
「大丈夫か? ちゃんとつかまってろよ」
走行中、うしろに向かって声をかけると、背中ごしにコクリとうなずく感触が伝わった。
やわらかい身体を圧しつけよるうにして……うむむ。ちょっとくっつき過ぎかもしれん。
そんなに寄らなくてもシートから落っこちたりしないのに。誰かのうしろに乗るのに慣れていないからそうしているのか。
まあ彼女の好きにさせてやろう。
おれもタンデム走行の経験はあまりない。だけど絶対に転ばないよう慎重に運転する。
峠道をスローペースでそろそろと下り、やがて街中に入った。
交通の流れにのりながら萌奈美のナビゲートを受けつつ、十分ほど走ったのち目的地へと到着する。
「ここが茉夜の家か……」
塀ぞいにバイクを停止させ、横を見上げると、そこにはわりと普通の家が建っていた。
楚々とした令嬢みたいな空気をかもしだす女の子だったから、それなりにでかいお屋敷に住む息女か何かだと思っていた。
なのに実際来てみれば、ごく一般的な茶色い木造の二階建てがそこにある。
サツキさんから用件を頼まれたものの、いきなり自宅に押しかけたらやはり迷惑なんじゃないだろうか。と今さらながら思えてきた。
「なあ。萌奈美はこの家によく遊びに来るのか?」
そんな問いに彼女は、「うん」と返事をする。
おれたちはバイクから降りて、脱いだヘルメットを手に玄関を見つめた。