喫茶店での出会い
――その日。
部屋の片づけをしている最中、押入れからアルバムを見つけた。
ダンボールの中にしまってあったそれに懐かしさをおぼえ、一ページずつめくっていく。
そしてあるページにさしかかった時、ひとつの写真に意識をひかれた。
じっと眺めていると、遠い青春時代の甘く切ない気持ちが、胸に染みわたってくる。
フレームの真ん中にいるおれを基準にして、左右にはさまざまな表情の女の子が写っており。
背後には緑の萌ゆる広場に建つ木造の喫茶店――『Drops』。
ああ、そうだ。
高校生の頃に、よく通っていた喫茶店だ。
ここでいろんな人との出会いがあったんだよな。
だけど今はもう、そのお店はやっていない。
記憶が過去へと鮮明にさかのぼっていく――。
「いつまで続くんだこの坂……」
日曜の正午過ぎ。おれは陽射しの降りそそぐ中、一人で汗しながらバイクを押していた。
季節は秋にさしかかっているのに、アスファルトの照り返しがきつい。空と地面から熱を受けて、ひたすら峠の坂道を上っていく。
左右に林が続くへんぴな場所のせいか、先ほどからほとんど人通りがない。
ここらで休憩をとろうと思い、愛車のスタンドをかけた時だった。
林の切れ目から小道が伸び、その奥に小洒落た建物があるのを発見する。
三角屋根の手前に風見鶏――。もしかしてあれって喫茶店だろうか?
よく分からないけどどうもそれっぽい……と言うか、前しか見てなかったからぜんぜん気付かなかったぞ。
小鳥のさえずりを聞きつつ、樹木のアーチをくぐって敷地に入ってみた。
けっこう広めの庭があり、建物の近くで掃き掃除をしている女の子が立っていた。
三つ編みをふたつ結んだ可愛い顔立ちの、メガネをかけた大人しそうな子だ。
白のボタンシャツに青色のエプロンドレスを着た女の子は、黙々と地面にホウキをかけている。
向こうには大学生くらいの女の人が、ホースから水を出して、黄色い小型の車を洗っていた。
おれはバイクを停めて、掃除している女の子に声を掛けることにした。この付近に整備をしてくれる店を知っているかもと思ったからだ。
ところが視線が合った瞬間、驚いたように目をくりくりと丸くし、背筋をピンと伸ばす。
急に人が入ってきたせいで、びっくりしたのかも知れない。
おれはその様子に少し気圧されたが、構わず口を開いた。
「あの、すみませ……あれ?」
女の子は力抜けたようにホウキをぱたりと落とし、踵をくるりと回すや、両手をあたふたと前に出して逃げ去っていく。
途端、店のドアをバタリと閉めて、しーんと静寂がただよった。
いや、正確には小鳥のさえずりと、ホースの水が跳ねる音だけが聞こえていた。
見送るかたちとなったおれは、バイクのそばで唖然とする。
何だろうあれは……、まるで夜道で変質者と遭遇したときみたいな反応じゃないか……。
おれは自身に何かしらの落ち度があったのかと、自分の身を改めてみた。しかし別にパンツ一枚の半裸姿ではないし、物騒な凶器なんて一つとして持っていない。
ごくありふれたジャンパーにジーンズ姿の一般的な高校二年生だ。
おれはそこはかとなくショックを受け、自分はここに居てはいけない存在だと悟り、愛車を取り回そうとした。
「ねえちょっと。そんな所でなにやってんの?」
首を巡らせてみると、洗車していた女の人が明るい笑顔でこっちを見ていた。
肩まくりしたTシャツにホットパンツで、長髪を後頭部の上にまとめた、快活そうなお姉さんだ。
無視するわけにもいかず、ハンドルを持ったまま軽く会釈をした。するとお姉さんは水を止めてこっちに歩いてきた。
それから腕組みをして、バイクを覗き込むように前かがみになる。
「さっきこれ押してたよね? もしかして故障したの?」
おれはうなずいて、「峠を上っていたら、途中でエンジンが止まったんです」と簡単に説明した。
バイクに乗っていても、メカの知識は明るくない。
お姉さんは、「ふーん」と相槌じみたものを打って、あれこれ点検するみたいに車体を眺める。
「良かったら見てあげようか。ここって車やバイクの部品はいろいろそろってるし、もしかしたら修理できるかも」
「えっ? いいんですか」
思ってもみなかった救いの手に、やや頓狂な声をあげてしまう。
「うん。三級だけど自動車整備士の免許は持ってるから、まあ安心して」
エンジンの横でしゃがむお姉さんはにっこりと笑う。
「その代わり、お店に入って何か注文してよ。今日はお客さんあまり来なくってさ、中の連中も退屈してるんだよね」
「そういえばさっき、店員らしき人が駆け込んでいったけど……」
「ああ、あの子はいつもあんな感じなの。人見知りが激しくてね。初対面のときは似たようなリアクションなんだ」
お姉さんはそう言い残して、裏のガレージへとバイクを押していった。
その背中を見届けたあと、おれは敷地を一渡り眺めて、店のドアに目を据える。
先ほど逃走した女の子が気になったが、お姉さんと約束をしたから外で待つわけにはいかない。それに『中の連中』と話していたから、他にも従業員はいるのだろう。
入り口の階段を上ってドアを押すと、カウベルの心地よい音が響いた。
「いらっしゃいませ~」
カウンターの椅子にかけていた女の子が振り向きざま、ほがらかな笑顔で迎えてくれた。
さっきの子とは違うけど、服装は同じエプロンドレス。
小柄でショートカットの女の子は、ぴょこんと飛んで椅子から離れると、うれしそうに手を広げて駆け寄ってきた。
まるで旧知の仲みたいなフランクな態度で、腕をつかみぐいぐい引っ張ってくる。
窓際のテーブル席まで連れて行かれ、ほとんど遠慮のない対応におれは少し戸惑う。
「おい、ちょっと」
「ここが一番日当たりがいいからオススメだよ。他にお客さん一人もいないから、気兼ねなくゆっくりしていってね」
頬に一本指をそえて、にっこりとウインクしてくる。
茶目っ気たっぷりの仕草だが、おれはそんなテンションにはついていけず、勧められるがままソファに腰を下ろした。
すると女の子はお尻で押すようにしておれを奥へやると、となりに座ってメニューを開く。
「飲み物は何にする? もちろん食べ物だってあるよ」
ほとんど密着するかたちで女の子はメニューに指をなぞらせ、まるで自分が注文したいものを探すみたいに目を輝かせている。
おれは抗議の意味をこめて腰をずらせ、彼女から離れた。
「ちょっと待てよ。なんなんだキミは」
「このお店でバイトしている十五歳、高校一年生だよ。名前は蜂屋あいり、そのまんま『あいり』って呼んでね。血液型はA型でスリーサイズは――」
「待て待て。そんなこと聞いてねえよ。キミのスペックなんか興味ない」
「あれ? 何かおかしかった?」
メニューを両手に持ったまま、きょとんとした顔で見つめてくる。
おれはどう説明すればいいか分からず店内に視線をそらした。
すると、どこからともなく殺気めいた空気を察した。
さほど時間をかけず、そのありかを目に留めた。
カウンターの向こうで姿勢よくまっすぐに立ち、凛とした顔つきでこっちにすがめた瞳を向けている。
わりと背の高い細めの体つきに、腰まで伸びた黒髪の、クールな雰囲気のある女の子だった。
服装から察するにもう一人の従業員のようだ。
おれはいつの間にか身体をくっつけ直している女の子に、小声で話しかけてみた。
「おい」
「なあに?」
「あのカウンターの向こうに立ってる人、さっきからすごい形相で睨んでるんだけど」
「ああ、あそこに仏頂面でいる子は、『相賀茉夜』ちゃんて言うの。おーい、茉夜ちゃんもこっちにおいでよ」
手を振りながら、おれの腕にひじを回して、自分の胸元へ引き寄せている。
茉夜と呼ばれた子は表情をまったく変えずに、眉を寄せたまま小さくかぶりを振った。
「あの人もキミと同じ、ここでバイトしてる子なのか。ってか仏頂面って、あまり悪口みたいなことは言わないほうがいいんじゃあ」
「大丈夫だよ。茉夜ちゃんはウチのクラスでも一番に情が深いって人気者なんだから。……ところでなんて呼べばいい?」
「えっ?」
「名前だよ。お客さんって呼ぶのは変だからさ。なんて呼べばいいかなって訊いてるんだよ?」
「あっ、そういうことか。えっと、おれの名前は『大江晴樹』。高校二年生。今日はバイクでツーリングに来てるんだ」
おれは一拍置いて、話を続けた。
「それよりも腕を組むのはやめろよ。なんか窮屈だぞ」
「いいじゃない。ちょっとくらい」
「いや、良くないから言ってるんだ」
「アタシはこうしてたほうが落ち着く」
「キミはそれでよくても、おれがな。さっきキミが『気兼ねなくゆっくり』って言ったけど、その通りにくつろぎたいんだ」
「キミじゃなくて、『あいり』」
「ならこれからそう呼ぶからさ。いったん腕を放せよ」
彼女は納得したのか、「わかった」と言って、それまで抵抗するみたいに締めていた腕の力を緩めた。
「あと出来ればもうちょっと通路側に寄ってくれ。キミ……じゃなくてあいりが押し込んできたから、肩が窓枠の角に当たって痛いんだ」
「じゃあアタシは『お兄ちゃん』って呼ぶね。名前でもいいんだけどアタシずっとお兄ちゃんが欲しかったから……いいでしょ?」
「それは構わないんだけど、そろそろ注文のほうをだな」
「あっ、そうだったゴメンね、お兄ちゃん。じゃあ何頼む?」
とりあえずコーヒーと、ちょうどお腹が減っていたので、エビピラフを注文した。
あいりは椅子から勢いつけて降り、「すぐ持ってくるから待っててね」と調理場のほうへ元気に駆けて行く。
待っている間、改めて店内を眺めると、なかなか瀟洒なつくりだと感じた。
アンティークな柱時計の他、どこかの外国から買ってきたものらしき調度品が飾られてある。
おれは先に出されたコーヒーを飲みつつ、店の中を物珍しげに観賞していた。
しかし相変わらずこっちを睨んでいる女の子が約一名……。
手を行儀よく前にそろえて、美しいとも言える切れ長の目を細め、おれに威嚇のオーラをぶつけている。
あいりはあの子のことを情が深いなどと話していたが、どう見てもそんなふうな印象は見受けられない。
おれが退屈しのぎにじっと見ていたのが気になったらしく、茉夜という少女が口を切った。
「何かしら?」
「いや、別に……」
一言ずつ言葉を交わしただけで、あとは店内がしーんと静まり返る。
なんか居たたまれない気分だな。早くあいりは戻ってこないだろうか。まだあいつが横にいてくれたほうが落ち着くぞ。
「おまたせ~」
願っていた相手が陽気な声と共に、お皿を手にしてやってきた。
テーブルにコトリとのせて、後ろに手を組み、
「本店特製のエビピラフです。ご注文は以上でよろしいでしょうか~」
などとマニュアルっぽいセリフを入れてくる。
そしてまた断りなく、まるで自分の席であるかのように、ひとつ飛んでぽふんと隣へ座った。
「ちなみに調理担当は、『熊谷萌奈美』ちゃんです。ささ、召し上がれ~」
「おう、サンキュー」
おれはだんだんこの少女の親しみのある態度に慣れてきたようだ。最初の頃よりもそんな居心地はわるくない。
あいりは両ひじをついてアゴを置く。鼻唄でも歌いそうな彼女は、一度リズムをとるように頭を左右に揺らした。
「今日でバイト七日目なんだけどね。来てくれるお客さんって、だいたいいつも同じなの」
「いわゆる常連さんってやつか」
「そうだよ。地元の年上の人ばかり。お爺ちゃんとかおじさんや買い物帰りの主婦さんとか」
「なるほどな。おれくらいの年代の客はあまり来ないんだ」
「うん、だからね。お兄ちゃんみたいに話しやすそうな人が来てくれて、今日はとてもいい日だよー」
と、両手を高らかに伸ばし、さほど膨らんでない胸元をそらしてバンザイをする。
おれはおいしそうな香りを昇らせているピラフにスプーンを近づけた。
ライスに散りばめた小エビの他に、身を丸めた大きなエビが一尾のせられている。たぶんこれが本店特製のゆえんだろう。
「なかなか美味そうじゃないか」
「このお店はね、サツキさんが仕事の合間に趣味でやってるようなお店なんだ」
さっきから耳慣れない名前がちらほら出てくるので、おれは一口食べる前に訊ねてみる。
「サツキさんっていうのは、もしかして車を洗ってたあの大学生っぽいお姉さんのこと?」
「そう。普段はなんかムズかしそうなお仕事してる。あと車とかオートバイのことに詳しいの」
言うに、もう社会人で、あいりと同じ地元の人らしい。
「で、萌奈美ちゃんってのは?」
「うん、実はさ。アタシたち、萌奈美ちゃんの付き添いで働いてるんだよ」
「付き添い?」
「あのね。萌奈美ちゃんって人と話すのがニガテで、本人もけっこう悩んでるの。それでさ、接客業を経験すればちょっとは治るかなって話になって」
「要するに、この店のバイトで対人スキルを上げたいってわけか」
「うんそんな感じ。でも、茉夜ちゃんはあまり気が進まなかったみたい」
カウンターの向こうにいる不機嫌少女に、おれはちらりと目をやった。
「おや?」
「どうしたの? お兄ちゃん」
「その茉夜ちゃんとやらが居なくなってるぞ」
同じ位置に目を向けたあいりは、「ホントだ……」と一言つぶやく。
「もしかして、おれのこと睨んでたし、食事をはじめようとしたから帰ったのかな」
「あ、それはないと思うよ。仏頂面でもやることはキチンとしてるから」
また仏頂面とか言ってる。
しかし居なくなっているのは気になるな、と、おれは疑問に思いつつ首をかしげた。
少しの間、静止していると、あいりがピラフのお皿に両手を差し向けてきた。
「お兄ちゃん、そろそろ食べないと冷めちゃうよ? 萌奈美ちゃんが一生懸命つくったから温かいうちに食べて」
「おっそうだな。じゃあいただくとするか」
おれはスプーンを入れて、やおら一口ふくんだ。
いくらか味わって数度うなずき、感想を述べる。
「んんっ、これうまいじゃないか!」
「でしょ? 萌奈美ちゃんはお料理がとても得意なんだよ?」
「よく出来てて本当にうめえよ。これはまた食べたくなる味だなぁ」
「えへへ」
友達が褒められたことが嬉しいらしく、上体をかたむけた彼女は、照れくさそうに自身の後頭部をかいた。
ふいに、調理場につながる入り口のところで、「ガタン!」と大きな物音がする。すぐさま誰かの足音がせわしく遠ざかっていった。
なんだ今の音は……。まあいいや、それよりもピラフを食べるのに集中しよう。
他の料理も注文してみたいところだが、今日はこれだけにしてまた今度にすっかな。
スプーンを夢中で動かしながらそう思った。
食べている間、となりのあいりは大人しく手を膝頭にのせ、機嫌良さそうに微笑んでいた。
食後にコーヒーをもう一杯いただき、なかなか良い時間が過ごせたと思いつつ店からおいとますることにした。
外に出ると、やや離れた駐輪スペースにバイクが停めてある。
後ろからあいりがトコトコついて来た。
バイクに近づく前から違和感があった。いや、違和感というより変化だ。
おれは、ミラーにかけていたヘルメットを取ろうとして、思わず声をあげてしまった。
「おおっ、なんだこれ!」
車体が綺麗に洗われ、尚かつワックスでもかけたみたいに光沢を帯びている。
タンクやエンジン周り、その他もろもろが陽射しを受けてキラキラと反射していた。
感動したおれは、胸に熱いものを感じながらキーを差し込んで、始動してみる。
エンジンはセルボタン一発で掛かり、心地よい音を奏でた。アクセルを捻ると何の引っかかりもなく調子よく吹け上がる。
「サツキさんってすごくサービスがいいんだな。修理だけじゃなく車体まで磨いてくれるとは……」
本人に厚くお礼を告げようと思ったが、あいりが言うに、どうやら出かけてしまったらしい。
おれはそこだけ残念な気持ちのまま、ヘルメットをかぶって愛車にまたがった。
「またお礼に来るけど、サツキさんが店に戻ってきたらよろしく伝えといてくれ」
「わかった。ちゃんと言っておくね。ところでお兄ちゃん、今度はいつ来てくれるの?」
「まだ分かんねえけど、たぶん来週の日曜日に来られたら来るわ」
「じゃあその日を楽しみにしておくね」
「ああ。バイト頑張れよ」
「うん。本日はありがとうございました。まったね~」
屈託のない笑顔を向ける彼女に、おれはうなずいた。
それからギアを入れてクラッチを繋ぎ、車体を発進させた。
少し進み、何気なく店の入り口に目をやると、そこには茉夜という少女がやや足を開いた姿勢で立っている。
こっちに相変わらず細めた目を向けていたので、おれは別れの挨拶を込めて、頭を短く下げた。
最後くらいは愛想よくしてくれると思ったが、彼女は眉間をさらに寄せて、「ふん!」という感じに、そっぽを向いてしまう。
おれはヘルメットの中でつい苦笑いを浮かべた。
あと店の窓越しから、何やら視線を感じたがそっちは見るだけにする。
おれはゆっくり走りながら右のミラーで後ろを確認した。
あいりがつま先で伸び上がって、大きく手を振ってくれていた――。
わき道から道路に出、ほどなく走った時だった。
前方から見覚えのある車が近づいてきた。
黄色い小型車……あれはおそらくサツキさんだろう。
案の定、その対向車はウインカーを点滅させて道路脇に停止した。
下げたウインドウから明るい顔を見せる。
「やあ。今帰るところ?」
減速したおれは隣にバイクをつけて、シールドをあげた。
「はい。なかなかいい時間を過ごせました」
「うんうん。バイクはちゃんと直ってるみたいね。それ、エアエレメントの破片が中に詰まってたから、キャブの掃除して、新しいエレメントを入れたんだよ」
用語の意味が分からなかったが、とりあえず首を縦に振っておいた。
人から譲り受けた古い車種のため、そういうトラブルもあるのだろう。
「そうだったんですか。修理だけじゃなくこんなに綺麗にしてくれて、なんてお礼を言っていいのやら」
頭を下げてそう言うと、サツキさんは視線を落として何かを言いよどんでいる様子。
「どうかしましたか?」
「いや、そのバイク直したの、わたしじゃないんだな」
「えっ? サツキさんじゃなかったの?」
「そう。わたしはガレージに入れて部品だけ外したんだ。そしたら電話で用事が入ってすぐに出かけたのよ」
「じゃあいったい誰が……?」
「茉夜だね」
拍子抜けしたおれは目を見開いた。
ということはあの不機嫌少女が作業をしてくれたってわけか。
そういえば途中、店内からいなくなっていた。
もしかしてあの時、怒って場所を変えたのではなく、サツキさんに頼まれてガレージのほうに……。
サツキさんはステアリングに手を置いて話を続けた。
「わたしは修理だけ頼んだんだけどさ。気を利かせて車体の手入れまでしたんだろうね。あの子、わたしと同じで乗り物が好きなのよ」
「おれずっと、あの子に嫌われてると思ってたんだけどな」
「そんなことないと思うよ。ああいう性格だけどさ。嫌ってたらわたしの頼み事だけ守って、バイクを磨くなんてしなかっただろうな。あれがあの子なりの接客なんだよ」
おれは彼女と別れたあと峠を下り、日の暮れる街を走っていた。
今度の日曜日。必ずまた店に行くとしよう。
そして、あの無愛想な女の子に直接お礼が言いたい。
もちろん嫌がられる場合はあるだろう。
ただおれは、今日立ち寄った喫茶店が好きになっていた。