人形
沈黙が支配する執務室で、王は一心不乱に書類に目を通し、指示を書き、書類に判を押していく。いつもと同じく、冷徹に、淡々と。しかし同じように見えて全く違う。心の中に火山が暴れ回り、いまにも噴火しそうな所を、ギリギリ押さえ込んでいたのだ。
ジョゼフはその事に気づいていた。それでも沈黙したまま王の側で、黙々と仕事をこなし続ける。
張りつめた空気を破ったのはジョゼフだ。
「15の小娘に振り回されてお怒りとは大人気ない」
王は沈黙を保ったまま仕事を続ける。
「小娘に夢中になりすぎたのですよ。最近は公務をさぼっては、通っていたではありませんか。貴方らしくない」
あからさまに馬鹿にする態度をとるジョセフに対して、王は沈黙を貫き通した。ジョゼフの方がしびれを切らしたように立ち上がり、王の前に立つ。
「スペルミス13件、報告書の読み間違い7件、指示もれ・捺印漏れが43件。これはどういう事ですか」
ジョゼフの冷たい言葉は、王の心に突き刺さる。マグマが凍り付いたように青ざめた。
「仕事もまともにできないほど恋に盲目ですか……。貴方は何のために、父親を殺してまで王になったのか、鬼畜王と呼ばれても殺し続けるのか」
ジョゼフの切り込むような問いに、王は生気を取り戻したように強い眼差して睨んだ。
「民の為だ。国の為だ、腐った王政をぶちこわして、この国をよみがえらせる為だ」
前王は自分に都合の良い事を言う貴族を重用し、政務を任せきりにして享楽に溺れた。貴族は監視が無い事を良い事に、私利私欲をむさぼり、民を虐げ、搾取され続けた民の怒りがいつ爆発するか時間の問題だったのだ。
このままでは内乱が起き、国中で死体が散乱し、国は滅びて消える。それはフィリップには許せない。
だからフィリップは父を殺した。血に染め上げた玉座に座り、民を虐げ続けてきた貴族を、次々と処罰して殺害。恐怖に駆られた貴族達には「鬼畜王」などと呼ばれるが、民はフィリップを救国の英雄ともてはやしている。
そのために全てを捨てたつもりだったのに、恋愛ごときで、まともに政務も出来なくなっているとは。王として情けないとフィリップは反省した。
「すまない。確かに俺が問題だ。少し頭を冷やしたい」
「そうですね。今の陛下では役立たずですよ」
フィリップは部下の無礼きわまりない言葉を黙殺し、立ち上がった。
「良いお知らせです。まだ確定ではないので、ご報告してませんでしたが、ロンダーク伯爵を罪人に仕立てられそうな話を掴みました」
フィリップはぴたりと体を動かし、ジョセフを凝視する。そんなフィリップを冷ややかに見つめながら告げた。
「ただし……ロンダーク伯爵とともに王妃殿下の罪も免れないかと」
「そう……か……」
フィリップは青ざめた表情で部屋を出て行く。
フィリップはノックもせずに突然クリスティーナの部屋を訪れた。
「陛下……いかがなされましたの? そんな怖いお顔をして」
ソファに座っておっとり微笑むクリスティーナの腕を掴み引き上げる。
「お前の父親もお前も時期に裁かれるだろう」
クリスティーナは何度か瞬いた後、表情を消して一言呟いた。
「そうですか……」
「そうですかではない。死罪になるかもしれないのに、お前は……!」
フィリップが怒っても怯えるそぶりすらない。全てを受け入れる覚悟を持った目だ。
「私は王だ。罪人を裁かなければならない」
「はい」
「だが……俺はお前を愛している。もう待っている時間はない……今すぐお前がほしい」
そう言ったかと思うと、クリスティーナを抱きかかえて寝室に向かう。
「お待ちくださいませ! 陛下」
「待たない。もう十分待った」
ベッドにおろされたクリスティーナは泣きそうな表情でフィリップを見つめる。
「せめて……湯浴みだけでもさせてください。綺麗な姿で陛下に抱かれたいのです」
フィリップはため息をつきつつ、頷いて浴室に向かうクリスティーナを見送った。
しばらくフィリップは待っていたが、突然聞こえた悲鳴に慌てて浴室に飛び込む。メイアという召使いが床を見下ろして震えていた。
「お嬢様! お嬢様!」
クリスティーナは床に倒れてぐったりしており、苦しそうな呼吸で体をビクビクとふるわせている。床には血があふれだしていた。しかしこれはクリスティーナの血ではないようだ。彼女がジョセフィーヌと名づけた蛇の死体が近くに転がっている。
「落ち着け。この蛇は毒蛇だったな」
「は、はい……毒の牙を抜いたから、安全と……」
牙は抜いても、体中の毒は残る。それをクリスティーナは口にしたのだろう。
「医者を呼べ! まだ生きている。間に合うかもしれない」
そう言ってメイアに医者を呼ばせに行かせると、クリスティーナの口に水を大量に飲ませ、吐かせてを繰り返した。