夜伽
少しづつクリスティーナとフィリップの関係は親しくなっていった。夜の寝所を共にする事は無かったが、ともに公務を行い、合間に一緒に食事やお茶もする。
蛇にはもう馴れたのかフィリップは気まぐれにクリスティーナの元に訪れるようになっていた。
その日も昼下がりにふらりとフィリップがやって来た。
「陛下。ごきげんよう。お茶ですか? それとも……」
出迎えようとしたクリスティーナを引き止めてフィリップは笑う。
「いいから隣に座れ」
「……はい」
大人しくソファに並んで座ると、いきなりフィリップが横になって、クリスティーナの膝に頭を乗せる。
「陛下……お休みになるのでしたら、ベットのご用意を……」
「このままでいい。このままがいい……。この後も公務があるから、少しだけ眠る。だからこのままが良い」
そう言ってフィリップは目を閉じて安らかな寝息を立て始めた。メイアに毛布をかけてもらった後は、召使いを皆さげて、2人だけになる。
クリスティーナは安らかに眠るフィリップの寝顔を見て、顔をほころばせながらそっとフィリップの頭を撫でる。さらさらと綺麗な髪をくしけずり、頬を撫で、顎に触れ……そして喉まで手を伸ばして、そこで手が止まった。
今この首を締め上げたら、あっさり死んでしまうかもしれない。そう思わせるほど無防備な姿だった。鬼畜王と言われ、恐れられたはずの男とは思えぬ無防備さ。クリスティーナの手が喉に止まったまま震える。
「殺したいなら……殺しても良いぞ」
フィリップは目を閉じたままそう呟いた。クリスティーナは驚き、戸惑い、震える。
「な、何をおっしゃってるんですか?」
フィリップは目を明けてクリスティーナを見上げている。青ざめ動揺する少女の顔を見て笑いながら起き上がった。
「父親から俺を殺せとでも言われているのだろう?」
「ち、違います……そのような事……」
「命令ではなく、お前が殺したいと思ったら、いつでも殺せ。惚れた女の為なら命くらいさしだしてやる」
クリスティーナの顔をまっすぐに見つめる姿は真顔だ。青ざめたクリスティーナの頬が染まり、動揺のあまり目をそらす姿を愛おしそうにフィリップは見つめる。
「……言ってみたかっただけだ。ただの夫なら殺されてやっても良いのだが、俺はこの国の王だから、簡単にくたばるわけにもいかない。だから殺されてやれないな」
クリスティーナの頭をぽんぽんと叩く。未だにクリスティーナは動揺から立ち直れず、青ざめたり、顔を赤くしたり、忙しい。これほどまでに表情がくるくると回る姿は初めてかもしれない。
「俺は……お前の母親を愛していた……昔の話だ。結局結ばれずに嫁いで行く姿を見送るしかなかったがな」
クリスティーナの動きがとまり、動揺した表情が穏やかな微笑へと変化する。いつもどおり、完璧に美しい笑顔だ。
「初めは……手に入らなかった昔の女の代わりに、良く似た娘が欲しいと思った。お前を身代わりにしていたんだ……」
「はい……」
まるで他人事のように、穏やかに受け止めるクリスティーナの姿を、悲しそうにフィリップは見つめる。
「でも今は違う。もう……お前にカトリーヌの面影を重ねたりはしない。クリスティーナ。お前の方が今は好きだ。お前といると心が安らぐ。奪いたいと思うような情熱ではなく、そっと抱きしめたいような穏やかな愛情。こんな愛もあるのだな……」
「陛下……」
クリスティーナは驚きのあまり目を見開いた後、一筋の涙を浮かべた。
「なぜ……泣くのだ?」
クリスティーナは俯いて涙を拭った後微笑む。
「人は嬉しい時にも泣くのですわ」
「そうか……」
フィリップはクリスティーナの肩を引き寄せ、その唇に口づけしようとする。しかしクリスティーナは俯いてフィリップの胸に顔を埋めた。フィリップは口づけをかわされた事に落胆する。
「陛下……今夜、寝所でおまちしています。それまでおまちいただけますか?」
クリスティーナの突然の申し出に戸惑い、しかし次第に喜びがわき起こる。
「もちろんだ。お前を大切にするから……心配するな」
クリスティーナの華奢な肩を、優しく抱きしめて、フィリップは珍しいくらいに優しく微笑んだ。
フィリップが寝所の扉をノックして明ける。中は照明が最小限に抑えられ薄暗くなっていた。見渡すとベットに腰掛ける小柄な人影が。フィリップはできるだけ優しく微笑みながら、ゆっくりと近づく。
近づくと人影が震えているのがわかる。
「まだ怖いか? 無理はしなくても……」
そこまでフィリップは言いかけて違和感を感じる。さらに一歩踏み込んで、顔をこわばらせて、強引にベットに座る少女の顔を持ち上げた。
「どういうわけだ。なぜお前がここにいてクリスティーナがいない」
人影はメイアだった。王の前で怯え、震えながら、たどたどしく答える。
「クリスティーナ様のご命令で……陛下の相手をせよと……」
フィリップの表情が怒りに満ちた。人間怒りが頂点に達すると笑ってしまうのだろうか。フィリップは恐ろしいほど壮絶なまでに笑っている。
「その命令に大人しくしたがい、代役を受け入れる……馬鹿者が」
鬼畜王という名にふさわしい、残虐な笑みを浮かべて、フィリップはメイアの唇を奪った。