花籠
「どいつも、こいつも、腐った奴らばかりだな。反吐が出る」
「口汚いですよ。国王陛下。仮にも国の王なら、もう少し言動を……」
「お前以外に誰も見ていないのだ。取り繕う必要がどこにある」
国王フィリップは書類に目を通しては、走り書きをくわえて判を押す。民衆からの陳述書には、貴族の圧政を訴える物ばかり集まっている。まともな貴族はいないのかと王が嘆くのも無理は無い数だ。
「それで……王妃殿下の事はその後どうなったのですか?」
フィリップのこめかみがぴくりと動き、書類を書く手がとまる。
「……蛇女の話をするな。今は関係ないだろう……」
断言する割には歯切れが悪い。どこか迷いがある。
「もしかして……蛇が恐いのですか……」
にやにやと笑うジョセフを睨みつける。
「怖いわけではない! 蛇に名前をつけて可愛がる女の神経などわかってたまるか!」
フィリップが昔蛇に噛まれかけ、トラウマになった事をジョセフは知っていて、笑いをかみ殺す。
「ロンダーク伯爵に聞いてみた所……実家では15匹も飼っていたそうですよ。結婚後連れて行くなと言ったら、泣き出して食事も飲み物も取らなくなって、衰弱しそうになったから、諦めて1匹だけ連れて行かせたと。……花や蝶を愛でる普通の姫君でなくて良かったのでは? 蛇を恐れないなら、鬼畜王も恐れない強い精神を持っているでしょう」
フィリップは苛立たしげにペン先をおろすと、書類をどけて手を机に叩き付ける。
「お前の小言はうんざりだ。気分が悪い。少し外の空気を吸ってくる」
王が王妃とまだ契りを交わしていないどころか、王妃に近づきもしないというのは、国にとっても大問題であった。単純に蛇が恐いのを笑っていられない事である。
「蛇愛でる姫君……面白い。物語の世界なら笑って済ませられるのですけれどね……」
ジョゼフは苦笑いを浮かべて、こめかみを人差し指でとんとんと叩いた。それは何か考え事をする時の癖だった。
フィリップは執務室を出て庭を歩き始める。考え事をする時、庭をあてどなく歩く癖があった。どこを歩くか決まりは無い。歩きながら考える事で良い考えが浮かぶ事が重要だ。
一番の悩みどころである、王妃の問題は棚上げにし、政務に関する重要ないくつかを考えながら歩く。その時花畑にしゃがみこむドレス姿の少女に気がつき驚いた。
クリスティーナだ。片手に花籠を持ち、手が汚れるのも気にせず花を摘んでいる。無邪気な子供のような姿に、フィリップはどこか安堵する。
年不相応に落ち着きすぎた少女だと思っていたが、子供らしい一面もあるのだと。
「今日は蛇と一緒ではないのか?」
「陛下…。ごきげんよう。ジョセフィーヌは部屋に。皆が怖がるから、部屋から出してはいけないと言われているので」
クリスティーヌの表情はがらりと代わり、整いすぎるほど美しい微笑をする。フィリップは少しだけ話しかけたのを後悔した。あのまま眺めていた方が良かったと。
「手や服が汚れるぞ。花を摘みたいなら侍女にやらせればいいのに……」
「まあ……本当に。こんなに汚れてメイアに怒こられるかしら? でも一度やってみたかったのです。手が傷つくから花に触れる事さえ禁じられた。外に出るのも稀で、出かけるなら日傘と手袋。そうやって私は「美しい人形」であらねばいけなかったので」
作られた人形。人としての感情を押し殺し、周りからの圧力と戦い続ける。それはフィリップと何も変わらない。
「もしかして蛇以外に友達はいなかったのか?」
「そうですわね……メイアは、侍女の中で一番仲が良いけれど、召使いである事に変わりはないし、友達……はいませんね」
蛇を可愛がる孤独な少女。その顔は昔愛した女とそっくりで、フィリップはたまらずにクリスティーナを引き寄せて抱きしめた。
「陛下?」
「蛇が友達でも良いが、もう少し友人を増やせ……周りが敵だけ……というのは辛いぞ」
クリスティーナは優しく微笑みながら見上げる。
「私は陛下の味方です」
「嘘をつけ……お前は恐れているのだろう……私を」
「どうしてですか?」
「初夜の夜。お前は微笑みながら震えていた。他の者は気づかなかっただろうが、お前はなにかを恐れていた。何を恐れているのか知らないがな」
クリスティーナは大きく目を見開いて、瞬きをする。
「それで……私に手出し……なさらなかったのですか?」
「怖いなら無理をするな。俺が怖いのではなく、行為が怖いというのであれば、お前の気持ちが収まるまで待つ」
クリスティーナの頬が薔薇色に上気し、花がこぼれるような愛らしい笑顔を浮かべる。
「陛下……お優しいですわね」
「……そんな事は無い」
一瞬クリスティーナの笑顔に見蕩れたフィリップは、それを恥ずかしがるように、急に突き放して足早に立ち去っていく。後に残されたクリスティーナは、その後ろ姿を見続けた。
「お優しい方……あの方を愛しているのかもしれない……だから……辛い」
花籠が地面に落ちて転がる。クリスティーナは自分の手をぎゅっと握りしめながら、心の中の嵐が通り過ぎるのを待っていた。
「それで新しいお友達がこれですか……」
メイアがため息をつきつつ微笑む。主人が人形を抱えて子供のように無邪気に笑っているからだ。
「陛下がくださったのよ。カール・グスタフの作った傑作ですって。とっても綺麗な子」
「殿下の方がお綺麗ですよ」
「そんな事ないわ。この子の方が綺麗よ。イレーヌ……そう呼ぶわ。ねえ。櫛を貸して。イレーヌの髪をすいてあげたいの」
こんな子供らしいクリスティーナを初めて見たメイアは、喜びのあまり泣いてしまいそうだ。そしてその微笑みをもたらした、男の事を思い少しだけ胸が締め付けられる。