法廷
「被告人に最後の弁明の場を与える」
天上が高く、人の密度の濃い広間で、さざ波のようなざわめきが、ゆっくりと収まっていく。
裁判所には裁判官である国王の席が中央の高い所に作られ、左右に弁護人と検察官が別れる。国王と向かい合う席にいるのが被告人。
そして彼らの周りをぐるりと囲むように傍聴席があった。片側には二階席まであり、今日はそこもいっぱいになるほど、人が集まっている。
「し、知らなかったのだ。昔、少し情をかわした召使いに子がいた事など知らないし、ましてや雇っていた召使いが自分の子供だなんて、思っても見なかった。知らずに関係を持っていたのだ。不可抗力だ」
被告人がそう反論すると、検察官は鋭い言葉を浴びせる。
「他の召使いより多い金を、母親に渡していたと言う証言があります。母親と接触していたのなら、自分の娘だと認識できたはずだ」
「裁判官、意義を申し立てます。被告人は直接娘の母親とは会っていません。給金を弾んだのもただの召使いではなく愛人だったからで、娘だと知っていたからではありません。実際娘が働き始めるまで、一切養育費は支払われていないのです……さらに」
弁護人の言葉を遮るように、裁判官が大きく鈴を鳴らす。それは静粛にという合図だった。室内の全ての人間が裁判官の言葉を、固唾をのんで見守る。
「知っていたか、知らなかったか、そこは問題ではない。血のつながった娘と関係を持った。それがギルティ……有罪だ」
被告人は真っ赤な顔で怒りだして裁判官に食って掛かる。
「近親相姦は死刑などと、100年間実施されなかった古い法だろう! それを今更持ち出してきて、私をはめようなどと……」
「意義は認めない。静粛に」
被告人は刑務官に取り押さえられ、口を塞がれる。
「例え古い法でも、廃止されてなければ生きている。そしてこの国は法治国家である。法を犯せばどんな身分の者でも裁かれる。それがこの国を支える柱だからだ。以上」
裁判官……国王フィリップは、立ち上がるとその長身の高さが周囲に威圧感を与え、氷のように冷たい灰色の瞳で見つめられると、死を覚悟する程にぞっとすると噂されていた。
フィリップは美しい男である。まだ33歳の若さで国王でありながら重い威厳に満ちており、整いすぎた風貌は、知的で鋭い刃物のようだ。
美しい……しかし恐ろしい……だから美しくても女は近寄らない、そんな空気を醸し出している。有罪判決を翻す気もなく、フィリップは背を向け退場して行く。傍聴席からひそひそと「鬼畜王の酷い仕打ちが……」などとフィリップの悪い噂が囁かれても、無関心で出て行く。
裁判所を出ると馬車が用意されており、その中で秘書官のジョセフが待っていた。ジョゼフは見た目平凡な中年の男に見えるが、表情の変化に乏しい為に、何を考えているのか、わからない所がある。
「お疲れさまでした」
「ジョセフお手柄だ。よくあんな古い法律を探りだしてきたな。証拠集めの手腕も見事だった」
「お褒めいただき光栄です。陛下。それではアイツは……」
「死刑だ。これでまた一つ国に巣くうダニが消えた。私は綺麗好きだからな。汚いものは徹底的に排除する」
舗装されてない道を走ってるのか、時折揺れながら速い速度で馬車が走って行く。しばらく2人は無言でいたが、フィリップが窓の外を眺めながら言う。
「ロンダーク伯爵の隙は見つかりそうか?」
「今の所は何一つ。怪しい事は数多くあるのですが、全ての証拠がロンダークに行き着く前にもみ消されます。あれほど見事に隙を見せないとは……」
「お前を手こずらせるとは……。まあ、15年私が狙い続けた獲物だ。それだけしぶとくても仕方が無い。アイツだけは……絶対に叩き潰す」
そう言った時に少しだけ、冷たい表情に熱がこもる。目の奥でメラメラと炎が燃え滾っている。
「それほどまでにロンダーク伯爵を憎んでいらっしゃるのに、なぜ伯爵の娘を妃にされるのですか?」
「伯爵が溺愛する娘と結婚したら、なにか弱みを見せるかもしれないからだ」
そう言ってフィリップはわずかに笑った。口のはしだけつり上がる、薄気味悪い笑い方だ。こういう時フィリップが悪巧みを考えている事は、長い付き合いのジョセフにはわかった。
「本当にそれだけでしょうか? まだカトリーヌ様に未練が……」
「それ以上言ったらお前もギルティだ」
「私を裁く法があればお答えください」
「国家反逆罪だ」
「証拠不十分で不起訴処分でしょうね」
ジョセフは微塵も動揺を見せずに切り返す。有能過ぎて煙たい。そういうたぐいの人種であった。フィリップはこうなると押し黙る事しかできなくなる。ジョセフは矛先を変えて話題を提供する。
「今夜……初夜ですか。古式ゆかしきしきたりとはいえ、国王である貴方が『夜ばい』などしなくても……」
それはこの国の古い風習だった。新婦は実家の自分の部屋で待ち、新郎が忍んで来て『夜ばい』をし、自分の家に連れ帰る。これが昔からの風習だ。すでに廃れて守る者も少ない。
「この国の法と風習を守るのも王の勤めだ」
まるで気持ちのこもっていない、空っぽの言葉をジョセフは黙って受け止める。鬼畜王と呼ばれるこの男は、本音を話す事が非常に少ない。ジョセフは例外的に親しく話しているが、それでも踏み込めない一線がどこかに存在した。
誰にも踏み込ませない孤高の存在は、どれほど味気ない人生か、理解できる者は神以外いない。