帰ろう?
やっと新作っ!
―――…ザァァァァァァァ……。
……雨は、全てを濡らし、洗い流す。
道を、家を、車を、私を……―――全てを。
―――しかしそんな雨に濡れている筈の私は――綺麗にはならない、元には戻らない。
既に人間では無くなった私。
『t-07』と言う名前を付けられた、私。
灰色の毛に全身を覆われ、獣も化した、私。
――…なのに、彼は……。
「やっと見つけた……。さぁ、帰ろう?」
そう言って、彼は私に傘と、自らの掌を差し出した。
―――私は、彼を傷つけた。
……なのに、彼はそれでも私に―――手をさしのべた。
ゆっくりと、彼の事を見上げる。
……手をさしのべてくれた彼の顔は…―――…私自身の雨に歪み、見えなかった。
―――……私は、何処にでもいる普通の……、長谷川美姫と言う名前の、人間だった。
只、仕事をして、友達と時々遊びに行ったり、彼氏と飲みに行ったり、泣いたり笑ったり……。
確かに―――、普通の、人間だった。
ある時、私はあるバイオテクノロジーの研究所の短期バイトに応募し、合格した。
……内容は、新薬の被験者だと、聞いていた。
―――当時、付き合っていた彼、真壁侑紀は、その事を私から聞かされると、
「おいおい……、やめとけよ。」
と、私を止めた。しかし私はそんな言葉など一切聴かず、実験に参加した。
―――……それが、余りにも辛い現実の、始まりだとは知らずに……。
―――……あの実験で、私は人を捨てさせられた。
私は、人間だった頃の全てを奪われた。
何度も実験を繰り返され、何度辛い思いをしたのだろう?
――……狼となった私は、人語を喋る事も出来ないのだ。
……辛い、辛かった。
……だから私は、逃げた。
―――雨の中、私は走った。
冷たい雨、その中で走る私の身体……、あって欲しくない獣毛も濡れぼそり、冷たく、重かった。
そして土手を歩いていた私は、突然誰かに捕まった。
「……大丈夫か、わんこ?」
心配そうに、彼、侑紀は、私の身体を抱き抱えながらそう呟いた。
―――……それから、私は彼に飼われる事となった。
侑紀が私を拾った理由は、単に「可哀想だから。」だったらしいし、彼は一切私である事は気が付いていないらしかったが、それでもペットとして……―――愛情を注いでくれた。
侑紀はやはり優しかった。私は彼の事が今も好きだ。しかし彼に想いを伝える事は出来ない、が―――、それでも、構わない。
……何故なら、彼と一緒に居られるからだ。
彼の部屋には、今も私の人間の頃の写真が置かれていた。
私に、私が早く帰ってきて欲しい。そう愚痴を漏らす時もあった。
………私は、こんなにも近くにいるのにね……。
―――……梅雨時の、ある日の事だった。
彼が、何時もの様に私の身体を洗ってくれた時だ。
シャワーヘッドから私にかかった水は、彼が間違えたのかお湯ではなく水で、あまりにも冷たくて……。
『寒い!!』
私はそう叫んだ―――、すると、私の鋭い耳に『サムイ!!』と言うしゃがれた声が聴こえた。
「……し、喋った……。」
彼はそう私に向かってそう言った。
……私は振り返る事が出来ない。
ふと、彼の左手が、私の身体に触れる―――私はその手に、噛みついていた。
「痛ッ!?」
彼のそんな声、そして口の中一杯に血の味が広がる。
―――怖くて……、噛みついたのは、獣としての本能……?
全身がガクガクと震える。私がもはや人間じゃないと、改めて思い知らされた。
……そして私は、逃げた。
―――梅雨の、温い雨。
その雨に私の肉体は濡れる。
……雨は、全てを濡らし、洗い流す。
道を、家を、車を、私を……―――全てを。
―――しかしそんな雨に濡れている筈の私は――綺麗にはならない、元には戻らない。
いくら彼を愛していても、いくら幸せになりたいと望んでも―――それでも、幸せにはなれない。
土手を歩く私、行く宛もなければ、目的も無い。
……ただ、逃げただけだ。
まだ、口の中には彼の血の味が残っている様な気がして―――、彼を傷つけた自分に、嫌悪感を覚えた。
――ブッブー!
そんな音がして、振り返る。
大きなトラックが、私に向かって走ってきているのが見える。
……もう、死んでもいいや。
私は―――避けなかった。
――ドザザザザザッ!!
感じたのは、私の身体を包む、温かいもの。そして私はそのもの、と回る。
回転が止まり、瞳を開いた私は、絶句した。
私の身体を包んだ、温かいものは―――彼、だったのだ。
「……大丈夫か?わんこ―――、いや、美姫、か?」
彼は得意気な笑みを浮かべながら、そう言った。
私は彼から離れる。
全身がガクガクと震える。
『……ナンデ、ワタシハアナタヲキズツケタノニ……。』
人間の頃とは面影の無い、しゃがれた声。
そんな、そんな私の現在の声を聞いた彼は落ちていた傘を拾い上げると、
「……お前を飼ってさ。なんかよくわからないけど、ずっと、お前が美姫みたいだなって思っててさ……。
そしてお前が喋った時、俺は、『こいつは美姫だって。』、なんかよくわからないけど確信したよ。
……俺はずっと、お前が居なくなってからずっと、お前の事を、探してたんだ。
……そして、やっと見つけた……。さぁ、帰ろう?」
そう言って、彼は私に傘と、自らの掌を差し出した。
―――私は、彼を傷つけた。
……なのに、彼はそれでも私に―――手をさしのべた。
ゆっくりと、彼の事を見上げる。
……手をさしのべてくれた彼の顔は…―――…雨と、涙に歪み、見えなくなる。
『……ワタシ、ナイテル。』
……まだ、人間としての部分が、私には残っていたんだ……。
彼は突然、私を抱き上げる。
そして言った。
「―――……ったく、手間かかせやがって。」
――彼の温もり、彼の匂い、その全てが感じられる。
私は彼の胸に顔を埋めながら、
「……ゴメンネ。イタカッタヨネ?」
そう私が言うと彼は、
「……別に、痛く無い。」
と、ぶらっつきぼうに言った。
――それから、二人とも少し沈黙する。
私は、その沈黙を解き、彼に言った。
「ネエ、モウワタシハニンゲンジャナイケド……。デモワタシハアナタヲ―――アイシテル。』
そう、彼に言うと、彼は突然私に―――キスをした。
……長い時間のキス。
「……そんなの、関係ない。俺もお前を愛しているから。」
彼はそう、言った。
私は再び彼の胸に顔を埋め―――泣いた。
―――温い雨の中、私達は再び結ばれた。
――ありがとう、そして、愛してる。
今の感情は、それだけだ。
完
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