1-3 それは突然に
外へ飛び出し、全員が言葉を失った。もちろん、ベンも例外ではない。つい先ほどまで人々の笑い声で溢れていた街の姿が嘘のようだ。あらゆる建物がリーベ同様「断ち切られて」いた。
「何か」は北の方角からこの街を破壊したらしい。その証拠にこのイルスの真北に立つ大きな建物、闘技場はその原形を留めてはいなかった。
多くの人で大通りはごった返している。幼い子供たちは泣き声を上げながら親の名前を呼び、大人たちは小さく祈りの言葉を囁く。
人々は身を寄せ合い、ただ、恐怖に耐えていた。
「……ったく、何がどうなっているんだ!」
似たような声があちらからもこちらからも聞こえてくる。無理もないことだ。
「こんな突風、初めて見たぞ。」
「もう一度吹かれたからには……俺たち、終わるな。」
本人は何の気なしに呟いたのだろうが、辺りは一瞬にして静まり返った。
「冗談じゃねぇ!ンなもん、2回も3回も吹かれてたまるか!」
「俺だって同じ思いさ!けど……考えずにはいられないだろ!」
「だな。このご時世、何が起こるかわかったもんじゃねェし。」
「もうやめて!嫌よ、そんなの。」
ざわめきが次第に大きくなり、街はパニックに陥る。このままだと収拾がつかなくなるだろう。
「ベン先生……。」
リーベ門弟の一人がベンのマントを掴んだ。ベンは周囲を見わたす。弟子たちの顔はどれ一つとして不安に怯えてなどいなかった。突然のことに驚きを隠せてはいないが、全員が強い意志をもった瞳でベンを見つめていた。
「師匠教えてください。ここ、イルスでは何が起こっているのですか。」
いつになく真剣なセミリオの問いに決意を固める。答えるように一つ頷いて、手近な瓦礫の上に立った。
「全員聞いてくれ!」
ざわめきがピタリとおさまる。
「俺はベン・リーベ。剣術道場リーベの当主だ。」
「ベン先生だ。」
「先生じゃないか。」
多くの人々の顔が希望に輝いた。
「先生。一体この街に何が起こっとるんじゃろうか。」
「今から言うことを落ち着いて聞いてほしい。」
ぐるりと人々を眺め、意を決して口を開く。
「この街、イルスはおそらく……崩壊する。」
ハッと息を呑む声は想像していたよりも少なかった。懐から手帳を取り出し、ベンは続ける。
「多くの人が知っていると思うが、先週、中枢都市のひとつであるオルドが崩壊している。似たような状況でだ。」
そうか、と声には出さないまでも大多数が目を伏せた。
運ばれてくる新聞は1週間遅れているとはいえ、この街の住人にとって貴重な情報源だ。僻地に住む自分たちと世界を繋ぐ、唯一の生命線なのである。
今日ベンが目にした記事は、決して小さなものではない。知らない者はほとんどいないはずだ。
だからこそ、怖れた。
隣街を襲った現象を。
イルスが半壊した今、この街もオルドと同じ運命を辿るのではないかと。
「しかし何故イルスまで……。」
「思い当たる節が無いわけではないが、何しろ不確定要素が多すぎる。今は結論を出すより、ここから逃げることだけを考えた方が良いだろう。―――リーベ生、全員整列。」
唐突な号令にもかかわらず門下50人は一糸乱れぬ動きで隊列を成した。
「怪我人の有無を確認、いたなら応急処置をしろ。重症の場合は各自常備の『キズ薬』を使え。マリヴェラ班は町長の保護、住民戸籍を受け取っておくこと。大体の状態を見終わったら、全員で列をつくり南門からまっすぐ街道を下るんだ。駅があるはず。そう、大陸鉄道でここから遠くへ行く。車掌に俺の名を伝えてくれ。レル、行けるな。」
「はい。でも……大陸鉄道なんて貴族が乗るものでしょう。正直、見たことすら。」
「大丈夫だ。俺の名を言え。戸籍を渡せば後は何とかなる。―――よし、散れ。」
そこから全員の動きは迅速だった。ある者は瓦礫をどけ、ある者は怪我人の手当てをする。
「怪我人がいたら教えて下さい!無事な人は南門前で待機ッ!」
「南東区確認終了、中央区の援助に向かいます!」
「こっちに重症者数名、右大腿骨損傷の可能性、誰か手を貸して!」
よし、と小さく頷く。一番の懸念はプライドだけは無駄に高い警備兵の存在だったが、上手くリーベ生と連携を取れている。「お前ら一般市民に指図されるほど腑抜けてはおらぬ」と単独行動されるのではと不安だったのだ。
ベンに言わせてみれば「リーベ門弟の腕は一般市民の枠内に収まるモンじゃない」レベルなのだが。子どもであれ兵士と互角、それ以上に渡り合う程度の力は持っていると信じている。それは剣の技術だけではなく、精神の面でも。このような状態でも一人一人が成すべきことを成している。
自然と口元が緩んだ。このままならうまく全員で街を出られるはずだ。
「行ける者から街を出ろ、レル!先導を……」
―――ざわっと空気が揺れた。
ぐっ、と声が喉で詰まる。首筋にはしるピリッとした痛み。反射的に振り返る。ベンだけではない。日頃から鍛練を行っていた者はもちろん、そうでない人々もハッとして北門――南門とは真反対に位置するもう一つの出口だ――の方を見つめる。
崩れた北門からのぞく地平線、ほのかに光る青い一筋。それが何であるか、など分かるはずもない。だが誰もが直感的に理解した。
先程の突風と同じものではないか、と。
「急げ!」
そう叫んでベンは単身北門へ走り出した。街の人々は警備兵の指示に従って南門から一気に街道を下っていく。
見渡す限りの地平線を染める青い閃光を見据えながら、ベンは背中から長剣を抜いた。
「アレ」がもし、襲いくる剣筋と同じようなものであるとしたら。
魔法という存在は太古の昔にこの世界から消滅した。それ以前にそんなものは端から存在していなかったとベンは信じている。
……だったら「アレ」は何だ。
先程街を襲った不可解な風。建物の壁は美しく断ち切られていた。人間技ではない。だが一つだけ。
「アレ」が巨大なカマイタチのようなものであったとしたら。
街を丸ごと一つ崩壊させるカマイタチなど考えるだけで頭が痛くなる。しかしカマイタチで大木一本を切り倒す程度なら可能だ。実際に腕の良い木樵はカマイタチによって材木を調達している。一気に切り倒すため、効率が良いうえに必要以上に木を傷つけないというわけだ。何らかの方法で威力を増幅させることが出来たならば。そんなことが可能ならば。
ああ、これか。絡まった記憶の糸が少しだけほどけた。先程の違和感の正体が一つの仮定に辿り着く。
「思い当たる節が、無いわけではない。」
迫り来る「アレ」が先程の一撃と同等かそれ以上の威力を有しているなら、今まさに逃げようとしている人に直撃しかねない。街の住人、そして……家族同然のリーベ生たち。
何としても、止めなければ。
北門まで辿り着き、剣を正眼に構える。眼を閉じ全神経を集中させて、来るべき何かを静かに待った。