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九城霊異記  作者: pepe
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7幕:霊子

 九城霊子力発電所は、市街地から二十キロほど離れた場所にある。市街地から遠すぎず、しかし近すぎず。その発電所が、まさに九城市のためだけに建設された事実を示す距離だ。

 問題は、歩けば五時間以上もかかってしまう距離だった。

 非常時である。そんなに時間をかけることはできないし、かと言って、車やバイクを使おうものなら、親衛師団の道路封鎖に引っかかってしまう。しかしながら、発電所までメノウたちが辿り着けたのは、まさにその非常時であったからだろう。

 持たされていた身分証が役に立った。秋島の直筆サインの入った、臨時パスである。もう作戦は終了しているのだから、それは正式には失効しているのだが、事情を知らない相手には十分な効力があった。彼らはそれを使って、警察の装甲車両を運転手ごと徴用したのだ。

 タイヤに悲鳴を上げさせながら、時速八十キロで疾走してきた装甲車は停止した。ゴムの焦げる悪臭がパッと風に吹き散らされる。メノウと直行は、装甲車から飛び降りた。

「ありがとう!」

 礼を言うと、装甲車を運転してきた男は、ヘルメットの縁を触るような仕種で、愛嬌のある敬礼をしてくれた。

「お嬢さん方でだいじょうぶなのか?」

 それはやや疑念の濃い質問だった。相手は自分の半分ほどしか生きていない少年少女なのだ。霊捜局の特務員だからと言って、安易に信用はできなかった。こんな子供たちに、なにをさせようというのか。

 直行も同様の疑念を払拭しきれないでいる。考え込むように黙り込んで、珍しく道中はメノウに任せたまま、一言も喋ろうとはしなかった。

「うん。ここまで運んでもらえれば、後は……」

 男の視線を自分に引きつけるようにして、メノウは余裕を見せながら答えた。

 自分でも、よくもまあ言えるものだと思う嘘だ。ただし、一人増えたところで、どうなるものではないというのが、メノウの直感だ。二人でどうにかならないなら、三人いても結果は同じだろう。

 それに――ぼろぼろの装甲車を見ながら、メノウは少し反省した。封鎖の突破ぐらい、装甲車であれば楽にやれると思った甘さを反省したのだ。

 当たり前の事だが、親衛師団はプロだった。警察などが装甲車を持っていることを知っていれば、当然、対応してくる。検問には軽量ながら対戦車砲や、重機関銃が配置されていた。装甲車についた弾痕は、その傷痕だった。もし、運転手の技倆がなければ、対戦車砲に撃破されていただろう。加えて、機関銃の貫通弾で負傷者が出なかった要因は、半分以上が運で占められている。

 これ以上、必然のない危険に巻き込むのは、気が引けた。それこそメノウの甘さなのだろう。運転手の男が、封鎖を突破する危険を考えていないわけがないのだから、それは見くびりとも言えた。が、まだメノウは十六歳なのだ。自分は常にきれい(、、、)でありたいと考えるし、自分を中心に世界が回っていると感じている年頃にすぎない。他人へ向ける感情は、まだいびつ(、、、)で、ぎこちないものだ。

「それじゃあ、行くわ」

 それを最後に二人は、駆け出した。それを見て、運転手は装甲車を再び発進させた。戻るのも難しいだろうが、今はどこも人手が足りない。愚痴を言っても仕方がなかった。

 走り去る装甲車を、音で感じながら、メノウは前方の建物に目を向けた。それは、思っていたより小さな建物だった。

 霊子力発電所と大仰な名前だが、地上は平屋建ての建物が広がっているに過ぎない。敷地は広いが、そのほとんどが雑木林で埋められている。発電所の主要な施設は地下にあった。変電所までは地下トンネルで電線を通しているので、頭上に電線があったり、電信柱が林立しているわけでもない。

 そうした配慮は、作った連中が戦中派の人間だからだ。前大戦で空爆という概念が発達すれば、中枢施設は地下へ潜るしかない。フランスだかの軍人が言ったように、完璧な防空というのは、完全に不可能(、、、、、、)なのだ。

 電線が地下を通るのは、同時に技術的な問題からで、工業基盤の水準の低さと物資の不足で、戦後しばらく、まともな被覆電線が作れなかったから、雨のたびに漏電するという切実な事情があったのだ。

 ともかく、地上建物に比べて広い敷地を囲った塀に開かれた門には、『九城霊子力発電所』とブロンズ板に刻印されていた。間違いないらしい。

「どうするの?」

 木立に隠れて、メノウが尋ねる。門の周辺に見張りの気配はない。

「どうもこうも、行ってみるしかない」

 彼らしからぬ発言に、思わず振り返って、ぎょっとした。

 直行の姿は目立って見える。着替える暇のなかった派手なシャツもそうだが、こうした場所での隠密には慣れていないのだ。となると、自分もそうなのだろう、ぐらいには想像力は働いた。

「どのみち、おれたちだけじゃ、ここの制圧なんて無理だ。敵におれたちの存在を知らせなくちゃならない」

「でも、二人だってばれたら、危ないんじゃないの?」

「それはそうだけどな……」

 逆に言えば、対処可能な相手と見れば、敵は自力で排除しようとするだろう。霊子炉が切り札なら、安易に使いはしない。

 そこに付け入る隙を見出すしかないのだが、メノウの言うとおり、危険なことは間違いない。だが、ここまで来て、危険性を議論したところで意味がない。

 決断すべきだ。手に汗を握って、直行は相棒に視線を送った。迷うべきタイミングは、とっくに過ぎている。危険を承知で強行すべきだ。

「分かったわよ。やるしかないんでしょ」

 渋々といった口調で応じたメノウを見て、他人の命を預かるということは、重いことなのだと、今さらながらに思う。できれば負いたくない重さだったが、覚悟はあるつもりだった。

「動きがないな。地上階には、見張りが配置されてないと思う」

 どうだ、とメノウに訊く。こればっかりは自信がない。

「分からないけど、軍隊じゃないなら、狙撃銃はないでしょ?」

「どうだかな……クーデターに一枚噛んでる連中だ。武器を横領してないかどうかなんて、分かるもんか。ただ、上に居ないとすると、それなりに厄介なんだ。地下の構造がほとんど分からないからな」

 さすがに黒龍会も、気前よく見取り図まで置いていてはくれなかった。頼りは、直人の記憶から書き出した、手書きの見取り図だけとなる。それも以前、東京で使われていた方の発電所だ。

「おそらく、大幅な変更はないはずだ。設計を変えるような手間もかけられない、逼迫した状況だったはずだ。設計するような人材もいたかどうか、怪しい」

 それが直人が施設構造も東京のものと同じだろう、と推測した根拠だった。説得力はあるんだ。直行はそう思いながら、でも、それは確証じゃない、とも思う。勇み足はしない若者だ。もっとも、メノウと対極にあるそうした性分は、逆に慎重すぎて踏み出せなかった悔恨を苦く残す。

 自分でも、嫌になるくらい臆病なのだ。その自己嫌悪がメノウと組んだ理由の一つである。そして、その思いが、今の直行の背を押しているとも言える。

「分からないうちは仕方ない。とにかく、行くぞ」

 言い切ったが、仕方ないで死ねるほどには生きていない。半分は、自分を鼓舞するための言葉だ。そうしながら、真っ先に飛び出したのは、「自分が陽動で、メノウがトドメ」というセオリーを意識しないレベルで覚えているからだ。身体が、頭が、というようなものでもない。生き残るための、本能のようなものとでも言うべきか。それを実践できている自分が嬉しい。それは生き残れるという嘘を与えてくれる。

 ぱっと雑木林を飛び出して、正面玄関の横合いの壁に飛びついても、狙撃はなかった。反応すらなかった。やはり、地上は無人なのか。

 職員はどうなったのか、と思って、考えるのをやめた。人質は霊子炉だけで十分なはずだ。余分なものは始末しておくにこしたことはない。予想外の事態を減らすためにも……。

 メノウが遅れて続く。彼女がすぐ後ろに着くと、身を翻すような動作で正面玄関に立つ。両開きのガラス張りのドアからは、真っ直ぐな通路が見えたが、それだけだ。血痕が見えたが、死体は見えない。恐らく、死角で見えないか、片付けたか、どちらかだ。

 直行は慎重にドアに手をかけながら、反応を確かめた。身を滑り込ませる寸前に、メノウにサインを送る。〝五秒待って、追って来い〟だ。

 スラリと刀を抜く鞘鳴りが、思ったより大きく聞こえるほど、建物の中は静寂に包まれていた。血の臭いがしたが、わざわざ確認などはしない。それらは職員のものなのだろうし、生きている人間がいるとも思えない。

 刀の鞘をロビーらしき場所の長椅子に置いた。ここから先、鞘に収めるような事態は、おそらくないだろう。それを思うと肌が粟立った。

 不必要な思考が一切、なされないというわけではなかった。ただ、十分に集中はできていると思える。達人の域には及ばないとしても、まず巧者だろう。慣れない銃を使うよりは、分がいいはずだが、さて……。

 直行は足音を立てないように先へ進む。廊下の突き当りには案内板があった。どこへ行くのかを示すだけのものだが、ないよりはマシだ。

 後ろから、メノウが入ってくる音が聞こえた。

「どう?」

 沈んだ空気に滑り込ませるような声で、メノウが訊いた。直行も声を潜めて返す。

「問題ない。読みは当たったらしい」

 それだけ言って、歩を進める。霊子炉の位置を、まずは探る必要があった。

 それにしても、と直行は引っかかるものを感じる。発電所の建物の中は静かすぎた。血痕が乾いているところを見ると、占拠はかなり前に行われたはずだ。ところが、迎撃の準備もまったく不十分なのだ。

 霊子炉本体には、緊急停止スイッチがある。万一の事態に備え、だれでも、即座に稼動を停止させられるように設けられた、非常用のスイッチだ。それが直行たちの目標である。それを考えると、突入部隊が一人でも届いて、そのスイッチを操作してしまえば、それでこの勝負は終わりだ。再稼動には、専門家でも二日はかかるという話なのだから。

 地上階で迎撃した方が、楽なんじゃないのか?

 一本道の通路を辿るにつけ、直行はそう考えてしまう。地下は補助を含めて三つあるらしい制御室と、緊急停止装置を守らなくてはならない。守備する戦力が分散するし、地上階での劣勢を知れば、突入部隊が到達する前に霊子炉を暴走させられる。

 どう考えても理屈に合わなかった。本気で暴走させる気がないにせよ、こんな強硬な手段を取る連中にしては半端で、不徹底なのだ。

 どこか気に入らないと思いながら、その直感をやり過ごす。そんなのはメノウの役目だ、と思うからだ。あくまで合理的に考えようとするのは、若さというものを考えれば、仕方なかったろう。柔軟さを使いこなすには、まだ経験が足りないのだから。



 九城市の各地で繰り広げられている市街戦は、すでに消耗戦の様相を呈していた。中央発令所は無力化されていても、各地で飛び交う無線を拾うことは許可されていた。占拠犯にしても、情報は欲しいのだ。

 中央発令所の指令席に座りながら、秋島は状況を冷静に分析していた。やれる事がない以上、隙を見出すしかなかった。

「さすが特機。ようやるわ」

 そう呟いた高原少佐は、別の理由で戦況を見たがっているのではないかと思えた。

「特機の奮戦は、味方の苦戦ではないのか?」

 ん、というように秋島を見て、少佐は笑った。

「まあ、最終的には勝つやろうと踏んでますんでね」

 それは嘘ではないかと思った。いや、正しいのだ。だが、どこかその物言いが白々しい。それが秋島の癇にさわるのだが、さすがにぐっと堪えた。

 なおも戦況報告を聞きながら、特機は本当によくやってくれていると思う。自分で育てた組織と、にわかに信じられないぐらいだ。

 おそらく、久瀬大尉か。

 各所で組織だった抵抗を示す特機の動きは、一人の指揮官に掌握されているとしか考えられない。親衛師団の戦車隊まで撃破してのけたのだ。こうなってくると、もう戦局はどちらに傾くか分かったものではない。特機の他にも、首都警察が出ているのだ。質は保証の限りではないが、戦力的には拮抗しているとも考えられた。

 が、特機も無傷ではないようだった。死傷者の名は、それが管轄の部隊であるだけに報告され、その総帥である秋島大佐には、連なった名前による被害の深刻さが実感された。

(歴戦の将兵が、こうも簡単に死んでいく。やはり、親衛師団の連隊を相手にしては如何ともしがたいか。それに、疲労が抜けていない。よく頑張ってくれてはいるが、その中で……)

 戦況を有利な位置にまで持っていけるのか。そこまで届くのだろうか。どうか、と秋島は固唾を呑んで、もたらされる報告に耳を澄ましている。

 それは祈りにも近かった。久瀬大尉は戦巧者だ。しかし、練成を終えたばかりの分隊というのも、決して少なくはなかった。

 ならば、我々も我々の戦いをしなくてはならない。長く息を抜いて、秋島は耳元のイヤリングに手をやった。

「少佐……、博打気分で挑んできたというのなら、それは愚かな事だ」

 うん? と、声を出して、高原は秋島へと視線を移した。

「俄か作りの連携で、この九城を守ってきた我々に歯向かおうと言うのは、笑止。我々はいかなる犠牲を払っても、この砦を犯罪者に開け渡しはしない!」

 最後の言葉は、全館に向けたマイクに向かって言い放たれていた。思わず怪訝な表情を浮かべた高原は、ある可能性に思い至って、背後を振り返り、叫んだ。

「いまのは指令暗号や! 抵抗がある……!」

 その背中に向けて、秋島はデスクの引き出しから素早く自動拳銃を取り出し、構えた。

 FN/M1910〝ブローニング.380〟――ベルギー製の自動拳銃は、生前に父が自費で購入し、長く愛用した物だった。内戦終結と治安回復に死力を尽くした父の覚悟を受け継ぐためにと、常に引き出しの中に潜ませていたものだった。

 高原に注意を向けていた二人の護衛の憲兵に向けて、立て続けにトリガーを引いた。二発が外れ、三発が命中。高原が振り返りざまに拳銃を引き抜いた時には、その背後で護衛の二人が崩れ落ちていた。

「本部要員やからと、嘗めたらいかんかったわけですな。ちゃんと武装解除しとくべきでした」

 すでに自分に向けてポイントされている銃口を見ながら、高原は取り出した拳銃を床に落とした。その時には、拳銃を手に職員が発令所へ飛び込んできている。発令所要員も、それぞれ銃を手にしていた。

 憲兵少佐を警備職員に引き渡すと、秋島はすぐさま発令所の機能を回復するための指示を飛ばした。

「手当ては、生死に関わる者だけで構わん。各小隊に対して通信を開け。現状の再確認。関係各省にも確認を行う。状況は待ってはくれんぞ、急げよ!」

 発令所全体が、今の活劇によって生気を取り戻したように、秋島の指示を実行しはじめた。

 霊捜局が自由になったことに、クーデター派は少なからず動揺するだろう。微妙なタイミングではあるが、勢力が拮抗しはじめた現状を有利に導くための一手にはなるはずだ。

「参りましたわ、どうにも……」

 霊捜局の職員に銃を突きつけられて、両手を上げさせられている高原の姿というのは、思いの外、みじめなものだった。

「最後まで観戦したかったんですがね」

「世の中、そう思い通りにはならんよ……」

 秋島はそう言って、彼に対する興味を失ったように、部下に「連れて行け」と命じた。部下が目の前で撃たれながら、それを露とも気にした様子のない男に、吐き気がした。



 黒龍会の首領、峰島は第一制御室に居座っている。憲兵を通じて、クーデターに参画したわけで、今回の霊子炉占拠も、それに連動する動きだ。

 彼は制御室の正面ガラスに、巨大な霊子炉を眺めながら、上機嫌だった。

 計画では、親衛師団――実際は連隊規模に過ぎないが――と憲兵隊の急襲によって、首都圏の機能を麻痺させる。親衛師団の移動は参謀本部の同志が請け負う。演習計画をでっち上げることぐらい、造作もない。ただ、急襲だけで完全に虚を突けるかと言えば、それはやってみなければ分からなかった。

 それで麻痺してくれる程度の組織なら、とっくに政権は交代しているはずだ。それだけではいかにも温い。確実にするために、第二、第三の策が必要になってくる。

 連隊規模とは言え、親衛師団から抽出した部隊の練度は高い。それで首都の軍事力、すなわち警察と特機を釘付けにする。実際、成功しているはずだ。全体的には五分の戦力なので、消耗戦の様相もあろうが、当初の目的は達成しているはずだ。そこで最初に仕掛けた、憲兵隊による政府中枢への直撃が効いてくる。

 首都の戦力が分断されるように攻撃を仕掛けるし、政府の方は実態を掴んでいないだろう。後は脅しをかけて政権の委譲を迫るだけだ。

 では、峰島ら、黒龍会の動きはなんなのかと言えば、これこそ保険であった。九城を消し飛ばす、という脅しは、自爆覚悟のテロリスト同然で、それは国民に悪いイメージを持たせる。できるなら、最後まで使わないで済ませたい策なのだ。同時に、使えなくとも構うまい、と思われている程度の策でもあった。

 黒龍会の首領は、小さく鼻を鳴らした。

 いざ作戦概要を知らされる段になって、ようやく分かったのだ。峰島には、それが気に入らない。

 政権転覆を狙った連中にとって、峰島は使い捨ての手駒という認識しかない。それがありありと読み取れてしまう配置だった。親衛師団どころか、憲兵隊の一隊すら派遣されはしないのだ。

 ま、しかし……と、彼は思う。その程度を露見させてしまう程度なら、高は知れるというものだ。とするなら、やり様はあった。

 クーデターに参画したのは、野心の為せる業だ。だから、その野心を見切れなかったクーデター派は無能だとも言える。峰島には、裏社会を牛耳ろうなどという、安っぽい支配欲はなかった。むしろ、手を切りたいとさえ望んでいる。表社会に踊り出て才覚を示すことが本意であった。恐怖と軽蔑を向けられるより、尊敬を向けられたい。それは今までの所業から考えるなら、あまりにおこがましい願望だろう。

 が、己にはその才覚があると信じている。となれば、便利な道具として斬り捨てようと計る連中には、力を見せ付けなくてはならないだろう。奴らに分かりやすいように、明確な形で……。

 脳裏に、二日前に会った高原の言葉が蘇る。

「どうも、風向きが悪いようですなあ」

 飄々として、どこか風来坊を思わせる憲兵少佐は、慇懃ではあるものの、憎めない男でもあった。その少佐が、最後の計画要綱を持って、接触してきていた。

 峰島はファイルの中身を確認するのが先、と、半ば高原の言葉を聞き流していた。だから、不吉なことを言いながらも、だいぶん長い間、口を噤んでいた少佐の態度を不審には思わなかった。

「なんだ、これは……?」

 ようやく、自分が閑職のようなところへ配置されているのを知って、冷厳な男もさすがにうめいた。手下には見せたくない表情だった。

「ご覧の通り、っちゅうとこですかね」

 捉えどころない瞳を泳がせて、あくまで本心は掴ませないつもりか。小賢しいと思いながら、それでもこの少佐を圧倒するには、相当な苦労が必要だろうと考えもした。

「この計画が成功したとこで、おたくは英雄にはなれんちゅうことですわ。実際んとこ、使われるんかどうかも怪しいような、そんな策で……」

「バカな! だれのお陰で計画が順調に進んでいると思ってるんだ? 我々の協力が無ければ……」

「怒鳴らんでください。そりゃあ、よお分かっとります。少なくとも、自分は、峰島サンに接触してきた人間ですから」

 大袈裟に肩をすくめたのも、怯えたというより、峰島の怒気をかわすためのように見えた。

「公安の目を盗めたんも、峰島サンの働きあってのもんです。実のとこ、良うない話も耳にしとるんですわ」

「……聞かせてもらいましょうか」

 よっぽどの覚悟をしたつもりだったが、結局はそんな覚悟など役に立つものではない。聞いて、峰島は唖然とした。まさか、と口走らなかっただけ、救いがあったというべきだろうか。

 高原の聞いた話とは、霊子炉を脅しとして使わなかった場合、黒龍会を制圧して、「新政権」の人気取りに利用しようという主旨のものだった。

 これは完全な裏切りだ。もしかすると、峰島の働きが十全過ぎて、警戒心を抱かせたのかもしれない。が、どちらにせよ、最初から犯罪者などに栄光の切れ端とて握らせるつもりはなかったのだ。

 すべては野心が抱かせた、甘すぎる幻想だったのだ。平素ならば、警戒はして裏工作ぐらいはするものだ。それをしなかった。パイプ役の高原が、成り上がりの警戒心を解かせていたのだ。それに気付いた瞬間、峰島は懐に含んでいた匕首を抜く気力さえ失っていた。

 すっかり消沈した相手に、高原は労わるように肩を叩いた。

「そんなガッカリせんでくださいよ。まだ、手遅れ言うわけでもないんやし……」

 そう言って、憲兵少佐はにっこりと笑いかけた。その笑顔は、人の心を惑わす邪鬼のそれに似ていないこともなかった……。

「そうだとも。まだ、終わったわけではないのだしな」

 そう言って、峰島はにやりと笑った。自信を取り戻した野心家は、哄笑した。

「なにが終わってないって?」

 哄笑を遮った女の声に、峰島は苛立たしげに振り返った。こいつは、いったい、こんなところでなにをしている?

「ちゃんと守りは固めたんだろうな、久遠?」

「ああ、問題ないよ。予備の制御室は潰してきた」

「潰した?」

「守る場所が多いと不利だろ?」

 勝手なことを、と思いながら、峰島は糾弾しようとは思わなかった。久遠の言にも一理ある。

「あとはちょろちょろと邪魔な連中は殺してきたよ」

「もう手が回っていたのか?」

 驚きとともに振り返って、峰島は彼女の顔に張り付いた歪んだ笑みに不吉なものを感じた。

「いいや。あんたもそうするつもりだったんだろ? 使い捨ての連中さ」

「バカな! 今は防備のための戦力が必要なんだぞ?」

「バカは旦那のことさ。あたし一人で十分なんだよ。まあ、こんな檜舞台まで用意してくれたんだ。旦那には感謝してるよ」

 だから、と、引き攣れるような笑みを浮かべた女は、いっそ優しげとも思える声で囁いた。苦しまないように殺してやるよ、と。



 チッ、と鋭く舌打ちしたのは直行だった。メノウは息を呑む。

「仲間を殺したの?」

 打ち捨てられた死体は、職員のものだけではなかった。拳銃や匕首を握って死んでいるのは、衣服などから見て、黒龍会の手の者だろう。同士討ちとは思えないのは、争った形跡が見て取れないからだ。

 刺突と斬撃によって、心臓や首など、致命的な一撃を受けてこと切れている。不意打ちで殺害されたと見るのが正しいだろう。

「どういうこと?」

 地下施設に入って見つけたのが、こうした死体なのだ。メノウは震える息を吐いて、尋ねた。

「分かるわけがない。……いや、これも連中の計画の内なのか?」

「どういう計画だって言うのよ、これが!」

「邪魔になったら消す。奴らの十八番じゃないのか」

 冷たく声は響いたが、それほど確信のある答ではなかった。鎮圧部隊に応戦するには、戦力は必要なんじゃないのか。その疑問が解決されない。

「とにかく、敵の頭を探すしかないな。相手の戦力が減ったなら、それはそれで好都合だ」

「……そうね。ここに居ても、どうしようもないもんね」

 状況が見えない、というのは不安なだけではなく、危険な状況だ。メノウもそれを思ったか、ぼそりとつぶやいた。

「でも、なんだか嫌な予感はするな……。感じすぎなのかもしれないけど」

「用心できる部分を気を付けるしかないな」

 答えた直行も、薄気味悪さを感じないわけではない。それをじっくりと考えておくべきではないのかと思考している。が、状況を把握しなくてはという論旨にすり換えて、行動を優先させた。

 辿り着いた予備の制御室でも、同様の死体が散乱していた。

「制御盤を破壊してる。そういうことか……」

 制御室をさっさと後にして、直行がつぶやく。

「霊子炉にある制御盤だけを残して、それを守ってるんだろう」

「どうすんの? そんなとこに飛び込むのは危険じゃない?」

 メノウに言われるまでもなく、そんなことは分かっている。だが、この様子から見て、それほど戦力が残っているとも思えない。黒龍会の所属と見られる死体は、すでに二十ほどを確認していた。

 急造、という感じの地下トンネルは、地下壕に近い。その中に設置された白熱灯に照らされた案内板を見て、直行は決断した。

「霊子炉に行くしかないな」

 その過程で状況を見て、援軍を待つかどうかを決める。メノウはうなずいた。他に妙案があるわけではないのだ。

 再び、直行を前衛にして前進を再開する。

 しん、と静まり返ったトンネルは、不気味なものだ。もう少し、ライトの光量が少なければ、恐怖を感じただろう。が、怖さはもう十分に味わっていた。

 狂気と断定してみても、直行もメノウも狂ってはいないのだ。狂人を相手にしていると考えても、その思考がどこに向かっているのかなど推測できるはずがない。

 抵抗がない……。メノウは直行の後に続きながら、その事を奇異に思っていた。状況が読めないだけ、注意は十分にしておくべきだろう。ところが、その注意の対象が分からないだけ、意識は散漫になる。敵の術中かと考えても始まらない。アクションを起こしたのだから、リアクションを待つしかない。

 時間さえあれば、と臍を噛んでも、それはグチでしかなかった。

「もう、霊子炉だぞ……?」

 案内標識を見て、直行が低く口に出した。抵抗が一切ない。これでは状況を見ることもできない。その不安が声を出させた。

 その上でギョッとしたのは、霊子炉へと続く三重の隔壁が開放されていたのを見てのことだ。これでは罠そのものではないか。が、ここまで露骨にやる理由が分からない。

 直行は隔壁の横に身を潜ませて、中の様子を窺う。中は暗い。照明が非常用の赤色灯に切り替わっているらしかった。それでも、見上げれば首が痛くなりそうな霊子力機関ははっきりと見える。

 機械の化け物みたいだな。そう感じた。中央に巨大なタンク状のものがあって、そこから四方に太いパイプラインが伸びている。形状はボイラーを大きくしたようであっても、大きすぎれば不気味に感じられた。直人から教えられた予備知識のせいかもしれない。

「どう?」

「……だれもいないように思える」

 隠れている可能性は高いのだが、奪還する側にすれば、最悪の手段として、霊子炉を破壊することだってできるのだ。立て篭もるにしても、隔壁を閉鎖しておく必要はあるはずだ。

「それなら、炉の停止スイッチを押すだけだ」

 あえて単純に考えることにした。二人で駆け込んで、どちらかがスイッチまで辿り着ければいいのだ。死にたくはないが、ここまで来ると、覚悟を決めるしかなかった。

「スイッチは中央にある炉の基盤についてる。非常用のやつだ。ここから二十メートルぐらい。いいな?」

 覚悟を決めろ、という意味で、言ったつもりだ。相棒がうなずくのを見て、直行が飛び出す。その後に、メノウが続いた。

 飛び込んでみれば、確かに人の気配はないように思われた。赤暗い光の中で、白刃がちょっと照り返しを見せたが、それでも反応はない。

 二十メートルという距離は、あっという間に詰まって、直行は暗さに慣れようとしている目でスイッチを探した。緊急停止用のそれは、目立たなくては意味がない。すぐに見つかった。

「……!?」

 鋭利な殺気を感じた、というべきか。直行は直感だけを頼りに急制動をかけた。走る勢いを殺すことができず、スライディングするようにして転んだ。後ろでギョッとしたメノウが止まろうとたたらを踏んだが、それどころではない。

「そう、うまくはいかないってことか」

 闇に覆われた、頭上おそらく五メートルほどの位置から、声が降ってきた。

「気付かなけりゃ、楽に死ねたのに」

「おまえ、黒龍会の……」

 聞き覚えのある女の声に、少年は硬い表情でうなった。ついさきほど、黒龍会支部で取り逃がした小太刀使いに違いなかった。

「そうじゃないかとは思ったけど、やっぱりさっきのぼうやたちじゃないか」

 くすくすと笑う声がして、女が飛び降りてくる気配があった。

 五メートルはあるんじゃないのか? 無事に飛び降りられる高さとは、とうてい思えない。そう思った瞬間、青白い燐光が視界いっぱいに広がった。

 その青白い輝きの中を、久遠がふわりと舞い降りる。そこだけ重力の軛から解き放たれたように――いや、実際にそうしたのかもしれない。

 だが、と直行は眉をひそめた。手合わせした実感からすると、そこまでの大規模な霊子制御を行えるようには思えない。

 メノウと直行は、その久遠に注意を払いながら、周囲を警戒する。やはり罠だったのではないかと疑ったが、それを裏付けるものはない。他にだれも出て来ないのだ。

「心配しなくても、ここにはあたししかいないよ」

 くつくつと女が笑う。ぞっとした。笑い声に忍ばせた静かな狂気に、少年少女は事態をようやく理解したと感じた。

「あんたが……みんな、殺した?」

 喉を詰まらせながら、メノウがかすれた声で訊いた。直行に至っては、あまりの不合理――あるいは不条理に、声が出ない。

「そう。もう、必要ないからね」

 久遠はぴたりと笑いやむと、実に平静な声音で答えた。

「必要ない?」ようやく驚愕を飲み込んで、直行が尋ねる。時間を稼げ、脳裏で兄の声が命じている。「ひとりで、なにができるっていうんだ?」

「それはぼうやの知ったことじゃないね。それより、特機はちゃんと鎮圧に来てくれるんでしょうね?」

「なにを……」

「そのために、事務所に機密書類を置いてたんだからね」

 なにかの罠なのか。ますます意味が分からない状況に、直行は唇を噛んだ。

「まあ、いいか。どのみち、見過ごされるはずもなし。おしゃべりもここまでにしようじゃないか。あんたたちには、さっきの借りもあるんだからね」

 くそっ、と心中にうめいて、直行が刀を握りなおすより早く、メノウは手裏剣を準備している。理屈を考えないだけ、対応は早い。

 まず直行が仕掛ける。上段に構え、滑るように久遠への間合いを詰める。

 久遠が構えると同時に、振り下ろした白刃は、余裕をもってかわされ、同時に小太刀が振るわれる。

 狙いは右腕と見て、切り返しを諦めて右手を柄から離す。その隙間を小太刀が切り裂き、遠心力に引っ張られて振りぬかれた刀を再び両手で支えながら、直行は半歩の距離を退いた。

 シャッ、刃が皮膚を擦る感覚が、音のように聞こえた。首の皮だけを切り裂いた小太刀が、赤色灯の光を鈍く放って行き過ぎる。

 下段から跳ね上げられた刀身が、けたたましい擦過音と火花を散らす。再び切り返された小太刀と刀が絡み合って、火花の尾を散らしながら、離れる。

 わずかに距離の離れた両者が、鋭く呼吸を整える。そのタイミングを計って、メノウの手裏剣が投擲される。踊るような久遠のステップが、手裏剣の合間を縫って直行へと迫る。

 額がぶつかるような至近距離。しまった。前進してくるとは思わなかった直行は、眼を見開く。だが、体は反応した。柄頭を女の脇腹に叩きつけ、うめいた。鉄板を叩いたような手ごたえに、両手が痺れる。

「うっ……!」

 詰まった声が喉から漏れる。腹部が熱い。斬られたのか。混乱しつつ退こうとした直行を追撃する久遠。その追撃を、咄嗟の手裏剣が辛うじて阻止する。久遠は無理に追うことはしなかった。

「ハッ……」

 呼気ともつかない声を漏らした直行は、腹に左手を当てる。血液でぬめる。かなりの出血だが、派手なだけだ。傷は浅い。

 おかしい。事務所の裏口で戦った時より、よほど強い。本気ではなかった? そんなはずはない。いや、それよりも、おかしいじゃないか(、、、、、、、、、)

 動きを見切られている?

 疑念が浮かぶ。場数の違いか、本質的な力量の差か。待て、待て。混乱する頭を落ち着けるように、自分に言い聞かせる。

 兄とは強さの質が違う。あれは速くて重いのだ。対処不可能な先手によって、相手を叩き伏せる。先の先だろうと、後の先だろうと、無駄の一切ない人体の極限の速さで必殺の一撃を叩き込む。この女は……軽いが、速すぎる(、、、、)

 こちらが行動に入る前に、最適の先を取っている。まるで、分かっているかのように。

「メノウ!」

 直感が噛み合った瞬間、直行は叫んでいた。この女は危険すぎる。強さの得体が知れない。もう武術がどう、という相手ではない。

「全力で行け!」

 同じような感触は持っていたのか。メノウはためらうことなく、クリスタルのペンダントを取り出した。エリキシルなしで霊子制御を可能とする、『桜花』の模造品。

 精神を研ぎ澄ます。奥底に眠る、日常性とは無縁の感覚に手を伸ばす。五感が新たな感覚を得て、映り、聞こえ、触れ、味わい、匂う、すべてがシャープに、クリアに更新される。

 そして、それら鋭敏化した五感をはるかに超える次元に、大気のはらむ霊子が捉えられ――茫然とメノウはつぶやいた。

「なに、これ……?」


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