5幕:始動
警察病院での死者は、医療関係者を含めて七人に及んだ。
救援に駆けつけた久瀬大尉率いる第一特機の分隊も、惨憺たる結果に息を呑んだ。
「隊長」
分隊長の北沢少尉が声をかける。まだ警戒態勢にある分隊は、応援である後詰の到着を待っていた。事後処理は、それから始まる予定だ。
「――なんだ?」
「応援の到着まで、十分ほどかかるそうです。秋島大佐から、久瀬大尉は中央発令所に出頭せよ、と」
「分かった。後を任せる。……三田少尉は、惜しい人材だったな」
超過労働の報いが、永眠となった。なんともやり切れない。三田に甘さがあったとしても、それを責められる立場ではなかった。
「はい……死ぬ覚悟はあったと思います」
十年来の親友を失った北沢は、それでも涙ひとつ見せない。戦死者には敬意と哀悼を捧げる。未練は持ってはならない。それが、かつて過酷な反政府ゲリラ狩りを行ってきた兵士たちの不文律だった。
待機所で作戦待ちの部下が、発令所に戻った直人に、病院の方はどうだったかを訊いてくる。
「三田分隊は壊滅状態だ」
直人は簡潔に答えただけで、先を急いだ。味方の損害にも感情を示さない姿は、部下にとって好感情を抱かせるものではなかったが、この隊長が危険な場所へ真っ先に向かうことを知っているのは、他ならぬ彼らだ。不平を漏らしたりはしない。
中央発令所に入室すると、不意の事態に呼び出された秋島が、指令席に座っていた。
「互いに、休む暇もないな」
冗談めかした言葉も、顔が引き締められていては、なんの効果もなかった。
「犯人を取り逃がした」
「急な事だ。仕方ない。……やはり、『黒龍会』が噛んでいるのか?」
「おそらく、そうだろう。実行犯に見覚えがある。『黒龍会』に関係する可能性がある者のなかにリストアップされていた女だ」
「市長の暗殺も、そいつの仕業か?」
「断定はしかねる。が、現場を見た限りは、その可能性が高いと判断できた」
ふっと溜め息をついて、秋島は首を横に振った。
「目撃者の口封じ、か。ここぞとばかりに、切札を使ってくるな」
「切札を使ってでも、成し遂げたいことがあるのだろう」
「そうなると、明日の襲撃は思っていたよりも重要になってくる」
「これで奴らの動向が掴めればいいのだが……」
「ああ。……責めないのか? 子供を巻き込んだことを」
「責められたいのであれば、他を当たれ。正当な判断だと認識している。なにもかも条件を満たせるはずがない。使えるものであれば、なんであろうと使うのが、おれたちだ」
そう言い切った直人は、冷酷とは表現できなかった。冷え切る以前に乾燥してしまって、心を揺らすことはないようだった。
「そうだったな。戦果を期待している。退出してよろしい」
敬礼を残して、直人は退出した。
九城中央駅から北へ二十分ほど歩くと、それなりに整備された区画から外れ始める。新首都とは言え、九城市の実体はいまだ混沌としていて、中央駅周辺と、それ以外の地区では、様相ががらりと変わる。
そこはメノウの目から見ると、変哲もない雑居ビルだった。五月七日午後五時四十八分――たった三人での黒龍会支部への強襲作戦開始まで、あと少し。
三階建てのビルは、登録の上では一フロアごとに違う会社が入っていたが、そのすべてがダミー会社だった。実際は一階と二階だけが使用されていて、二階もほとんどが倉庫代わりとなっている。つまるところ、一階の事務所が、黒龍会の支部だということだ。
予算も人員も足りないと言いながら、それでも調べ上げた公安庁の組織力は、請負人の及ぶところではない。
だが、問題は、その支部にある重要な資料や証人をどのように手に入れるか、ということだ。
正面からは久瀬直人大尉が単身で突入する。メノウと直行は裏口を押さえて、逃亡を阻止するのが役割だ。逃亡するのは支部を任せられている幹部と、その護衛ていどだろう。それを抑えるのが二人の役目で、最悪でも時間を稼ぐだけでいい。
「あと十分……」
直行が時計を確認した。霊捜局を出る時に、直人の時計と時間合わせを行っている。二人は先行して現地に到着して、アベックのふりをしながら、決行時間を待っていた。あまりにも目立つ直人は、直前まで現れない。
「――ちょっと、あんまりくっつかないでよ」
「おれに文句を言うなよ」
いかにも嫌そうな顔をする直行は、チンピラのような着崩したスーツ姿だ。この界隈、表向きはいわゆる「オフィス街」の続きなのだが、実際は暴力団や犯罪組織の巣窟だった。それに合わせての事なのだが、直行の実直そうな顔立ちにも、刀を収めた布包みにも、いかにも似合っていない。おまけにメノウの恋人役となれば、嫌がるのも仕方ない。
それはそうなのだが、そこまで露骨な顔をされると、メノウも頭にくる。
「気に入らないことがあるんなら、はっきり言いなさいよ」
「べつに……」
ちらりとメノウの装いに目をやってから、そう言った。
メノウもメノウで、衣装が似合っていない。原色のワンピースを着て、その上に米軍の中古ジャケットを羽織っているのだが、ピンヒールが歩きにくそうだった。はすっぱな商売女を演じるには、若すぎる。その上、立居振舞に色気がなさすぎる。
「殴っていい?」
「なんでだよ。……一発は一発で返すからな」
くだらない言い合いをしているうちに、五分前になった。そろそろ、裏口へと回らなくてはならない。下手な演技で、それでもあくまでアベックを装いながら、二人は薄暗いビルの裏手へと入る。日が当たらない狭い路地は、すえた臭いが嗅覚を刺激したが、それがなんの臭いか、メノウは考えないことにした。
「段取りは分かってるよな?」
「バカにしてんの?」
カリカリしながら、メノウが答えた。
六時きっかりに直人が正面から切り込む。一分後に二人が裏口から侵入する。段取りとしては、それだけだ。もちろん、それだけだからと言って、油断はできないし、簡単なわけでもない。もしかすると、裏口の方が人数が多いかもしれないのだ。
先に見せられた建物の見取り図を脳裏に浮かべながら、メノウはポケットに突っ込んでいた腕時計を手首に巻きつけた。それと同時に袖口に仕込んである手裏剣を確かめる。
六時になった。それと同時に、ビルの表口から騒音が届く。相変わらず、初手から派手に行ったらしい。
「始まったな」
「まあ、化け物みたいなもんだから、大丈夫だろうけど」
「軍隊でも持って来ないと、兄貴は止められないだろうよ」
弟ながら、呆れたような口調で直行は同意した。実際、武術や武器でどうにかなるような相手ではない。請負人や犯罪者などとは、すでにして次元が違っている。
久瀬直人という存在そのものが暴力なのだ。それは人災というより天災で、台風や地震に対して、勝負しようと思う者はいない。
表口から騒音が届いて、すぐさまビルの中が騒がしくなったようだった。まさかの襲撃に、訳も分からず撃退しようとしているのだろう。
ご愁傷様、と心の中で呟いて、時計を確かめる。直行に、行きましょ、と軽く声をかけた。直行も、布包みを解いて、刀を握っている。
やるべき事をやるだけだ。それ以上の感慨はないと言えば嘘になるが、がちがちに緊張しているわけでもない。その程度には、この二人も修羅場を越えてきている。
裏口のドアノブを回すと、鍵はかけられていなかった。薄いスチールのドアを開けて、直行が入る。その後にメノウが続いた。
入ると、狭い廊下に出る。切れかけた白熱球が、瞬くように投げやりな光を投げかける廊下は無人だった。奥からタン、タン、と発砲する音も聞かれたが、直人に拳銃が効かないことは知っている。心配はない。
二人は慎重に気を配りながら、ゆっくりと奥へ進む。その先の扉が、事務所のオフィスへ直接、続いている。
「どうする?」
と、メノウが聞いたのは、ここで待ち伏せるか、オフィスへ殴り込むか、ということだ。直行が左手でその性急さを制する。
「様子を見よう」
メノウを残して、ゆっくりとドアに近付く。中の様子をうかがって、その結果次第、というわけだ。
直行が数歩、足を運んだその時、奥のドアが何気なく開いた。直行どころかメノウまで硬直して、ドアを開けた相手も、半ば振り返っていた顔をこちらに向けて、すぐに硬直した。
「裏手に回られてる!」
ドアを開けた女は、中に向かって叫んだ。
「特機か!?」
奥からの驚愕したような声に、
「分かんないわよ! 裏手に居んの、ガキが二人なんだから! 特機がガキを使ってるなんて話は――ッ?」
言葉を中途半端に切って、女は一撃必殺の気合を込めて突っ込んだ直行の刺突をぎりぎりでかわした。反撃するだけの余裕もなく、直行にしても、狭い廊下では十分に刀を振り回せない。
「チッ!」
鋭く舌打ちしたのは、攻撃した方だったか、された方だったか。直行はすばやく後退した。さっきのをかわしたとなれば、相応の手練だろう。殺さずに捕えられるほどの余裕は、おそらくない。
女はベルトに突っ込んでいた鞘からアーミーナイフを抜いて、怒りの形相も露わに後退した直行に襲い掛かった。
「ガキだからって容赦はしないよ!」
叫んで振るったナイフは刀の鍔元で弾かれ、いつの間に用意したものか、左手に現れた小太刀が直行の右腕を切り裂いた。
「こいつッ!」
パッと最小限の動きで刀を振るって、次の攻撃を牽制してから、直行はうめいた。だが、それでも右手のナイフで一撃を受け止めながら、女は左手の小太刀で腹に切りつけてくる。
それが唐突に、弾かれたような動きで、女が下がる。慎重に狙ったメノウの手裏剣を避けたのだ。
「左利きか? それに狭いところでの戦いに慣れてる」
「分かってる」
さすがにメノウも緊張して、一言だけ答えた。まさか、これほどの強敵が出てくるとは思わなかったのだ。
後ろ手にオフィスに続くドアを閉めた女は、警察病院に看護婦姿で紛れ込み、三田分隊を壊滅させた暗殺者――久遠だった。
「傷は?」
「浅い。だいじょうぶだ」
刀を構えなおして、直行が答える。構えは、上段を得意とする彼には珍しく、中段。それも前に突き出しているわけではない。刀の峰が右肩に付くような、右の脇構え。狭い場所で、威力を落とさずに振り抜くための構えだった。
一見すると不恰好で力が入らない構えのように見える。が、誤りのある構えではなかった。正中線はずれもねじれもしていない。あの兄の下で鍛えられた男なのだ。
「ガキのくせに戦い慣れして……そういうの、好きじゃないね」
久遠は直行の体を手裏剣からの盾にするようにして、接近する。直行は、刀を扱う以上、左右に寄るわけにもいかない。そんなことをすれば、ただでさえ振りにくい刀が、さらに制限を受けてしまう。
するすると女は近付く。正面からは直人が突入している。三下ていどで相手になるはずがない。早く突破して、逃走経路を確保しなくてはならないのだ。動くのは、必然的に彼女となる。
間合いに踏み込んで来たところで、直行は静から動へと変化した。右へ向かったと思われた太刀は、円に近い運動線を描いて、上段に劣らぬ威力を秘めて迫る。
女がぱっと後ろへ飛んだ。鋭い一太刀を猫のようなしなやかさでかわし、退いてからすぐさま前へと踏み込む。その踏み込みまでがほぼ一動作に見えた。鋭く繰り出したナイフを、直行の太刀が翻って阻む。
どちらも攻防一体。技倆はどちらが上か?
「そっちも古流か……」
開いた右腕の傷にうめきながら、直行が呟いた。鍛錬を重ねた太刀筋をかわされて、そのかわし方に覚えがあることに気付いたのだ。
女はするりと半身を返して、受けをいなす。左の小太刀で直行の首筋を狙った。明らかに、直行の反応が遅れていた。
繰り出した必殺の一撃が、鈍い音を立てて弾かれた。
「チッ!」
今度こそ久遠が舌打ちしたのは、メノウの腕が割って入ったからだ。ジャケットの袖口を切り裂いたナイフは、しかし、仕込まれた棒手裏剣の束に阻まれていた。
その時には、いなした直行がフリーになっている。足を擦るようにして体を入れ替え、再び水平の脇構えに戻す。挟み込まれた事で、女は動揺した。その動揺に付け込んで、メノウも素早く下がる。武芸者相手に、接近戦などぞっとしない。
跳びすさりながら、メノウは手裏剣を投擲する。まともに一撃を受けて、痺れる右腕では信用できず、左で投擲。それを女はバッと上着を振って叩き落し――その分、反応が遅れた。
直行の斬撃が、兄の教えどおりに深く斬り下ろされている。避けるのは不可能。かと言って、受ければ威力に押し切られて体勢を崩す。
だが、常に相手が対等の条件で戦ってくれるとは限らない。直行をメノウが助けたように。
「これは……!?」
直行が驚愕の声をあげる。剣筋が不自然に逸れる。暗殺者の体を切り裂くはずだった一撃は、床にぶつかって異音を弾けさせた。
「切札ってのは、隠しておくものなのよ」
左手の小太刀が、淡い燐光を散らして、それはおそらく変換されている霊子の余剰エネルギーの発露だった。
体勢の不完全な久遠は、ナイフを振るって直行の肩口を切り裂く。それが精一杯の反撃で、それよりも優先すべきは、挟み込まれた状況を覆すことだった。
体を低くして直行の斬り返しを掻い潜り、彼の背後に出る。そのまま数歩の距離を稼いでから振り返る。
痛みに顔をしかめながら、それでも構えを崩さない直行は、かわいげのある少年とは見えなかった。
「……いま、霊子力を使ったの?」
「そう思うけどな……エリキシルを使ってるようには――」
メノウの疑問に答えながら、直行も信じられない思いで女を見る。反応速度は速い、が、常人の域を出るものではない。鍛錬によるものだ。
「まさか、『桜花』と同じ……」
「そんなはずがあるか。あれは唯一現存する――」
「おしゃべりは、あの世でするんだね」
呼吸を整えた女が肉迫する。慌てて迎撃した直行の刀身は、交差させたナイフに阻まれた。
その刹那、ドンとなにかがぶつかったような衝撃を受けて、直行の身体が後ろへ吹き飛ばされた。メノウにぶつかってようやく止まり、冷たい汗が流れるのを感じた。
左手の小太刀がまとう、青白い燐光を、ようやく直行も目撃していた。
信じたくはなかったが、こうまで不可解な力を行使されては、霊子力を使っていると思わざるをえない。そして、その霊子力を生み出しているのは、女の手にする小太刀以外に考えられない。
となると、あれは『桜花』と同等とまではいかなくとも、それに順ずる武器だ。
「だいじょうぶなの、ナオ?」
「ああ、ああ、だいじょうぶだ。くそっ、なんだって、いつもいつもこんなヤバくなるんだ」
愚痴をこぼしながら、直行は立ち上がる。剣術だけなら五分とは言わずとも、勝ち目はある。だが、霊子力があるとなると、こちらの分が悪い。それでも『桜花』ほどの潜在能力があるはずもない。
おそらく、女の使う小太刀は、メノウの持つ霊子力デバイスと似たものだろう。なら――
「メノウ、あれやるぞ」
「あれって――アレよね、分かった」
構えを取り直して、直行はメノウの前に立つ。その後ろで、メノウはジャケットの裏から錘のついたワイヤーを取り出す。
「まだ敵わないって分からないの? 逃げるなら、見逃してあげてもいいんだよ」
「そう言うってことは、余裕がないってことだ」
「……死にたいようだね、ぼうや」
慎重に構えを取りながら、間合いを詰める。同じく間合いを詰めてくる久遠の動きにも、先ほどまでにはない慎重さが感じられた。
今度こそ、殺りに来る。
「行くぞッ!」
叫んだのは、メノウに対する合図だ。
踊りかかってきた女に、殺す気で刀を振るう。だが、相手は殺し合いのプロなのだ。その程度の覚悟の差でどうにかなるものでもない。
久遠は体を沈み込ませて初太刀をかわす。同時に、振りぬいた刀の峰にナイフを叩き込んで、直行の体勢を崩させる。斬り返しが速い太刀筋を見切られている。
左の小太刀が瞬時に突き込まれ、直行は自ら体勢を崩して逃げる。刀を手放して、床に転がり、壁を背にしてしゃがみ込んだ。それでも引き斬られた首筋は、鋭い痛みを伝えている。もし、紙一重でかわそうものなら、頚動脈を切り裂かれていただろう。
直行が消えた事で、メノウとの間から障害物がなくなる。一瞬の遅滞もなく、メノウは手裏剣を投げつけた。
「二段構えか!」
鍛えられた動体視力で捕捉して、女は小太刀で飛来する手裏剣を薙ぎ払う。
「三段構えだ!」
再び拾い上げた刀で、直行が叫びざまにすくい上げる。
だが、
「なめんじゃない!」
怒声とともに、直行の斬撃が不可視の壁に弾かれ、少年の腹に重い蹴りが突き刺さる。
吹き飛んだ直行が壁に叩きつけられて、床に沈み込んだ。
「ナオ!」
瞳に苛立ちを見せながら、叫んだメノウを睨みつけた久遠には、しかし、それ以上、子供に構っていられる余裕などなかった。
久瀬直人と『桜花』の威力は、十分に見ているのだ。
すぐさま身を翻して、久遠は裏口に走り去った。
もちろん、メノウ単身で、それをどうこうすることなどできはしない。相棒のそばに近づいて、様子を見る。
「だいじょうぶだ……」
胃液を吐き終わった直行が、疲れたような声で答えた。肉体よりも、精神への負荷の方が重い。今になって、冷たい汗が噴き出してくる。
「なら、あたしは奥を見てくる」
「相棒の手当てぐらい、してくれてもいいんじゃないのか?」
苦笑して、直行はうなずいた。実際、のんびりともしていられない。この作戦自体が黒龍会の内部情報を得るためのものだ。その書類を処分されては意味がない。行動には迅速さが求められる。
「気を付けろ。無理だと思ったら引き返せ。おれもすぐに行く」
うなずきを返して、メノウは奥の扉を開けた。手には手裏剣を準備している。事前の情報では、幹部は二人。いきなり銃を向けられていなければ、なんとかする自信はあった。
オフィスの中には、確かに幹部が二人だけだった。顔写真は見せられているが、名前までは覚えていない。銃をこちらに向けてもいなかった。ただ、書類に火をつけようとオイルライターを持っている。
二人がメノウを振り返る。おそらく、退路を確保しに行った女が戻ってきたと思っていたのだろう。なにか口にしようとした所で、メノウの姿を見て、ぎょっとしたように身を竦ませる。
ふっと息を抜きながら、メノウは素早く手裏剣を二回、投擲した。狙いは違わず、男たちの腕に突き刺さり、彼らはもんどりうって倒れ込む。
「ちくしょう、クソが……! てめえ、何者だ?」
「危ない、危ない」
呟いてから、次の手裏剣を構えて、
「霊捜局よ。抵抗しなければ、命は保証するわ」
とりあえず警告。男たちはさらに低く罵ったが、それは無視する。油断なく手裏剣を構えながら、彼らが燃やそうとしていた書類を掴み上げて、たいして興味もないくせに検分しようとした。
起き上がって銃を構えようとした手には、容赦なく手裏剣を打ち込んで封じる。殺しはしないが、殺さなければなにをしてもいいだろうと思っているらしい。
書類はところどころ暗号が使われていたり、メノウには関係のない事柄ばかりで、興味をそそるようなものもない。まあ、詳細に関しては、秋島が後から教えてくれることになっている。問題は特にないだろう。
メノウはすっかり興味を失って、ぱらぱらと書類を適当にめくってから、机の上にでも置こうとした。その時、いちばん厚みのある紙が引っかかって、ちょうど目に留まる。
写真が添付された資料だった。木立の中にたたずむ建物には、見覚えがあった。
だが、その建物と『黒龍会』との関連性が見えない。
「どういうこと?」
メノウが自問した時、直人が悠々と事務所に入って来た。
「それが押収した資料か?」
「そうよ。もうちょっとで燃やされるところだったんだから、報酬に多少は色をつけてもらいたいな」
「それは大佐と交渉しろ」
それだけ言って、書類の束を受け取った直人は、素早くその内容を確認する。
「これは……」
半ばまで内容を拾い終えた直人がうめくのを、メノウはありえないことのように、ぼんやりと見ていた。
「秋島大佐、久瀬大尉から外線三番です」
中央発令所で書類をさばいていた秋島は、部下から告げられて、受話器を取って所定のボタンを押した。
「秋島だ」
『黒龍会支部の制圧を完了した』
おそらく、その事務所の電話を使っているのだろう。極秘任務とあって、通信兵も同行させていない。
「そうか、ご苦労だった。収穫は?」
そう訊いた秋島に、リアクションは少しだけ遅れた。
『……聖書で言うところの、禁断の果実を手にした気分だ』
聖書とは珍しい喩え方をする。疲れたような声に、秋島はイヤリングをいじった。おそらく、報告は聞きたくもないような、不快な内容に決まっていた。
『盗聴されている危険性がある。安全は確保できるか?』
「盗聴?」
『貴女以外に聞かれては厄介な事になる。思った以上に、敵の数が多そうだ。やれるか?』
「原理的に不可能だ。それほどのものなのか?」
『おそらく。では、第一小隊に合流して、そこから連絡する』
「頼む」
第一小隊のいる地点を教えてから、秋島は短く告げた。すぐさま、第一小隊を直人到着までその地点で待機するように命令を下す。
秋島は受話器を置いて、少し考える。直人があそこまで焦りを見せる、というのは、珍しいことだった。なにが起きているのか、なにが起こりつつあるのか?
公安庁に掛け合うべきか。それも考えながら、とりあえず直人からの報告を待つことにした。とにかく、情報が欲しい。
それは間違った判断ではなかった。それでは間に合わなかったのは、秋島のせいでも直人のせいでもない。全知全能でもない限り、それは無理な注文というべきだった。
ガコン、と音がして、出入り口の扉が開かれる。ばらばらと入ってくる足音が複数、聞こえた。そろそろ交代の時間だったろうか、と思いながら、秋島は時計を確認する。
まだ、交代には早い。特別な予定もなかったように記憶している。
「なんだ?」
秘書官に聞きながら、振り返って、秋島は唖然とした。
踏み込んで来たのは小銃を手に武装した歩兵たち。どこの部隊だ。首都近郊を守る親衛師団ではない。他に実戦部隊など、首都には――いや、腕章に「MP」の二文字。そして、それを率いているのは、高原少佐その人であった。
「大佐も驚くようなことがあるんですなあ」
平然と、秋島を見やって笑いかける。後ろに控え、小銃を構えている部下たちの姿など、関知しないように。
「――だれの許可を得て、ここに踏み入った?」
最悪の予想を頭の隅に浮かべながら、低い声で尋ねた。高原の答えは、彼女に失意しか与えてはくれなかった。
「許可がなくても、入る方法はありますわな。とりあえず、すべての業務を停止してもらえますか?」
「クーデターか」
薄い笑みを貼り付けた高原に、噛み付くような表情で秋島がうなった。もともと、現在の政府じたいが軍事政権なのだ。その可能性は、忘れることができなかった。
高原は核心を突かれて、しかし、少し困ったような顔をしただけだった。
「贈り物の中身を当てるような真似は、あんま好まれませんよ」
「市長暗殺も貴様らか」
「まあ、賛同してくれへん人間を生かしとく必要もありませんしな。あと、黒龍会の方でも見とってくれたら、ええんちゃうかな思うて。部下を見殺しにすんのは、心がえらい痛みましたけどな」
「彼らは、何も知らなかったというわけか……」
身内を殺されたことを口実に、公安の仕事に割り込みをかけ、霊捜局の動向を探っていたのだろう。なんにせよ、首都で実戦部隊を持つのは、霊捜局だけなのだ。そして、内通者とは憲兵隊そのもの――いや、高原少佐だった。
まあ、と高原は答えて、ようやく本題を思い出したようだ。
「さて、おしゃべりもこの辺にしといて、業務を停止してもらいましょか」
ちらりと腕時計を確認して、憲兵少佐は最後の一押しを口にした。
「あと二十分ぐらいで、軍が無期限の戒厳令が発令しよるはずですわ」
「それがシナリオか。……だれのものか知らんが、大した茶番だ」
秋島が敗北を悟って、マイクのスイッチに手を伸ばしかけた時、いまだ業務を忠実にこなしていたオペレーターの一人が指令席に向かって報告を行った。
『首都圏警より緊急通達。親衛師団が市街地へ突入。現在、第一機械化連隊が確認されています』
その一報は、掛け値なしの凶報であり、そして破局を告げるものだった。
高原を振り返り、
「やってくれたな……!」
秋島がきしるような声を絞り出した。常の冷静さは、圧倒的な怒気と失望の前に乱れて消えている。
「親衛まで抱き込んだか」
「それでようやく五分五分……ってとこでしょう?」
こちらは常の余裕を振り撒きながら、しかし高原少佐の顔にはだらけた笑みはない。
「聞いての通り、動員できたんは一個連隊だけ……元陸軍選抜小隊を相手どって、しかも相手の得意な市街地で、親衛師団がどんだけ働けるんか、こっちも未知数なんですわ」
「市街地に戦車まで投入して、これが貴様らの目指す国づくりというわけか?」
「……さて、理想やら理念やらは知りゃしませんがね。まあ、実際んとこ、ほんまは特機なんざと戦闘をおっぱじめるんは、良うないんですけどね。それについちゃあ、大佐の更迭なり拘禁なりで霊捜局が黙ると思うとった、上役の失点でしょうな」
「九城を――この街を、戦場にするつもりか?」
さすがに、その言葉にぽかんとした高原は、すぐにこみあげた笑いを抑えきれなくなった。
「なにを言うか思えば……ハハ、ここは元から戦場でしょうに。それと、大佐。勘違いされちゃあ困ります。戦闘になっちまうんは、お宅らの責任や」
「現状と戦って来なかった者が、どの口でほざくか!」
「――さあ、いかに自分が寛容でも、これ以上のだべっとんのはさすがに立場上まずいんですわ。やるべき事をやりましょうや、お互いにね」
大きく息を吐き出して、霊捜局を支えてきた女傑は発令所内すべてに、憲兵隊の占拠と業務の即時停止を言い渡した。だが、現場に散っている実働部隊――特務機動小隊に対しては、一切の指示を与えなかった。それだけが、唯一、彼女に残された抵抗手段だった。
高原は、おそらく気付きながらも、その事に関しては触れなかった。
指示を終えてから、秋島は再び高原に向き直る。満足そうな横っ面をひっぱたけたら、どれだけ爽快な気分になれるだろう。
「ひとつ聞いておきたい。貴様が加担した理由はなんだ? 理想やらを求める質には見えん」
「……ふむ。おもろそうやから」
考え込むふりをしながら、聞き違えかと思わせるほど簡潔に答える。
「なに?」
「――って言うたら、怒らはるんやろうな。まあ、でも、男なんてのは、ロマンティストなもんでね。革命やら、反乱やら、そんなんを好むもんですよ」
その言葉は、本気とも冗談ともつかず、それゆえにこのふざけた男にふさわしいものだったかもしれない。
なにもできなくなった秋島は、すべてを部下に委ねることで余裕を取り戻して、鼻先でその答えを笑った。
「いいだろう。なら、ここで見ていることだ。その革命とやらが崩れ去るのをな。久瀬大尉がクーデターの事実を掴んでいる。彼は私より怖いぞ」
確証などなかったが、それでも直人がたじろぐとすれば、それはクーデターの計画ぐらいのものだろう。それに、今の秋島には信じる以上の事はできそうにもなかった。
「ああ、ゆっくりと見せてもらいますわ。霊捜局の切札がどれほどのものか」
そう言った少佐の目には、侮りも油断もなかった。ただ、見てみたいという欲求だけがあるように見えた。この男もまた、激動の時代を生きてきたのだ。普通の、正常な人間であるはずがなかった。