3幕:介入
怒声のようだった。
窓のひとつもない、地下らしき倉庫には、天井から吊るされた白熱灯の頼りない光だけが、幾つかの灯りを提供していた。所狭しと並べられた木箱を見ると、なるほどそこは倉庫なのだろう。
その倉庫の天井や壁に反響して、ウオン……と、一塊の音に聞こえた怒声は、倉庫の片隅にしつらえられた事務所から漏れた音だった。
高さ二メートルほどの板壁を立てて、ドアをしつらえただけの部屋だ。その中には、一応の応接セットらしきものが置かれ、事務所としての体裁を整えていた。
そんな無造作な場所が、霊捜局が血眼になって探している『黒龍会』の本部だとは、とうてい信じられない。
そこに二人の男と、一人の女がいた。
女はまったくの無表情に、入り口付近で立ち尽くしている。そして、悠然とソファーに腰掛けて、密造の煙草をくゆらせている壮年の男。座っている男の背後に控える、大柄な男の顔は紅潮して、どうやらこの男が怒気を発散させたらしかった。
年かさと見える男たちにしても、まだ三十代半ばぐらいだろう。霊捜局が警戒する組織の幹部としては、若すぎるように見えた。
大柄な男がフッと息を抜いて、拳銃に新しい弾を装填するように、息を吸い込んだ。
「生き残りがいただと? 何日前の話をしているんだ、てめえは」
「二日前だろ?」
凄まじい怒号も、どこ吹く風と言った様子で、女はしれっと答えた。
「何十人と斬ったんだ。一人ぐらい漏れちまうこともあるよ。それでおたつくようじゃ、器量が狭いってもんじゃないのかい?」
どこにでもいるような、ごく普通の女に見えた。それが口に出しては、おそろしく物騒なことを言う。
「居合わせた連中は、全員、間違いなく殺せと言ったはずだぞ」
「そういう気概は了解したけどね、実際にできるかどうかなんて、やってみなけりゃ分からないさ」
「てめえの失敗を棚に上げて!」
「声がでかいばっかりの木偶が、なに言ってんだ。そんな口を利くんならね、最初からアンタがやりゃあ良かったんだよ」
「そこまでだ」
なにかを考えるように、それまで口を閉ざしていた三人目が、口を開いた。濃い紫煙を吐いて、ソファーの背もたれに体を預ける。
「久遠の言うことにも一理ある。それに、今さらどうこう言っても仕方ねえ」
「ですがね、だからと言って、お咎めなしってんじゃあ……」
「多少のヘマはあったかも知れねえが、やらなきゃならねえことは、きちんとやってるんだ。今回は仕方ねえ」
それを聞いて、女はハッと笑う。
「さすがは大将だ。ちゃんと分かってるじゃないか。そういうことなら、あたしは下がらせてもらうよ。こんな陰気臭い場所に長居したくはないからね」
「だがな、久遠。こっちで始末が付けられねえなら、またてめえの出番だ。それは分かってんだろうな?」
「分かってるよ。せいぜい、面倒がないようにしておくれよ」
久遠の退出を見届けてから、峰村さん、と大男が呼びかけた。
「口封じにしろ、今さら、遅いんじゃあないですか?」
「もし、そうなら、今ごろは久遠の奴も姿をくらましてるか、特機にでも捕まってるさ。しくじったにしろ、生き残りは瀕死だって話だ。話のできる状態じゃない」
「……どうして、そんなことが?」
「協力者からだ。始末するにも、まだ時間はある。安心しろ。それより、大隈が捕まったらしいな」
峰村と呼ばれた男は紫煙を吐き出しながら、話題を切り替えた。まるで世間話でもしているかのようだった。実際のところ、峰村にはその程度の感慨しかないのかもしれない。
大柄な男は不鮮明な表情で、「そのように聞いてます」と短く応じた。
「界隈に名の知れた男とも思えねえ。大隈健吾も、あっけないもんだ。請負人の、それもガキの二人連れに、片腕落とされて、いまは警察病院だそうじゃないか」
「油断したんでしょう。いくら悪さしても、ガキ相手には、手が鈍りもするってもんです」
別に賛同するでもなく、峰村は男の言葉にうなずいた。話を流すときの癖のようなものだった。
「ま、役には立ってくれた。後はブタ箱で適当に暮らしてくれりゃいい」
「切り捨てるんですかい?」
うん? と、男の顔を見直した峰村は、まるで理解できない言葉を聞いたような表情で、
「なにか不都合があるのか?」
と、質した。この後に、奴が必要な仕事があったとは記憶していない。
「いや、そういうわけじゃないですが……。大隈もわりと古株ですから、新参の小僧とおんなじ扱いってのは、どうも……。それに、最近の若い連中への指示も、少し適当すぎやしませんか? とりあえず暴れろってのは、いつ公安に尻尾を掴まれるか……」
「――真田ァ」
男の言葉を遮って、低く押さえ込んだ声が、紫煙の中から聞こえた。
「幹部以外は使い捨てる。これがおれたちのやり方じゃねえか。欧米お得意の合理主義ってえヤツだ。そのおかげで、おれたちはこの歳で、いっぱしに組織の顔を張ってられるんだろう?」
常時の構成人数が少なく、そのために、このような場所に本部を置いても、公安に嗅ぎつけられない。それが『黒龍会』の強みだった。なんとなれば、常に行動を起こすのは、組織のことなどなにも知らないチンピラなのだ。
確かに心配するべき状態ではあるが、同時に杞憂とも言えた。
「そいつは分かりますが……」
「まあ、おまえさんの心配も、分からんじゃない。だから、おまえには話したんだ。だれにも話さなかった、八百長試合の裏側ってヤツをな」
はあ、と真田が答える。それは分かりますが、という納得はしきれていない様子だ。
「勝つと決まってる博打さ。だがな、そのために霊捜局が、特機が邪魔なんだ。奴らは、雑魚に付き合せて、せいぜい疲れてもらおう」
そのことはすでに知らされていた。だから、他のことは切り捨てろというのでは、納得できないものがあった。なにより、自分が切り捨てられるかもしれない、という不安はかんたんに払拭できるものではない。真田は何も言えず、退室した。
「賛同できないというわけかい。まあ、それもいいさ。今のうちだけ、役に立ってくれれば、それでいい。どうせ、事が成ったあかつきには、切り捨てる連中だ……」
ひとり残った峰村は冷たくこごった眼で、呟いた。
白石メノウという少女は、請負人――言ってみればマン・ハントを生業としながら、どこか猫のような少女だった。
気分屋で、ムラっ気がある。豹のような鋭さを見せることもあれば、日向ぼっこしている猫のようにやる気のない時もある。
何事も思い付きや直感が優先するし、目の前にあるものは、とりあえずつついてみなければ気がすまない。
集中力があるようでないのは、それが興味の持続にもろに比例するからだ。興味を失うと、やる気がとたんに失せる。
それらすべてをひっくるめて、やはりメノウは猫のようだった。
カーテンを通しても、明るい陽光が部屋に差し込んでくる。時刻は、たぶん十二時前ぐらい。メノウは起きても、しばらくなにもしない。ぼんやりと天井を見上げて、考え事すらしない。
部屋は細々(こまごま)とした物品であふれ返っている。歳相応の少女らしい部屋かといえば、そうでもない。散乱しているのはナイフを研ぐための砥石だとか、ワイヤーをより合わせた余りのくず紐だとか、仕事のための道具が圧倒的に多い。机の上には化粧道具のひとつもなく、――見ようによってはインテリアかもしれない――ゴミのようなものが並んでいる。後の隙間を埋めているのは、脱ぎ散らかした服だった。
と、階下から呼ぶ香田の声が聞こえた。直行君から、電話だよー。
「寝てるって言って!」
寝転がったまま声をあげる。
「寝てたら叩き起こしてくださいってさ! 急ぎの内容みたいだよ」
「なんだってのよ……」
さすがに相棒はよくお見通しだった。
仕方ない。のらりくらりと起き上がりながら、メノウは髪の毛をかきまわした。
「朝っぱらからなんの用なのよ」
昼間だというのに、そう言って、そのまま階段を降りていく。
直行の呼び出しがあると分かっていながら、よく寝付けないままに仕事道具の手入れをしていたために、夜更かしをしてしまった。
「もしもし、なによお」
無愛想というより、殺気だった声で電話に出る。几帳面な直行にしては、呼び出しの時間が遅かったことまで、頭が回らない。
『その様子だと、ニュースは聞いていないな』
「朝っぱらから、なに言ってんの?」
昼だと、直行はツッコミを入れたりはしなかった。少し焦った口調で、足早に用件を告げる。
『とりあえず、ラジオでも新聞でもいい。とにかくニュース――それから『方玄』に来い。ちょっと、大変なことになりそうだ』
「あー、はいはい。あたしからすると、まずあんたが大変よね」
『いいから、さっさとしろ』
メノウの皮肉にも無頓着に、言うだけ言って、直行はさっさと電話を切ってしまう。
「なんなのよ、訳わかんないし……ニュースったって、どれのことだか」
受話器を乱暴に置きながら、ぼそりと呟いた。不満を漏らしながら、それでもちょっとした違和感に気付いた。
直行は焦らない、余裕をなくさない。少なくともそのように振舞うのが直行らしさだった。メノウを相手にしない、ということはあっても、さっきの焦りようはらしくなかった。
なんだろう――そう思った十分後には、身だしなみもあったものではない姿で、家を飛び出していた。
『方玄』は喫茶店だった。九城中央駅の近く、という立地条件にもかかわらず、あまり人の出入りは多くない。その外観は、和風な名前に馴染まず、どこか西部劇の酒場に似ていないこともない。
一見すると何の店か分からず、厳密に言うとどうなのか、メノウは知らないが、ともかく店側は喫茶店で通している。客層は請負人。これに尽きる。
要は接点の少ない請負人どうしの情報交換の場、というのが、『方玄』のアドバンテージだった。もっとも、物騒な連中が集まるせいで、堅気はまず入らない上に、公安にマークされているのだが。
いつもは人の少ない喫茶店は、その日ばかりは混雑していた。情報を買い求めに来た者と、売りに来た者とでごったがえしていた。まるで祭りのようだと形容するのは、すこしばかり不謹慎か。
なにせ、ここにいる連中、揃いも揃って同じ犯罪者にかけられた賞金を狙っているのだから。
「うわ……」
さすがに、昼間から人相の悪い連中がたむろしている店に入るのは、女として、すこし気が引けた。今さらだとは、当人は思っていないらしい。
さっと窺っても直行の姿はなく、中に入ってようやく奥の席に姿を見つけた。
いつもなら、出会い頭に皮肉のひとつも言うものだが、直行はメノウの姿を認めると、肩掛けカバンの中から書類入れを取り出した。
「ニュースは?」
「ラジオで聞いた」
メノウもただならぬ緊張感で答えた。
「一昨日、市長が殺されてたって……どういうこと?」
「公安の情報統制だ。権限の中にそういうのがあるはずだ」
書類入れから、幾つもの紙の束を取り出して、直行の答える言葉も短い。メノウは向かいの席に座って、
「詳しいこと、ニュースでぜんぜん言ってなかったけど」
「言えるわけがないさ。見ろよ……」
沈痛な表情でそう言って、直行がよこしたのは、現場の状況がおおまかにまとめられたレポートだった。「特別治安維持協力許可証」というライセンスの保持者――つまり請負人に与えられる情報開示権限によって、公安のデータベースから調べ出してきた内容だった。
なるほど、直行が嫌悪するはずだ。これほど血生臭い話は、この裏稼業でもなかなか聞かない。
「護衛に憲兵隊……二十人以上も、皆殺しに?」
「加えて、料亭で働いてた人も、ご丁寧に皆殺しだ。公安は、その実行犯に特別の懸賞金をかけてる」
示された金額は、通常のものと桁が違う。それだけあれば、十年は生活に困らないだろう額だ。どうにも実感のない金額に、メノウは軽く口笛を吹いた。たぶん、それがまっとうな反応というものだろう。
「……犯人はとんでもなくヤバいような相手か、それとも、絶対に請負人じゃ捕まえられない相手なんだ」
声を潜めた直行に、上半身を乗り出すようにしてメノウが顔を近づけた。
「どういうこと?」
息がかかるほど近く顔を寄せたメノウに、直行が上体を引いた。すこし顔をしかめながら、苦いものを吐き出した。
「こんだけ出さないと、だれも進んで捕まえたがらないだろ、こんな……異常でヤバい犯人なんか」
「それで、けしかけようってこと?」
「逮捕なり殺すなりできれば、『そいつは良かった』ってとこじゃないのかな。そもそも、犯人の名前も上がってないし、犯行人数だって特定できてないんだぜ?」
皮肉っぽい口調だった。テーブルの上に広げた資料を睨みながら、後を続ける。
「おれたちの選択肢は、三つある」
それが、公安の情報公開から関係窓口を駆け回って、情報を集めながら考えていた直行の結論だった。
それに対して、メノウは怪訝な表情を浮かべた。
「三つ? 犯人を追うか、知らんぷりするか、これで二つだけど?」
「頭を使えよ。そうしなきゃ、そのうち喰いっぱぐれちまう。いいか、これ――と、これだ。あと、これ」
言いながら、広げた資料のうちから、幾つかを拾い上げた。頭が悪いと言われたような気がした少女は、ちょっと不服そうな顔をして、示された書面に眼を落とした。
そこには月ごとの犯罪件数の増減、その犯罪の内容の統計などが、詳細に記されている。似たような物が複数あるのは、二年前、一年前、半年前、そして先月と四点での同一書類を揃えてあるからだ。
「結論から言うと、先月からこっち、犯罪件数が異常に増加してる。内容としては、より単純な犯罪が増えてるうえに、逮捕件数のパーセンテージも上がってる」
「それが?」
「とにかく、霊子力犯罪者がいっぱい出てるってことだ。それも、ちょっと事件を起こしては、すぐに特機とかに捕まるような、底の浅い連中がな」
「それは分かるわよ。バカにしてんの?」
分からないのは、どうして、いまこんな話を持ち出したのか、という直行の真意だった。
「こいつらは――特機を引きずりまわすための囮だと見れなくもない。暗殺に向けた下準備だと考えれば、こういう無茶なやり方にも、つじつまはつくと思う」
つまり、と、直行はくくりにかかった。犯罪を多発させることで、霊捜局の対応能力を低下させ、そのうえで本命の市長暗殺を行った。それが第一特機隊長の弟による推論だった。
もし、秋島なり直人なりが聞いていれば、「当たらずとも遠からず」と答えただろう。
「だとしたら、犯人なんか問題じゃない。問題なのは、バックにある、そういうことができる組織だ」
「……『黒龍会』のこと?」
ぼそりと応じて、請負人の少女はうそ寒い表情を浮かべた。ずっとデータを揃え続けてきた公安や霊捜局の判断に比べれば、拙いものだった。はなはだ粗くて、直感に頼る部分の多い推測でしかない。もっとも、当人たちにとっては直感があるだけに、嘘とも言えない、なにかしら説得力があった。
「市長の暗殺だけで終わるのか、それとも、もっと大きな事件を引き起こす気なのか、そのあたりを探ってみるのが、三番目の選択肢さ」
切れ長の目に、慎重な色を浮かべながら、直行はそう言った。もっとも、自分では十分に慎重なつもりなだけだった、と言えなくもない。本来なら、こうした危険に関わるのを避けるのが、直行の性質だった。それを狂わせているのは、おそらく兄への対抗意識なのだろう。
メノウは考えるふりをしながら、眼を伏せた。
これだけ話題をさらっている暗殺実行犯の捕殺は、ほぼ不可能だろう。それは考えるまでもない。公安関係者の考えは、直行の予想に近いだろうし、それだけ危険な相手だということだ。
実際のところ、結論はもう出ていた。それでも考えるふりをしたのは、それが正しいのかどうか、自分に確かめるためだった。
だが、深くは考えない。直感でなにかを感じたら、それを信じて突き進むのがメノウという少女だからだ。
「三番目でやってみましょ。それで、これからどうするの?」
「まあ、考えてはある」
余裕ぶって答えてみせる直行は、頼もしいのかどうなのか、微妙なラインだった。
二人とも、十分に慎重なつもりではあった。どこか浮つくような気分があったのは、必要に急かされたためだったか。あるいは話のスケールが大きくて、危険を察知する嗅覚が働かなかったためか。
「とにかく、出よう」
書類をかき集めてカバンに突っ込みながら、急ぐ様子で、直行は告げた。
どうして、研究所というものは白一色に統一されているのだろうか。菅原はそんなことを思いながら、応接室に待っていた人物が入って来たので、立ち上がった。
「お待たせしました。研究主任の佐野です」
黒縁の眼鏡をかけて、いかにもという風体の中年男が言った。
「霊捜局の菅原です」
自分も自己紹介をして、握手する。彼が訪れた国立霊子力研究所は、戦前の霊子力技術研究所を踏襲した施設で、主要メンバーは霊子力研究の至宝とまで言われた白石勇造の弟子たちに当たる。
「さっそくですが、鑑定の結果を聞かせてもらえますか?」
「ええ」答えた佐野は、承知はしたが、意味が分からないといった表情で、「ですが、レポートはすでに提出したはずですよ」
「形式だけでは、分からないこともあるのです。研究者の生の意見を聞きたいのです」
失望しながら、菅原は答えた。霊捜局から調査員が出張ってきている意味を考えれば、わざわざ説明する必要はないはずなのだ。それが分からない連中が、浮世離れした研究者というものなのか。
佐野は、「ああ」とうなずきはしたものの、少し迷惑げな表情を浮かべてもみせた。それを無視したのは、それが菅原の任務だからというばかりでもない。
「飯田市長以下を殺害した、その方法についてです。報告では、霊子力によるものである以上の推測はできないとなっていましたが?」
黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、主任研究員は「その通りです」と答えた。
「実際のところ、霊子力というのは、現在の科学技術の水準を超えた事象を引き起こす事が可能なのです。それを考えれば、あの切断面を見る限り、超常的な現象と表現するしかありません」
どこか慇懃さを感じさせる態度で補足説明する。佐野は佐野で、そんなことに関わっている時間はないのだ、と言いたいのかもしれない。
「しかし、それでは対策を講じることもできない。特に犯人の特定も急ぐ必要がある。なにかしら、気付いた点だけでもないのですか?」
「……そうは言われましてもね、改めて学説を認識したという程度です」
「学説、というと?」
「霊子力学とは違うのですが、どちらかというと、史学や民俗学でしょう。霊子力というのは、神がかり的な力だと昔の人々が表現したような現象だということです。陰陽やら神通力、魔術やらは、その正体が霊子力であったというのが、現在の通説です。霊子力の利用は古代からごく少数の人々によって独占されていた、というわけです。それが不可思議な、まあ、理解できない力を見せるとなると、超常現象的に捉えるのは必然でしょう?」
「切断しているのだから、かまいたちのようなものではないのですか?」
話題を元に戻すために、わざと言ったのだが、これがやぶへびだった。
「いや、傷口から判断すると、そうではないと考えます。そもそも霊子制御というのはね、我々のような研究者の立場から言わせてもらえば、実用化するのが少なくとも百年は早かったと考えているのです。なんだってできる力なんです。それを一部のメカニズムを解いたからといって、実用に段階を移したのが現状なんです。そんな状況で、あれもこれもと解を求められても、お答えできるものではないのです。分かるでしょう?」
早口にまくしたてた佐野の憤りは、正当ではないかもしれないが、当然のものではあっただろう。戦前の軍部が急ぎすぎた、というだけではない。歴史的に、リスクを顧みない時代だったということだ。それが、戦後の日本の復旧では、リスクを考えていられなくなった。それが霊子力の普及の過程だ。なおも、佐野は続ける。
「発現する現象が、使用者の嗜好などに左右されるとも言われていますが、それだけでは説明のできない事象もある。霊子が物理現象を起こしているだけなのかどうかさえ、疑問があるのです。それを知って、研究者の一部はオカルトに走るような事が起きているのが、現在の学会なんです」
「……では、この切断現象については、まったく分からない、と?」
「そう言って、差し支えはないでしょう」
言いたいことは言ったのか、さばさばとした様子で答えた。それから、「ただし」と付け加える。それを聞いて、菅原は胸を撫で下ろす。彼の時間は、完全な無駄にはならなかったようだ。
「この傷口に似たものを見たことがあります」
「なんですって? どうしてそれを……いや、それより、どこで?」
「確証がなかったからですよ。似ている、というだけに過ぎない。そもそも、あなた方なら、とっくに気付いているはずだ」
「どういうことです?」
「例の『桜花』ですよ。あれの付けた傷痕に似ている。もっとも、だからと言って、対策どうこうというのは無理でしょう。我々には、その『桜花』をまともに解析することはできなかったのですから」
半ば突き放すような姿勢は、菅原に向けてのものなのか、それとも己に向かっているのか、いまひとつ判然としなかった。
『方玄』を出てから、メノウと直行が向かったのは、警察病院だった。
公安本部と警視庁の建物に隣接する形で建てられた病院は、その立地からも察せられるように、両組織が利用する。
二人は受付でライセンスを提示して、収監されている犯罪者との面会許可を申請した。受付の婦人は、明らかに若すぎる二人の風体に、分かりやすすぎるぐらいに胡乱な眼差しを向けながらも、自分の職務をこなしてくれた。
世間の目というのは、そういうものだ。だからこそ、二人は互いをパートナーとして選んだ。共通項があるだけ、信頼が置けると思ったからだ。
三十分ほど待つと、警備に当たっている職員が案内しに来た。
「容疑者は重傷ですから、あまり興奮させないでください」
そのあと、幾つかの注意事項を言い渡され、入室の際には、自分の意思で入室することを確認する書類にサインさせられた。
武器の携行が認められているのは、それなりに危険を伴うからだ。それでも、その権利が病室に対しても適応されるのは、あまりに人間の権利という観念が希薄になっている証明だった。犯罪者は殺されても仕方ない、という風潮で、その上に君臨しているのが霊捜局の実働部隊だった。
消毒液の臭いと、冷たいほど白い壁にうんざりしながら、メノウは直行の後に従って病室に入った。職員は面会が終わるまで、外で待機する。
だれが来たのか、と入り口を見た患者は、見た瞬間に大口を開いた。声が出なかったのは、驚きが大きすぎたせいだ。
「――なにしにきやがった」
すこしばかり被害妄想がありそうな顔で、その患者――大隈健吾がうめいた。
「覚えてたんだ」
「忘れるかよ、このクソガキども!」
何気ないメノウの感想に、大隈は噛みつくように吠え、それから無くした腕の痛みに苦悶の表情を浮かべる。これでは、土台が興奮させずに済むはずがない。
「ちょっと聞かせてもらいたい話があるんだ」
これ見よがしに、その片腕を切り落とした刀をちらつかせて、直行が大隈の最初の質問に答えた。どちらが犯罪者だか分かりはしない。が、世間の評価もそんなものだ。
「おれには話なんかねえ。帰れ」
「そう突っぱねるなよ。わざわざ見舞いに来てやったのにさ。どうせ、だれも見舞いなんか来てくれなかったんだろ?」
「嬉しくもねえ。そっちのお嬢ちゃんがサービスしてくれるってんなら、別だがな」
下品な笑みを見せる男に、メノウが「ふーん」と、白けた様子で答える。
「人間相手に電圧の調整練習してみたかったんだ」
「おいおい、こっちは怪我人だぜ?」
少し引き攣った笑みを浮かべたのは、半狂乱の中でも自分が高圧電流で失神させられたのを覚えているからだ。
「だいじょうぶ。傷痕は残らないように上手くやるから」
「なら、いいか」
止める気もはなからないくせに、直行が納得したようにゴーサインを出す。
「なにしに来たんだよ、おめえらは?」
やるとも思えないが、意味もなく痛めつけられたのではたまったものではない。さすがに逃げ腰になりながら、大隈が口走る。
「だから、話を聞きに来たって言っただろう」
「それは分かったから、なにを聞きたいんだ」
内容によっちゃあ、おれは話してもいいんだ。そう答えて、憮然とした表情を浮かべた。が、直行の質問にぎょっとした表情を浮かべることになった。
「じゃあ、聞くが、捕まる前に『黒龍会』の中で、変わった事はなかったか?」
「あ? ちょっと待て、なんの話だ?」
「あんたが『黒龍会』と繋がってたのは、もうバレてるんだ。それから、『黒龍会』に捨てられたって事もな。まあ、それが奴らのやり口なんだろうけどさ」
とぼけようとした大隈に、直行は怒鳴ったりはしなかった。ただ、自分が調べ上げた事実を淡々と述べる。そうやって追い詰めるのだ。
敵に回したくないタイプだな。メノウは相棒のやり方を感心して見ながら、失礼な感想を心の中で呟いた。陰険だと思えるのは、むしろメノウが大雑把過ぎるからだろう。
「地方から出てきて、この十年間で確定七件、推定十件以上の事件を起こしてる。まあ、よく今まで捕まらなかったもんだとは思うけど、これだけ長期間、『黒龍会』と繋がってるとなると、それなりの待遇は受けてたはずだ。そうだろ? なら、内情もいくらか知ってるんじゃないのか?」
「何が知りたいのか、イマイチよく分かんねえな。だいたい、そんなこと知ったところで、ガキには関係ない話じゃないのか?」
「そうでもないさ」
バカにしたような男の言葉にも、あくまで淡々と返す。そして、直行はメノウに語ったものと同じ推測を、大隈に向かって説明した。ただし、目的は隠した。暗殺犯が『黒龍会』の手勢だと決めつけて、そこを糸口に探り出そうという算段だと告げる。
大隈は眉をひそめた。
「おまえら、正気か? 『黒龍会』に楯突いて、生きちゃらんねえぞ。……いや、まあいいさ。聞きたいなら、聞かせてやる。危険を背負い込むのは、おれじゃねえしな」
ふっと鼻から息を抜いて、真面目に取り合うのをやめたようだった。
「少し前から、上の指令がいい加減になってきてた。おれに指示を出してたのは、真田って男だが、おれが受けてたのは、とにかくエリキシルを使って事件を起こせってだけだな」
それが妙といえば、妙だった。と、まるで傍観者のように、大隈は言った。もっとも、これから二十年以上の懲役が確実に待っている男には、もう関係ないことなのだろう。しかし、やはり十年も付き合いのある相手を、簡単に捨てた組織のやり方には、恨みがないではないというのもうなずける。
「いつもなら、相手が三下でもなけりゃ事細かく指示するのが、上のやり方だったからな。考えるより暴れるのが好きな連中は、抱き込んだりしない。そういう慎重さが、まったく感じられなかった」
「他には?」
「別に。おれも他の連中とそう変わるもんじゃない。市長の暗殺なんてのも、さっき知ったばっかりだ」
知ってるのは、それぐらいだ。そう言うように首を振って、大隈は残った手を「早く帰れ」と振った。
「てめえらの面を見てると、傷が痛む。まあ、せいぜい嗅ぎまわって、派手に殺されてくれるように祈ってるぜ」
「その時は、あんたも道連れにできるように努力してみるよ」
最後まで丁寧に返して、直行はメノウとともに病室を後にした。「ケッ」と毒づく大隈の声が、背中に聞こえた。
病室を出てすぐに、待っているはずの職員の姿がないことに気付く。が、その行方を捜す時間もなかった。壁際に、職員ではない女性が待っていた。直行は眉をひそめて警戒し、メノウは笑顔を浮かべて、待っていた人物を見た。
「秋島局長……」
直行の呟きは、嫌な予感がした時に独特の、苦く湿った声だった。
「まさか、君たちの権限で、重傷の容疑者に面会できたとは思っていないだろう?」
隣の公安本部で、職員のための食堂に場所を取った秋島は、目の前の少年少女に向かって、優しく微笑んだ。
「そうだったの?」
頓着しないメノウが、隣の直行に向かって聞く。この少女は自分の興味でしか物事を測らない。
「大隈がどの程度で扱われているかは、知らなかった。とりあえず、行動してみないと……情報が足りなかったから」
「残念ながら、大隈は第一級参考人に指定されてな。今回は特別に便宜を図った。代わりに、会話の内容は記録させてもらっているがね」
「そういうのが……霊捜局のやり方、ですか?」
「汚いと思うかな、直行君?」
「姑息だとは思います」
さもありなん、という表情でうなずいて見せて、局長はメノウに水を向けた。
「どうして、君たちを特別扱いしたか、分かるかな?」
「知り合いだから?」
単純なだけに物怖じしないし、勘繰ったりしない。それが美点なのか、欠点なのか、それは相手によるだろう。
とりあえず、出されたコーヒーを、交渉の前に飲み干して、ついでにお代わりを頼んでいるのは、直行からするといただけない。
「そうだな。そこに乗じて、ひとつ頼まれて欲しい事があったから、でもある」
少女は素直にうなずき、少年はそんなことだろうという表情を浮かべた。直行は、兄のことがあるだけに、屈折した感情が見え隠れした。それについては、とりあえず見ないふりをした。
「頼みごとというのは、他でもない。君たちの能力を買って、秘密捜査員として、協力してもらいたいということだ」
「捜査員?」
直行が怪訝な表情を浮かべる。感情は感情として、頼りない相方に折衝を任せる気はない。
「どういうことです? いや、能力というなら、おれたちより適任がいるんじゃないんですか?」
「当然、それはそうだがね。もっとも、秘密というからには、ただの捜査協力ではない。そこが問題なんだよ、直行君」
「おれたちに、なにをやらせるつもりですか」
警戒する口調で、直行は慎重に話を進める。なるほど、メノウが気楽にできるはずだ。彼女が動く段には、すべて話が決まっているのが、常なのだろう。秋島は納得した。
聡明ではあるが、子供らしさがない。直行を認めながら、秋島はそのように少年を評価した。無理な背伸びよりは、子供らしささえ利用する方が、より賢明だろう。コーヒーカップのふちを指でなぞりながら、
「もったいぶっても仕方ないか。『黒龍会』支部の制圧作戦への参加を依頼したい。無論、それなりの謝礼はさせてもらう」
言って、用意していた小切手をテーブルの上に置いた。だが、直行に言葉を挟ませる事なく、次を続ける。
「参加は君たちを含めて三名。こちらからは、久瀬大尉を出す。君たちは彼の補助を担当してもらえればいい。予想される抵抗規模は、十名弱だから、久瀬大尉だけでどうとでもなるが、逃げられると厄介なのでな。詳しい説明は、大尉の方からするだろう」
「ちょっと待ってください。おれたちは、受けるとは……それに、そういう内容なら、特機が――」
「動かせるのなら、頼みはしない。それは理解できるはずだ。内通者がいるらしい。分隊でも特機を動かすとなれば、情報が漏れる可能性が高い。かといって、他の、いわゆる請負人には、このような話は持ちかけられない。彼らは実利に基づいて行動する。もし、霊捜局が磐石のものでないと知れれば、犯罪者に堕ちる者もいるだろう。請負人と言っても、犯罪者とそう変わりはしないのが実情だ」
だから、と秋島は言った。霊捜局は常に強力であることを知らしめなくてはならん。それがたとえ、見せかけであるとしても、だ。
「それが、我々が選んだ最善策だった」
イヤリングをいじり、秋島は複雑な表情を浮かべて、答を待つ側に回った。しゃべりすぎたかもしれない。ただ、疑問を残したままでは、二人が協力してくれないだろうことも予想している。子供は状況を見ない。相手を見極める。信用できるか、できないかを。
「事情は分かりました。……久瀬大尉が、そちらの動かせる手駒の上限だというのも。報酬額も十分です」
なら、請け負うのかと問われれば、直行は首を横に振った。
「危険すぎると思います」
「そうか。だが、君たちがやろうとしている事は、より危険だと思うが?」
「暗殺犯なら、諦めてますよ。おれたちじゃ――」
「そうじゃない。今後の『黒龍会』の動向を探るのは、危険だと言ったんだよ。予想できないと思ったかな? 君が検索した資料の目録は眼を通している」
秋島からすると、それは初歩的な交渉技術にすぎなかった。情報と経験から相手の目的を絞り込み、ブラフで見当をつける。
予想通りに直行は息を呑んだ。
局長は、言葉に詰まった直行から視線を外して、ひとり追加で頼んだアイスをつついている少女に話を向けた。
「メノウも、彼と同じ意見かな?」
「は? あ、うん」
ろくに話を聞いてすらいなかった様子で、反射的に答える。そのぼけっぷりを隠すように、自分ではとてもまっとうだと思える理由を挙げた。
「秋島さんを手伝ってあげてもいいんだけどね。ナオもやりたいことがあるみたいだし、あたしがいないと、ナオを手伝ってあげる人がいないでしょ?」
論旨がずれているが。
「いい相棒じゃないか」
苦笑しながら秋島は、苦虫を噛み潰したような直行に向かって、そう言った。
「だが、残念だな。支部を強襲制圧できれば、組織のかなりの情報が得られる。秘密捜査員としての権限があれば、君たちもそれらの情報を得られるのだが……私には無理強いする権限もないからな」
わざとらしい思わせぶりで、秋島が最後の殺し文句を放った。そう言いながら、すぐさま立ち上がったのは、判断を迫るためだ。十分に勝算はあって、事実、背を向けようとしたところに、直行の重苦しい声がかかった。
「分かった。協力する」
そうか、良かった。小切手は報酬の前渡しだ。秋島はそれだけ言って、伝票を手にその場を立ち去った。子供を利用する自分のあくどさに、これ以上、耐えられそうになかった。
同日の夜半。九城北部の郊外にある、工事現場のひとつ。
市の拡張はまだ続けられているが、工期を延長――実質的には凍結――された現場も少なくない。市街地から外れているだけに、辺りは静まり返って、気味が悪いぐらいだった。
いわゆる請負人であるところの須田と谷川は、幽霊のひとつも出そうな工事現場に、じっと身を潜めている。
二人とも堅実な実績を誇りとする請負人である。市内が市長暗殺に騒ぐなか、彼らは別の動きに注目していた。
「来たな……」
須田がぼそりと呟くと、谷川はうなずいた。
工事現場には似つかわしくない、黒塗りの乗用車が入り込んでくる。数は二台。ガソリン車だ。石油の輸入がないために、石炭を液化した人工石油はおそろしく高価だ。道路の交通は木炭バスがいまだ主流という中で、それはとんでもない高級車だった。
ドアが開けられて、降りて来たのは男が四人。護衛二人に、『黒龍会』幹部が二人であることを確認して、谷川が唾を飲み込んだ。やはり、秘密会談の情報は事実だった。問題は、相手がだれであるか、ということだ。
二人の目的は、『黒龍会』をどうこうすることではない。情報を収集し、さらなる情報を得て、それを金に換えることだ。その辺りの算段などは、直行とそう変わらない。情報獲得のための周到さは、比べ物にならなかったが。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
呟いて、谷川はじっとりと汗ばむ手を握りながら、状況の推移を見守った。
会談相手の車がやって来たのは、その五分後のことだった。
「やあ、待たせたみたいで申し訳ない」
一台きりの乗用車から降りて来たのは、およそ同職の者には美徳を感じられない、だらしない軍服姿の男だった。陸軍憲兵の高原少佐だ。
一方、待っていたスーツ姿の四人のうち、峰村が前に進み出た。軽い握手を交わして、
「いや、いま来たところですよ」
「そら良かった。大切なお得意サンやから、怒らせるとこっちの首が飛びますんでね」
高原は締まりのない笑みを浮かべて、
「そしたら、さっそく本題に入りますか」
それを待っていたように、峰村が表情を改める。
「先に打診した件、どうにかなりませんか?」
「ああ、市長の暗殺現場に生存者を残してもうた件ですか。まあ、いまさら焦ったところで、どうにもなりませんしなあ」
聞いていた『黒龍会』の筆頭は、眉間にしわを寄せた。そうしながらも、性急に答えは返さず、ただ煙草に火を点けた。
「あ、一本もらえますか」
相手の感情などそっちのけで、高原は煙草をもらうと、自分もふかし始める。
「や、コレ、ええ葉っぱですなあ。うちの薄給ではよう買わんほど、値が張るんちゃいます?」
「……ですから、その生存者、そちらの方でなんとかなりませんか?」
一息ついて、峰村がもういちど尋ねると、煙草を吟味していた高原は、残念そうに、しかし、すぐさま首を横に振った。
「特機の護衛がついとるもんですから、憲兵では手出しできんのです。医師の買収も、特機専属の医師に挿げ替えられて、失敗しましたんで――」
打つ手なし。と、軽薄に結論を示す。
「そんな無責任な!」
「そもそも、仕留め損ねたんはお宅らの方でしょう。こっちの責任にされんのは、ちょっと、ねえ? それに、こういう不始末は自分でなんとかしといた方がええんとちゃいますかね」
ふーっ、と紫煙を吐き出して、
「それはそうと、そちらさんの報告も聞いときたいんですがね」
「計画通りですよ。二日ほどで準備も終わります」
「それは結構ですな。……そうそう、ところで、茂みで立ち聞きしてる連中も、計画の内ですか?」
高原がすっと手を挙げて、合図らしきものを送った。
「は?」
峰村が意味を取り損ねて声を出したのと、銃撃の音が聞こえたのは、同時だった。
銃撃の音がした、自分の背後を振り返る。血塗れの男を二人、引きずっている憲兵隊の男たちの姿が、月明かりに照らされて、うっすらと見えた。さすがにぎょっとする光景だった。
そもそも、いつの間に憲兵隊が配置されていたのか、峰村はその事も分からなかった。視線を戻しても、高原の鉄面皮が待っているだけだった。
「情報が漏れてたみたいですね、峰村さん」
何事もなかったかのように、あいかわらずのんびりと、憲兵少佐が口にする。
「情報源も割り出さんと……まったく、面倒ばっかり増えよってからに」
ぶつぶつ言いながら、しかし貼り付けたような笑顔は引っ込まない。
「後片付けはこっちでやらしてもらいますんで、お気になさらずに。まあ、そちらも気ぃ抜かんようにしといてください。それじゃあ、これで失礼します」
言いたい事だけ言って、高原は乗用車に乗り込んだ。