終幕
こちらへ、と案内した憲兵は、個室に入ってから、「面会は三十分だけです」と、もう一度、念を押した。
「三十分とかからない。皮肉のひとつも言いにきただけだ」
面会室で待っていた男に当てこするように、秋島大佐は応じた。
「面会許可を取るのは、大変な苦労だったのでは?」
付添いの憲兵が退室するのを待って、男はそう切り出した。関西なまりのイントネーションはまったくない。だが、それはもと憲兵少佐・高原に違いなかった。
「それが貴官の本来のしゃべり方か?」
「いまさら、それを訊いても意味がないでしょう」
答えた高原は、受刑服こそみすぼらしいものの、髪型はしっかりと整え、無精ひげもない。
「そうだな」
どうでもいい、と言うように応じて、秋島は数枚の書類を机の上に投げ出した。
高原の顔写真が添付された資料には、「公安庁情報局・狩野隆之」と書かれてあった。
「よく調べましたね、大佐」
「バカバカしい。茶番と、貴様の独走の二本立てだ。すべてが裏で、最終的には貴様にコントロールされていた。なぜ、偽の情報で上を欺いて、クーデターを実行させた?」
生前の父のコネを総動員して調べ上げた結果が、それだった。親衛師団で反乱の懸念があったのは確かで、それを未然に防ぐために反乱予備軍を集める撒き餌を行うのが、『高原少佐』の役目だったというわけだ。
もっとも、その男が黒龍会を取り込んで、クーデターを先導したのは、指示した上層部にとっても予定外のことだった。潜り込ませた憲兵隊での権限を与えすぎたことと、組織を活用する手腕を見誤ったことが、不手際を招いていた。
問題は、この男がなにを望んでいたのか、という一点だった。それが分からない。
「それは調べられなかったというわけですか」
「狂人の胸の内など、当人に訊くいがいに確かめようがない」
高原――いや、狩野はすこし笑って、
「せっかく用意した舞台です。ボヤで終わらせるのはもったいない。そう思いましてね」
「貴様……そのためにどれだけの人間に被害が及んだのか、分かって――」
「知ったことか」
「なに?」
「知ったことか、と申し上げたのです、大佐。自分はちょっとした賭博を楽しんだだけです。負けた者は損害を被る。当り前のルールです。結果として、人が死ぬこともある。そういうゲームですよ」
「狂っている……」
「なんとでも。ですが、勝ち残った大佐どのは、相応の配当を得たはずだ。社会とは、そういうものです」
狩野の言うとおり、クーデター鎮圧の功績を引っ提げて、秋島は組織の拡大を模索していた。今夏中には、陸軍からの出向ではない第一期要員を確保して、練成を開始する予定だった。
それを自分の影響のように語られるのは、秋島からすると苛立たしいことだった。
「……もういい。これ以上は無駄だ。……自分の処分は聞いているか?」
狩野はうなずいた。
「二階級降格処分の後、陸軍中尉として東北方面軍へ編入と聞いています。詳細な配属先はまだ未定ですが、青森辺りでは、まだ反政府ゲリラと小競り合いが続いています。前線へ投入して合法的に殺す腹積もりでしょう」
「どこも貴様を扱いかねて、銃殺にできないでいる」
クーデターという不祥事を起こした軍部は、公安に対して強気に出られないが、公安の方でも狩野に軍事法廷で余分なことを喋られるのは困るから、ある程度の政治取引を持ちかけなくてはならない。そんなところだろう。
どちらにせよ、真実は闇に葬るに限る、というのが、両組織の結論だった。
「せいぜい苦しんで死んでくれることと期待している」
苛立ちを隠せない口調で言い放つと、秋島は椅子を蹴るようにして立ち上がった。
見送るように狩野も立ち上がり、真面目な表情で言った。
「内戦から、じき十五年になります。いい加減、我々は武力によって自分の都合を押し通せるのだ、という夢から覚めなくてはならない。特効薬とは、往々にして副作用に苦しむものです」
「……貴様の信念など、知ったことか」
「それを知るためにおいでになったのでは?」
「そうだよ。いまは後悔している」
秋島の皮肉に対して、にやりと笑った狩野は、一分の隙もない敬礼を施した。
陸軍中尉・高原篤は、一九六四年一〇月一日付で東北方面軍一〇四独立混成旅団に編入。一一月一二日、中隊からの先行偵察任務中に、反政府ゲリラの襲撃を受けて戦死した。遺体は渓谷に滑落したものと見られ、発見されなかった。
決して明るくはない白い壁の通路は、雑多な薬品と消毒用アルコールの臭いとともに、憂鬱を誘う。
ささやかな会話が、さざめくように聞こえたが、意識はしなかった。音のある静寂。
直行は持参した花さえ、生気を失ったように思えて、溜め息をついた。
目当ての病室のドアが開いて、中から壮年の男が現れた。直行に気づいた香田は、たくましい体に似合わない、朗らかな笑みを浮かべて、こちらに歩み寄ってくる。
「また来てくれたんだね」
「香田さんこそ、お店はいいんですか?」
「大丈夫だよ。なんてことはない。どうせ、家にいたって、落ち着いて休んでなんかいられないんだ」
少しやつれたように見えるのは、濃い疲労の影がうかがえるからだ。
「彼女は……メノウは、どうですか?」
「変わりないよ」香田が首を横に振った。「まあ、立ち話もなんだし、中へ」
あの直後、メノウは倒れ、意識不明のまま、一か月以上も眠り続けている。すべてが原因不明。この眠りが覚めるのかさえ、分からない。分かっているのは、生命活動は維持されているという、それだけだ。
広くもない個室。寝台の傍の机には、花瓶に入れられた花に加えて、新しい花束が置かれている。
「だれか、来ていたんですか?」
「秋島さんが、先ほどまでね。新しい花瓶をもらいに行こうとしてたところなんだ」
そうですか、と答えて、直行は眠り続ける少女の顔を見た。安らかで、静かな寝顔だった。どんな夢を見ているのだろうと思い、果たして夢を見ているのかと考える。
「早く、眼が覚めるといいんですけど……」
『桜花』を取り落としたメノウは、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。尋常な倒れ方ではなかった。意識を失ったというより、意識を破壊されたように感じた――そのように、あの時の直感を覚えている。
そもそも、あの時、あの場所でなにが起きたのか、それが分からない。直行よりよほど霊子制御に熟知しているはずの兄にしても、分からないと答えただけだった。
もはや、目覚めることはないのだろう。直感を信じれば、そう結論せざるをえない。だが、寝顔を見るにつけ、しばらくすれば目覚めるのではないかと、そんな思いに駆られる。
脳裏には、やかましいほど元気な相棒の姿がこびりついている。目覚めてほしいと、それは強く願いながら、メノウの元気な姿が鮮やかに思い出されるほどに、それがどこか叶わない願いであるように思える。
香田はそうした不安と期待に、ずっと心身を苛まれながら、彼女を見守っているのだろう。
「実を言うとね」言い出しにくい様子で、香田はひっそりとした声で言った。「目を覚まさないことに、少しだけ安心しているんだ」
窓辺に立つ男を振り返り、空の青さに目が眩んだ。もう、夏も近い。
「脳とかの障害の可能性ですか?」
「いいや。違うよ。メノウがね、眼を覚まして、リハビリを終えて、その後……また前と同じ仕事に戻るんじゃないかと、そう思うと不安なんだ」
君には分からないだろうな。香田は寂しく笑った。それは、義姉と同じ種類の笑みだった。諦めと慈しみを混ぜ合わせた、ほろ苦い笑み。
「もっとも、目を覚まして、もう二度とこんな仕事はこりごりだと言ってくれるのが、ぼくにとっての最良の結果さ。でも、そうはならない気がする」
「それは……」
直行は口ごもった。それは、あの時、メノウがなにを見たのか、なにを感じたのか、それで変わるだろう。おそらく、彼女は常人には見えないなにかを認識していた。だが、それがなんなのかは分からないし、結論も見えない。
あの場での出来事をだれかに漏らすことはできない。メノウはストレスによる重度の疲労で倒れたとされているし、カルテにもそのように記載されているはずだ。
「そろそろ、行かないと。おれは、おれの出来ることをしないといけない。しばらく、街を離れることになると思います」
『桜花』とヒヒイロカネの伝承を追う。継承者に対してさえ失伝した部分はあって、それが昏睡するメノウへと繋がる手掛かりとなるはずだった。
「大切なことなんだね……分かった。伝言はあるかい?」
「伝言?」
だれに、と訊こうとして、メノウが目覚めた時のことを言っているのだと気づいた。
「いまさら言うこともあんまりないですけどね。そうだな……会いに来てやるから、せめて服装には気を遣えと、伝えておいてください」
「女の子らしい格好で」
「ええ。そう悪い出来栄えにはならないでしょう?」
「ぼくが監督しておくよ。任せると、とんでもないことになりそうだから」
「頼みます」
笑って応じた直行は、病室を後にした。笑うほどに寂寥感が募る。いまさらにして思うのは、はなはだ欠点だらけの相棒が、いかに重要な存在だったかという、そのことだった。
病院を出ると、照りつける陽光は少し早い夏を感じさせた。脱いだ上着を肩に引っ掛けて、直行は先ほどまでいた病室の辺りを眺めた。
だれかに呼ばれたような、そんな気がしたから。




